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リア充だった植松聖 両親の反対無視で刺青増やし関係悪化

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 神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」をたった1人で襲い、死者19人、重軽傷者26人(7月28日現在)を数える大量殺戮事件を起こした植松聖容疑者(26)。日本の戦後犯罪史上、最悪の事件を起こした“稀代の殺人鬼”はどんな人物なのか。大学時代の友人が語る。

「植松は、バーベキューや飲み会を活動内容とする『オールラウンドサークル』に所属していた。会うと“ヨウ!”とハイタッチする陽気なノリの男で、場を盛り上げるムードメーカーだった。ガールフレンドも多く、当時は可愛い恋人もいた。典型的な“リア充(実生活が充実している)”大学生でした」

 成人式ではハメを外し過ぎて、こんな騒動も起こしている。

「袴を着て地元の仲間たちと軽トラの荷台に乗り、一升瓶の日本酒を回し飲みしながら町中を走っていました。酔っ払って軽トラから落ちる人もいて、大騒ぎに。軽傷で済んだから、今では笑い話です」(地元の知人)

 だが、植松は大学生活が終盤に近づくにつれ、将来に不安を覚えるようになっていく。刺青をいれたのは、その頃だった。

 彼の不安は的中した。小学校の図工の教師をしていた父親の影響か、「幼少の頃から父親と同じ小学校の先生を目指していた」(近隣住民)という植松だが、夢だった教員の採用試験に合格することができなかったのだ。

 この頃の植松の様子を友人のひとりは、「あまりのショックで、一時的に引きこもりに近い状態だった」と話す。

 大学卒業後すぐの2012年春、飲料メーカーの配送員として勤務するも、「給料が安すぎて、経済的にキツい」といって半年で退社。この前後から、植松と両親が怒鳴り合う声が近所に響くようになる。

「長続きしない仕事のことや刺青の件で両親と頻繁に言い争いをするようになったようです。特に刺青に関しては、教育実習時の生徒や近隣住民に知られてしまい、両親が“消せ”と迫っていたそうです。夜中にお母さんが畳をバンバンと叩きながら泣き叫ぶ声も聞こえました」(近隣住民)

 2012年12月、植松は事件の現場となった「やまゆり園」に非常勤として勤務。翌年4月に常勤の社員になった。当時を知る友人がいう。

「“小学校教師はハードルが高いから特別支援学校の教員を目指す”といっていました。その足掛かりとして、障害者施設に入ったそうです。最初は仕事にやりがいも感じていたようですが、次第に“仕事が大変だ”と愚痴をこぼすことが多くなった。植松の体に刺青がどんどん増えていったのもこの時期です。

 両親の反対を無視して刺青を増やしたものだから、関係はさらに悪化。2013年の冬についに両親は、新たに中古マンションを購入して引っ越してしまったそうです。もはや親子関係は修復不能だったのでしょう」

 不安なことがあるたびに刺青をいれていたという植松。その頃には有名彫り師による和彫りが、両肩から胸、腕を彩っていたという。

 図工教師を父に持ち、母親は美大出身で漫画家。芸術一家に生まれ育ったためか、植松も刺青にのめり込んでいった。

「美意識は高かった。よく“容姿に自信がない”と漏らしていて、金髪にしたり目鼻立ちまで変わっていった」(前出・友人)

※週刊ポスト2016年8月12日号

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