ガジェット通信

見たことのないものを見に行こう

高林孝之、杉浦正則 野球で五輪を沸かせた男達の「転身」

DATE:
  • ガジェット通信を≫

 リオ五輪では残念ながら野球は種目として採用されなかったが、日本は過去の五輪では野球でメダルを何度も獲得している。そこに貢献した2人の男を追った。

「全力を懸けないなら帰ってくれ」──。アトランタ五輪(1996年)の野球で1番打者として銀メダルに貢献した高林孝行(現48歳)は、事前合宿で若手を叱咤した。

「寝坊して遅刻したり、ダラダラ練習したりする姿が目についたんです」

 純粋にメダルを狙うベテランと五輪をプロへの架け橋と考える若手の間には、大きな溝が生まれていた。

 予選リーグを何とか突破し、準決勝はアメリカとの対戦に。前日のミーティングで、寄せ集めのチームに遠慮して黙っていた2人の選手が「実は、明日の先発投手には癖があります」と、過去の対戦経験に基づく情報を打ち明けた。

「一気にチームの雰囲気が明るくなりました。ようやく1つにまとまった」

 大量11得点で宿敵を下し、決勝進出。キューバの前に金の夢は散ったが、堂々の銀メダルに。現在は父親の跡を継ぎ、東京・神保町の仏教系古書店『東陽堂書店』の3代目店主を務める。

「時には、数百万円する古典を競り落とすこともあります。本物を見極めるために、普段から国会図書館や博物館に通って、平安時代や江戸時代の著名人の筆跡を研究しています」

 アトランタの準決勝、決勝で先発した杉浦正則(現48歳)は大会後、球界の寝業師と呼ばれたダイエー(現ソフトバンク)の根本陸夫から「君には今後の野球界を背負ってもらわないといけない」と口説かれてもプロ入りせず、当時プロは出場できなかった五輪での金メダルにこだわった。

 きっかけは、バルセロナだった。日本生命に所属していた杉浦は準決勝で敗戦投手になり、宿舎で号泣していると、仲間たちから「最後の試合を勝って終わろう」と慰められた。気持ちを切り替えた杉浦は翌日もリリーフを任され、銅メダルを獲得。

「あの言葉で立ち直り、仲間の素晴らしさを知った。一発勝負の悔しさや喜びも味わい、いつか必ず金を獲りたいと思った」

 シドニー(2000年)では、代表発表直前に「杉浦落選」と報じられた。結局、選出されたが気持ちの整理がつかず、辞退が頭に浮かんだ。その夜、同志社大学の後輩である宮本慎也から電話があり、気持ちを吐露すると諭された。

「何いっているんですか。貫いてきた目標に、もう1回挑戦してください」

 3度目の五輪となるベテランはブルペンの電話当番も厭わず、チームに献身したが、結果は4位。16年経った今、日本生命で法人部長を務める杉浦にとって、五輪とは何だったのか。

「金メダルという目標を持つことで、失敗をどう生かすか前向きに考えるようになった。生き方を学んだ場所です」

(敬称略)

●撮影/藤岡雅樹

※週刊ポスト2016年8月12日号

【関連記事】
【日韓比較・スポーツ編】メダル数、歴代メジャーリーガー数他
釜本邦茂氏 メダル取ったメキシコ五輪組はロンドン組より上
アーチェリー銅の早川 「帰化しなければ金」と韓国人が皮肉

NEWSポストセブンの記事一覧をみる ▶
  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。

TOP