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絶滅危機のうなぎは「高嶺に返すべき花」なのだ

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 うなぎ絶滅の危機が指摘されている。背景にあるのは日本人の消費量が増えていることは間違いない。いつから日本人はうなぎを「常食」するようになったのか。食文化に詳しい編集・ライターの松浦達也氏が解説する。

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 土用に突入した7月下旬、例年通りにスーパーの店頭には「うなぎ」の文字が踊っている。だが、今年は少しだけ趣が変わってきた。「うなぎ」以外の素材──豚、鶏、サンマ、かまぼこといった、変わった素材の蒲焼きが増えているのだ。これは「土用の丑の日のうなぎ」という食文化の崩壊か、はたまた新しい食文化を開く扉なのか──。ことここに至る状況を整理してみたい。

 端緒になっているのは、この数年囁かれている「うなぎ絶滅」問題だろう。この数十年でうなぎの採捕量は激減した。環境の変動や悪化も理由として挙げられるが、何よりも養殖用のシラスウナギの乱獲が大きな理由という見方が強い。

 広く知られているように、うなぎが人気になったのは江戸時代のこと。夏場のスタミナ食として、平賀源内が広めたという説が知られている。もっとも当時の丑の日には「う」のつくうどんや梅干しを食べるという習慣もあり、いまほど「うなぎ」一色ではなかったと言われている。ちなみに18世紀中ごろの蒲焼きの値段は200文。当時のそばを1杯16文として現在の価格に換算すると4000~6000円といったところ。現代における高級店の価格並だ。

 明治時代に入ると、浜名湖を中心に養鰻が本格化し、大正、昭和にかけて漁獲量は増えた。幼魚であるシラスウナギも不足するようになり、国内外からかき集められるようになった。だがその当時もあくまでうなぎは高嶺の花であり、大衆にとって日常から手が届くようなものではなかった。

 状況が変わったのは戦後のことだ。高度成長期にうなぎの消費量が増えた結果、バブル期に中国や台湾から蒲焼きの完成品を輸入するようになった。すると全体の価格が大きく下落し、庶民の食卓に上るように。消費量は爆発的に伸び、「安い(イマイチな)うなぎを、おいしく食べる方法」などの企画がテレビや雑誌などのメディアをにぎわせた。安いうなぎでも、職人の味を知らない人々にとってはありがたみがあった。だが、それは「串打ち三年、割き八年、焼き一生」と言われる、職人の味とは別物だった。

「一億総中流」が「隣の晩ごはん」を気にするようになった時代に、高嶺の花だったはずのうなぎに「日常のちょっとしたぜいたく」という異なる解釈が加えられた。水は低きに流れる。あっという間にわれわれ大衆はうなぎを日常食だと思いこむようになり、消費が爆発した。だが江戸時代以降の食文化史のなかで、うなぎが日常食だったことなど実はない。高度成長やバブル期に生まれた食習慣が、世界の海からうなぎを消し去ろうとしてる。

 日本人は世界で獲れるうなぎの7割を消費している。もう間に合わないかもしれない。だがわれわれ消費者が日常食として位置づける限り、うなぎは確実に絶滅への一途をたどる。うなぎは高嶺に返すべき花なのだ。

 確かに鶏や豚を「蒲焼き」と称するのには違和感がある。だが「蒲焼き」の名は室町時代に、うなぎを筒切りにして串に刺し、焼いた姿が蒲(がま)の穂に似ていたことに由来すると言われる。「食べ物」の姿は常にうつろいゆく。いまの姿は厳密には「蒲焼き」ではないし、「蒲焼き」の素材がサンマやイワシだけでなく、鶏、豚、かまぼこなどがスタンダードになっても不思議はない。

 日常の暮らしを送るなか、いつも最上で最良の選択をできるとは限らない。だからこそ、ことあるごとに何をどう選択するか、真剣に考える必要がある。目先の利得だけでなく、この先に何を残せるか。今年の土用の丑の日は7月30日。翌31日は東京都知事選である。

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