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認知症介護小説『その人の世界』vol.15

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俺はバカになっちまった。

医者みたいな格好のやつにガキでもできるような計算問題をやらされ、答えることができなかった。

「これ、書いてみませんか」
窓際でうなだれていた俺に話しかけてきたのは、むちっとした兄ちゃんだった。

「なんだよ、これ」
「七夕の短冊ですよ。願いごとを書いて、あれに飾るんです」
兄ちゃんが指をさしたのは、天井まで丈のある笹だった。

「冗談じゃねえよ。俺はもうバカになっちまったんだ。こんなもん書いたってしょうがねえ」
「代わりに僕が書きましょうか」
兄ちゃんが長細い紙きれをひらりと見せた。それは2枚あり、そのうちの1枚には何か書 かれていた。

「もう書いてあるじゃねえか」
「これは僕のです」
少し声を落とした兄ちゃんは、自分の紙きれを手のひらで撫でた。

「僕には願いごとがあるんです」
きいてもいねえのに、兄ちゃんは言った。

「僕、この間、好きな人に嫌われちゃったんです」
目に涙を浮かべた兄ちゃんは少し身体をくねらせた。その仕草を見た俺は「はあっ」と大げさにため息をついた。

「何をくねくねしてんだよっ。気持ちわりいなぁ。そんなんじゃ嫌われて当たり前だろ」
「そんなこと言われても……。僕、どうしたらいいんですか」
兄ちゃんは上目遣いで俺を見た。

「そんなこと知るかよっ。なんで嫌われたかを考えりゃいいだろうが」
「それが分からないんです」
俺はさっきよりも更にわざとらしくため息をついた。
「おまえはバカだなぁ! その姉ちゃんに何をしたんだよ」

「えっと……」
兄ちゃんは自分の顎に人差し指を当てた。
「あなたのことが好きですって、手作りのクッキーをあげました」

「はぁ?」と呆れて反り返った俺は、窓に頭を打った。
「大丈夫ですか」
「大丈夫じゃねえよ! おまえは俺よりもバカだなあ!」

俺は近くの長椅子に兄ちゃんを座らせ、その目を見た。
「おまえ、そんなんじゃ、どの姉ちゃんにも一生相手にされねえぞ」
「はい……」
兄ちゃんは口を尖らせて俯いた。

「俺が教えてやる。あのな、女ってのは、仕事ができる男に惚れるんだ。女を落としたければ、まずは仕事ができなきゃいけねえんだ」
「仕事……」
「おまえは仕事ができんのか」
「いえ、まだ入って1ヶ月ですから……」
「バカじゃねえのか! おまえ、仕事もできねえのに姉ちゃんを口説いたのか!」

俺は身を乗り出した。
「いいか、まずは仕事を一生懸命やれ。誰にも負けねえくらい、死にものぐるいでやれ」
「はい」
兄ちゃんはズボンのポケットから紙を取り出し、何やら書いていた。

「仕事ができるようになったら、次は肉をつけろ。おまえみたいな肉じゃねえぞ。もっと硬い肉だ。女ってのはな、守ってくれそうな男に弱いんだ」
「はい」
兄ちゃんは紙に顔を近づけて文字を書いている。

「肉がついたら、新聞を読め。女はな、物知りの男が好きなんだ。おまえ、どうせ新聞読んでねえだろ」
「はい」
「はい、じゃねえよ」
「すみません」
兄ちゃんは小さく頭を下げた。

そこまで言って、俺は腕組みをした。兄ちゃんが顔を上げた。
「それからどうするんですか」
「うん。おまえは、どんな姉ちゃんが好きなんだ」
「かわいい子です」
真面目くさった顔で兄ちゃんは言った。分かりきったことを聞くな、とでも言いたいようだった。

「いいか、女の選び方を教えてやる。女は踊りの輪っかから選んだらだめだ。畑の中から選ぶんだ」
「畑なんか近くにありません」

俺は「かーっ」と言って額に手を当てた。
「おまえはどこまでバカなんだ! そういうことじゃねえんだよ! ちゃらちゃらと見かけばっかり気にする女じゃなく、顔ばっかりいい女でもなく、働き方を見ろってことに決まってんじゃねえか」
「働き方……」
「そうだ。人間てのは、働き方で分かるもんなんだ。ケツがでかけりゃ、もっといい」
「ケツが……」
紙の上をペンが走る。
「そんなのは書かなくていい」
兄ちゃんは書いた文字をぐちゃぐちゃと塗りつぶした。

「選んだら、どうするんですか」
「あとは自分で考えろ」
「自分で」
「あたりめえだろ。考えて、それでも分からなけりゃ、また俺んとこ来い」
「いいんですか」
「分からなけりゃ、しょうがねえだろ」
俺が鼻で笑うと、兄ちゃんの目が輝いていた。

「おまえみてえなバカの願いごとは俺が書いてやる。貸してみろ」
兄ちゃんの太ももの上から紙きれをひったくると、俺はペンをとった。

※この物語は、著者の介護体験をもとに介護現場の場面を描いたフィクションです。

あとがき

「自分はバカになってしまった」と言われるお年寄りに出会うことがあります。そんな時わたしは、自分のだめな部分をさらして相談に乗って頂いたりします。その回答はそれぞれの人生経験に裏打ちされた、心に響く教えです。人に頼られたり、自分の得意なことを人に教える時の皆さんは、とても活き活きされています。介護職員というより人として関わろうとすると、少しだめなくらいがちょうど良い時もあります。

悲しみや苦しみ、切なさ、喜び、そしてきらめきは、誰もがその人らしさとして持ち合わせ、それは認知症であってもなくても同じです。認知症の真の理解を得るために、物語の力をわたしは信じています。

この記事を書いた人

阿部 敦子

所持資格:介護福祉士、認知症ケア専門士、介護支援専門員。神奈川県相模原市出身。高校卒業後、経理事務を経て医療事務に。保険請求業務よりも窓口で高齢者と関わることに楽しみを見出だす。父親の死により介護を強く意識し、特別養護老人ホーム、訪問介護事業所を経て、現在は認知症対応型通所介護事業所に勤める。認知症ケアに目覚めて今年で12年目。平成25年に相模原市認知症介護指導者となる。認知症に対する理解を広めたいと強く思うようになり、認知症を題材とした小説を書きはじめる。

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