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末期癌の医師・僧侶が解説 ソクラテス「無知の知」の真意

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 2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏による『週刊ポスト』での連載 「いのちの苦しみが消える古典のことば」から、ソクラテスの「無知の知」という言葉の意味を紹介する。

 * * *
 ソクラテスは自身の裁判の最初に、本当の告発者は「風説を広めた人たち」だと言いました。なかでも、喜劇作者のアリストファネスによる戲曲『雲』の影響は大きかったようです。この喜劇の中で、ソクラテスは詭弁を弄して青年を腐敗させる者、として描かれていました。

 これらの讒謗に対抗する証人として、ソクラテスはデルフォイの神を立てました。

 かつて、友人のカイレフォンがデルフォイの神殿で「ソクラテス以上の賢者がいるか」と伺いを立て、「ソクラテスは万人の中で最も賢い」との神託を得ていました。

 これは間違いであろうと考えたソクラテスは、自分よりも賢い人を探し始めました。それぞれの分野で勝れた人たちに会って質問してみると、自分の専門とすることに関しては勝れた知識をもっていても、それ以外のことに関しては何も知らないことにソクラテスは気づきました。

 ソクラテスが質問したのは、徳について、そして善や美についてでした。皆、知らないのに知っていると誤解している。ソクラテスは、知らないことを知っている。この「無知の知」によってデルフォイの神託は正しかったことが明らかになり、後年、裁判で神託を用いたのです。

 フランシス・ハッチソンの言葉「徳は善の量であり、最大多数の最大幸福をもたらす行為が最善である」も、彼が美と徳の理念の起源を探究する中で到達した考えであり、古代ソクラテスの問いに対する近代啓蒙主義の答えであったとも解釈できます。

 さて、ここからは私の考えです。私は幸運にも、医学という科学の研究職に携わった後で、仏教学という人文学を大学と大学院で計7年間も学ぶ機会を得ました。そして「科学と人文学」という、互いに補いあう二つの知識の体系があることを知りました。

 実験と観察で間違いを検証できる事柄に関しては科学、それ以外に関しては人文学です。間違っているかどうかではない領域では、良い物語が長い歴史の中で選ばれて古典となります。古典を学んで如何に生きるかを問う学問が人文学です。

 日本の医療現場にも「無知の知」と似ている状況があります。医学という専門分野の知識をもって、それ以外の分野についても優れていると誤解している傾向です。

 医師免許を得るための国家試験は、医学という科学が試験範囲であり、人文学は無関係です。特に末期がん患者などの緩和ケアにおいてNBM(物語に基づく医療)が重要ですが、患者の人生の物語を完成する手伝いをする担当者が、日本の大部分の医療現場に不在です。

 日本の医師のほとんどが、このように患者のいのちのケアを行なう人文学の専門家が医療現場に必要だということに気づいていません。現在育ちつつある臨床仏教師や臨床宗教師の活躍に期待しています。

●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。 1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓 がんが発見され、余命数か月と自覚している。新刊は『いのちの苦しみは消える』。

※週刊ポスト2016年7月22・29日号

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