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毒蝮三太夫 母は父を「ゴリラ」と呼び父は母を「狸ババア」

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「孝行のしたい時分に親はなし」というが、男にとって生まれて最初に接する異性である母の愛のありがたみは、失ってみて初めて気づくことがほとんどだろう。母との思い出を、ラジオ番組で「ババア!」などと元気に呼びかけ人気の俳優・毒蝮三太夫(80)が語る。

 * * *
 俺のおふくろは昭和48年に75で亡くなっているんだけど、前に美輪明宏さんから「あんたの背中には背後霊のようにお母さんがついているわよ」って言われたことがあるんだよ。慈母観音がいるんだってさ。仕事が順調にいっているのも、守ってくれているおかげらしいんだ。あんなおふくろでも俺を守っているのかね。

 料理はからっきし下手で人付き合いが大好き、おしゃべりが大好き。親父が帰ってきたってしゃべりに夢中で、料理なんか作りゃあしない。ろくなおふくろじゃなくて、(故・立川)談志には「落語に出てくる以上の親だな」っていわれたよ。

 料理が作れないから談志が遊びに来た時も刺身をとるんだけど、経木のまま出しちゃう。それを見て談志が「おまえのおふくろはすごいよ。皿に移さないで経木のままで出すよな」って。

 でもおふくろにとっちゃあ、それが当たり前なんだよな。「よく親父が黙っているよな。普通あんなことをすれば離婚だ」って。あんなんで離婚なんだ、と驚いていたら「“協議”離婚だぞ」って、さすが落語家だよ。俺がテレビ局でもらった食べ残しの弁当を、翌日にそれまた経木のまんま客に出したりしてさ。そんなおふくろだったね。

 中学の修学旅行には仲良い友達を連れて、ついてきた。病弱な息子が心配だからとかじゃないんだよ、「あたしが行きたかったから」だもん。記念写真にもしっかり写っているよ(笑い)。俺は別に不思議じゃなかったけど、まぁ自分勝手だな。

 でも息子はかわいがったんだね。雨が降った日に傘を持たずに出かけたら、よく駅へ迎えに来たよ。高校時代かなぁ、「(本名の)伊吉ぃ、ここだよぉ」なんつってね。当時は電話がないから、何時間も待ったんじゃないかな。

 顔が似ているからっておふくろは親父をゴリラと呼んで、親父はおふくろを狸ババアと呼ぶだろ。だから俺も狸ババアと呼んで、お母さんって言ったことがない。テレビも最初は本名で出てたけど、『笑点』で談志が俺を「毒蝮」と名付けたもんだから、動物一家になっちゃった(笑い)。ロクなもんじゃないよ。

 おふくろが狸ババアだし、俺が育った下町では「おいジジイ! ババア!」は常套句。その延長線で、ラジオでも「ジジイ、ババア」と言うようになったんだよな。俺にとっちゃあ、自然な流れだよね。

 おふくろとしても女房としても落第点だけど、いつでも人様のために生きていた。そのいいところを咀嚼して継いでやろうと思っている。

 よく、「人の幸せには限りがある」と言っていたね。俺が幸せな時は誰かが不幸せで、俺が不幸せな時には誰かを幸せにしていると思いなさい、って。どこで読んだんだか知らないけど、生意気なババアだよ(笑い)。「余計なことを言いやがって」と思ったけど、親は大学で教えないようなことも言うもんだなってね。

 今考えると、おふくろが言ったことは随分俺の筋肉になっていると思う。美輪さんの言う通り、やっぱりおふくろが俺の背中に乗りかかっているよね。

●どくまむし・さんだゆう/東京都生まれ。1948年、12歳で舞台デビュー。1969年よりTBSラジオ『ミュージックプレゼント』パーソナリティを務め、47年目に突入。『シルバー川柳特別編 ババァ川柳 女の花道編』(河出書房新社)など著書多数。

※週刊ポスト2016年7月22・29日号

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