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最期までラジオを愛した永六輔さん その理由とは?

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 放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、訃報が伝えられた永六輔さんの“ラジオ愛”を振り返る。

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 この一週間は、7月7日に亡くなった永六輔さん(享年83)について長尺で伝える番組がとても多かった。

『上を向いて歩こう』や『いい湯だな』『こんにちは赤ちゃん』など大ヒット曲の作詞家として、『夢であいましょう』(NHK)の放送作家や出演者として、大ベストセラー『大往生』執筆者として、そして46年も放送されていた『永六輔 誰かとどこかで』(TBSラジオ)のパーソナリティーとして…、「マルチに活躍していた」永さんのプロフィールがさまざま紹介されていた。

「マルチに」というのは間違ってはいないが、永さんにとっては好きな言われ方ではなかったのではないか。晩年、永六輔さんがこよなく愛し、自分の居場所としていたのはラジオだけだったからだ。

 テレビについては「テレビは自分を何倍にも大きく見せ、真実でないものが、あたかも真実のように映ってしまう」とおっしゃり、あるときから親友の黒柳徹子さんの『徹子の部屋』(テレビ朝日系)以外、全く出演しなくなってしまった。というか、テレビに背を向けていた…が正しいかもしれない。

 それでも、たとえばTBSの現在の社屋が完成した際など、同局を支えた大物ゲストとして、どうしても永さんが出演しなければならない場面が何度かあった。でも「怒って帰ってしまわれた」とスタッフが大慌てしていたことが私の知る限り、2回ある。

 でも、ラジオには最期までこだわって出演していらした。いまから10年以上前になるが、『婦人公論』で糸井重里さんがホストをつとめていらした鼎談連載「井戸端会議」で、その糸井さんと永さん、私でおしゃべりをさせていただいた。

 テーマは「ラジオ」。それがのちに糸井重里さんの『続々と経験を盗め』(中央公論新社刊)という単行本に収録された。

 実は私はラジオ出身だ。新卒でTBSラジオの「954キャスタードライバー」という仕事に就いた。アンテナがついているラジオカーを運転しながら各地をレポートして回ったり、毒蝮三太夫さんや吉川美代子アナウンサー(当時)を載せて中継のお手伝いなどをしたりしていた。

 その関係で20代の頃から永さんには御世話になっていて、その後、放送作家やコラムニストとして活動をするようになってからも、永さんがパーソナリティーをつとめるラジオ番組にゲストとして呼んでいただいた。そんな御縁で鼎談メンバーに加えていただいたのだ。

 このとき永さんは「山田さんはラジオの第三期生と言っていいのかな」とおっしゃった。ラジオ、テレビ、インターネットの三つを押さえている世代という意味で、対する永さんは、携帯電話も持たないし、インターネットもやっていないし、ファクシミリも送れない…と言っておられた。

 永さんの番組は、最後の最後までハガキ投稿にこだわっていた。それもハガキの値段が7円だった時代からやっているので、リスナーからのハガキを紹介するときにはコーナータイトルに「7円の…」と入れていたほどだ。

 ちなみに永さんは、曰く「第二期生」。中学2年生のとき、NHKラジオの『日曜娯楽版』にコントを投稿し始めたのがきっかけとなり、晩年までラジオと繋がっていらした。

 実は放送作家の後輩たちには、学生時代のラジオ投稿がきっかけとなっている人が多い。代表的なのは秋元康さん。そして実は私も小学校時代、土居まさるさんの『セイ!ヤング』に投稿していたことが大きなきっかけとなっている。

 件の鼎談で永さんは、ラジオパーソナリティーについて、こんなことも言っておられた。

「個人的な信用度の高さはテレビに出ている比じゃないんです。災害時には、『この人の言うことは確かなことなんだ。その人の言う通りにしよう』というのがとても大事ですけど、そういった信用度はテレビではなかなか生まれてこない。(中略)町で僕に『見てます』と声をかけてくる人と、『聴いてます』という人とでは、人柄がぜんぜん違うの。ラジオのリスナーだとそばにすっと近寄りながら、(小声でささやくように)『聴いてます』…。心得てる」と。「シャイでつつましい」(『続々と経験を盗め』より)とも表現しておられた。

 そんな永さんとリスナーさんとの関係を象徴するようなことも私は経験している。ずいぶん前、永さんの『土曜ワイド』にゲストで呼んでもらったとき、前週、私の名前が告知された途端、リスナーのみなさんが私の著書を買いに書店に走ってくださり、その感想を元に、翌週、番組にたくさんの応援メッセージをくださったことだ。

 永さん御自身、本当に筆まめでいらして、「御礼状が書けない忙しさは“恥ずかしい忙しさ”です」と常々言っておられた。本当に耳が痛いお言葉だったが、私は御礼状はもちろん、御礼のメールさえも送れなかったとき、「いまの私の忙しさは恥ずかしい忙しさなのだ」と猛省している。

 永さんはこうも言っておられた。ラジオを手放さないタレントは「生き延びていく。つまり人気の上に実力もある」と。そんな中にもラジオを卒業してしまった人もいるが、明石家さんまさんはいまでもラジオを楽しそうにやっているし、上沼恵美子さんもそう。話芸に秀でた人たちはみな、大物になっても確かにラジオを手放さない。

「出版社にもテレビにもできないことを、個人的なつながりをもとに、ラジオはしやすいですね」(『続々と経験を盗め』より。以下「」内は同)

「古い言葉で言うと、ラジオは『一期一会』だよね。ラジオの場合、何十年も続いている番組だと、毎日聴いているわけじゃなくても、『まだやってる』という安心感が(リスナーに)あるようです」

「(ラジオでは)相手の声が高ければこっちは低く出るし、相手が低かったら高くする、というバランスのとり方をしなくちゃいけない。同時に話していても(リスナーが)聞き分けられるようにね。これ、ラジオでしておかなくちゃいけない最低限のことだと思います」

「活字よりラジオ、テレビよりラジオじゃなくていい。色々なメディアの中からこの時はラジオ、というふうに趣味の一つに選んでくれればいいんですね」

「ラジオが家のどこにあって、電池が入っているか確認しておく。それだけでもいいんです」

 永六輔さんが愛し、愛されたラジオは、アイドル番組や声優さんがパーソナリティーをつとめる深夜番組などをきっかけに、昨今、若いリスナーを微増させている。

 永さんはこうも付け加えた。「五感は聴覚に始まって、聴覚で終わる。最後まで残るわけです」。

 永六輔さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。

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