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大阪高低差学会が解説 「真田丸」はこんな場所にあった

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J-WAVE月曜−木曜の朝6時からの番組「J-WAVE TOKYO MORNING RADIO」(ナビゲーター:別所哲也)のワンコーナー「MORNING INSIGHT」。7月13日(水)のオンエアには、大阪で今売れている書籍『大阪「高低差」地形散歩』の著者で、大阪高低差学会の新之介さんが登場しました。

実は、はるか昔、大阪は大部分が海の底にあったそうです。

「縄文時代の地図によると、大阪は今よりも海水面が数メートル高かったんです。大阪平野の東側に生駒山地がありますが、そのふもとまでが海岸線だった時代があります。その大きな湾の中心部に細長い半島のようなものがあり、半島の西側が現在の大阪駅付近にあたります。その後、淀川と大和川からの土砂がたまっていき、陸地化していったのと同時に海水面も下がっていったんです。そうして今の大阪ができていったわけです」(新之介さん、以下同)

と、大阪市の地形の基本情報が分かったところで、今度は地名の話になりました。新之介さんによると、東京は「谷の街」、大阪は「島の街」なのだそう。別所も「たしかに東京は渋谷、鶯谷、茗荷谷など、谷のつく地名が多いです!」と再発見した様子。

「一方、大阪市内で一番使われてる地名の漢字は『島』。『中之島』『堂島』『歌島』『御幣島(みてじま)』など多数ありまして、島の名前がそのまま地名になったんです。つまり、大阪は島が集まってできた街なんです」

さらに「なにわ」という呼び方の秘密も分かりました。「なにわ(浪速)」は「大阪」という地名が一般化される前の古い地名です。

「浪(波)が早いので『浪速』って書いたんです。これは日本書紀にも書かれています。元々、潮の満ち引きが速い土地だったんです」

さて、大阪といえば大河ドラマ「真田丸」の舞台となった大坂城があります。後半はその「真田丸」の話になりました。

「豊臣秀吉が亡くなった後に、徳川と豊臣は大坂城を舞台に戦うわけですが、大坂冬の陣で真田信繁が活躍した時の出城が『真田丸』です」

実はこの出城の位置はよく分かっていなかったそうですが、まさにこの日(7月13日)のニュースで、真田丸が描かれた絵図が島根県の松江歴史館の所蔵史料から発見されたという話題を紹介したばかりでした! あらためてどのような場所なのか、新之介さんに聞いてみました。

「大坂城は上町台地の先端の崖のところに造られました。三方を平地で囲まれ、そのまわりの内堀や外堀は谷を利用して造られました。さらに、それを囲むように惣構掘(そうがまえほり)が造られ、その最も南側の丘を利用して真田丸ができたんです」

このように、地形をうまく利用しているから、大坂城は難攻不落と言われているわけです。新之介さんは「街を歩いていて、『なぜここに窪地があるんだろう?』『なぜこの道はクネクネしてるのだろう?』と疑問に思ったことを調べると、いろいろなことが分かってきます。『なんだろう』と思うことが地形散歩の入り口」と教えてくれました。

新之介さんの楽しい話を聞いているうちに“地形散歩”をしてみたくなりましたね♪

【関連サイト】
「J-WAVE TOKYO MORNING RADIO」オフィシャルサイト
http://www.j-wave.co.jp/original/tmr/index.html

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