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10分間隔から二晩、病院で孤独と痛みに耐える!予想3500gのベビーと私の壮絶出産

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妊娠経過全て順調で、まさか難産になるとは、わたしも家族も旦那も全く想像もしていませんでした。

ですが実際は予定日8日超過、41w1dで第一子の娘を出産しました。

陣痛は本当に辛く、10分間隔から計算すると3日程かかりました。

超過していたので3500gくらいと予想されていて、ビクビクしながらの出産だったのを覚えています。

1日目、夜10時頃から10分間隔が続き、病院に電話すると

「5分間隔にならないとまだまだだから、5分間隔が続いたらまた連絡してください」

と言われ、10分~8分間隔で続く痛みの繰り返しに堪えていました。その日の夜はどう過ごしたか覚えていないくらいです。

次の日の2日目も朝から痛く、結局昼頃病院に行きましたが、内診の結果まだまだだからと帰されてしまい、不安ながらも自宅で1日堪えました。

しかし、夜9時頃に5分間隔になり、病院に電話すると

「1時間続いたらまた電話して」

という事でした。

5分間隔も1時間続き、もう痛さの限界で歩けなくなると思い、再度病院に電話をし、

「では来てください」

と言われ、旦那と即病院へ。

車で15分くらいの距離ですが、もう痛くて向かってる途中も耐えるので精一杯でした。

夜11時前に病院へ到着し、陣痛部屋に入院しました。

明日の午前中までには産まれるだろうと言われ、尋常じゃない痛みと汗と暑さを感じながら旦那と待ち望んでいました。

何度も何度も旦那に保冷剤を交換してもらい濡らして冷やしたタオルを首に巻き、堪えました。

陣痛も5分間隔を切り、3分間隔くらいになりました。

ただ旦那も次の日休めない仕事で、わたしの調子も朝までは変わらないだろうと言う事だったので旦那を夜中2時頃帰す事にしました。

また朝に来るからねーと帰っていきました。

…そこから、わたしの孤独な陣痛が待っていたんです。

陣痛中には助産師さんが交代でついてくれているんですが、その日の夜中に別の方のお産が入り、夜勤の助産師さんが皆さんそちらにヘルプに行ってしまいました。

わたしは夜中から朝方までの3時間くらいを1人で陣痛に堪えました。

あの3時間は本当に長く長く孤独でした。

もう痛みが来るのが恐怖でした。

そして朝を迎えましたが、なかなか子宮口も5cmくらいから大きくならず、旦那も昼からの出勤だったので朝7時くらいから昼までいましたが、状況は変わらず…

昼過ぎてから、わたしは助産師さんに連れられ、促進の為院内をあちこち歩かされ、階段も登り下りし3分程の陣痛の間隔をずっとずっと耐えました。

そして、そのまま夜を迎えました。

陣痛が始まってから3日目の夜。

病院に来てからは2日目の夜です。

なのに状況はイマイチ変わらず…

もうさすがに「このままだったら、朝に促進剤を打ちましょう」と言われ、もう早く打って欲しいと内心思いながら、丸2日寝てないので睡魔と痛みに襲われながら2~3分間隔の陣痛を味わっていました。

子宮口はほぼ全開の9cmくらいになってはいたのですが、旦那もなかなか産まれそうではないわたしの状態を心配しながらも、助産師さんに「朝までは産まれないかな」「朝に促進剤打つから」と説明をされ、それじゃぁと夜中の1時過ぎに帰ってしまいました。

またわたしの孤独な時間がきた…。

この時間はイヤだ。怖い。

少しでも1人はイヤだと思い、交代する助産師さんを待ちながら堪えていました。

だけど、わたしの体力も限界に近づき、陣痛の発作が来る間の数分間に、あまりの睡魔に意識が遠のくようになってきました。

すると陣痛の間隔が5分間隔と遠くなってしまったのです。赤ちゃんの頭も見えては閉じ、見えては閉じの繰り返しでした。 関連記事:これからいきむの…?もう体力ない!陣痛49時間、院内でも有名になった難産中の難産

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