“職業に貴賤はない”の例外。

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Tokyo Life

今回はKenさんのブログ『Tokyo Life』からご寄稿いただきました。

“職業に貴賤(きせん)はない”の例外。

職業に貴賤(きせん)はないという。名目はそうじゃないとただでさえつらい仕事で心が折れそうな人がくさっちゃうので、そう言わざるを得ないと思う。でも、尊い職業っていうのはあると思うんですよね。ひとつだけ例外的に尊い職業。

以下は、私の個人的な信条であって、正しいとか間違いとかいう話じゃないですので、気に入らない人は適当に無視してくれればと。

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高校生の頃からぼんやり考えているんですけど、この世で一番尊い、貴賤(きせん)でいえば“貴”の方の職業は科学者だと思うのです。それも応用科学じゃなくて、純粋科学、ハードサイエンスに携わる人々。

人間って、他の動物と違う頭脳という器官を持つ種として発生して以来、ずっと「我々は何者?」「この世界って何?」っていう究極の疑問を抱き続けてきたわけで、科学者っていうのは、その疑問に真っ正面から臨んでいる人たちでしょう? 人とは何か、人類とは何か、生命とは何か、世界とは何か、という本質的な疑問に挑み続けてる。

社会っていうのは、私に言わせれば、そんな科学の営みを支えるためにあると言ってもいいくらいです。世界の優秀な才能と、少なくない資金を投入して人類の究極の疑問に臨むためには、豊かで安定した社会が必要です。究極の疑問に臨む、選ばれた人々の尊い営みを支えるために、あらゆる社会の営みが必要とされている、そういうことなんじゃないかと。

こんな話をしていると、触れざるを得ない話題は宗教の話だと思いますが、私は、宗教は、科学が究極の問いに挑戦し続けている間、普通の人々が心穏やかに秩序ある社会生活を送るための仕組みじゃないかと思うのです。

星空を眺めたり、人の死に接したり、普通に社会生活を送っていても「我々は何者?」「この世界って何?」っていう疑問はときどき頭をもたげてくる。そして解けない疑問に心が乱されることもある。宗教はそんなときに、心の平安を得るための仕組みじゃないか? 宗教には社会倫理や、芸術、文学などを生み出す力もあるけれど、根っこのところは、答えのない理不尽な世界に生きて行く人々の、揺れる気持ちを抑えるのがその機能なんじゃない?

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“科学 宗教”というキーワードで『Amazon』で検索したら和書だけでも1800冊以上ある。ここで私がちらっと書いてどうこうっていうレベルの話じゃないのは分かってる。

ただ、純粋科学のプロジェクトには可能な限り予算を割き、そこに世界で最も優れた才能の人々に従事してもらうのは人類の人類としてのライフワークであり、その最先端を行く科学者は“貴”の仕事をしている人々とみなしてもいいだろうと思うのです。

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そんな私は、10年以上も前ですが、物理学研究科で原子核物理を修了。でも、それ以上の研究生活を送るだけの才能が自分にはないことをそのとき自覚しましたよ。で、今、純粋科学とはおよそ関係のない仕事をしています。しかし、みんなが社会に参加してそれぞれの才能で社会をもっと豊かにしていくべき、そしてその中でも特別に才能に恵まれた人は純粋科学の世界に挑戦してほしい、そんなことを考えながら、明日も仕事に出かけるのです。

執筆: この記事はKenさんのブログ『Tokyo Life』からご寄稿いただきました。

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