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第66回 大分刑務所へ

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第66回 大分刑務所へ

 月曜日の朝は事前に言われていたとおり、6時30分の起床時間より15分ほど早く起こされた。やはり隣の二人連れも一緒だった。若い人とお年寄りの二人である。3人そろって身体物品検査室に行く。
 そこで、大分刑務所に移監となることの正式な通知を受け、その後私服に着替え、その他の物を詰め込んだバックを持ち控室に行く。その後朝食となった。

 朝食後には、トイレタイムがあり、さらに控室に戻ると、いよいよ出発ということで、手錠を掛けられ、お年寄り受刑者、若い受刑者、私の順に一本の腰縄で結ばれる。
 これも初めての経験。数珠つなぎとなりここでも受刑者であることを実感し、映画「北の蛍」で囚人が数珠つなぎとなっていた場面があったなと思い出す。

 余談であるが、森進一の同名の唄は主題歌である。北海道の樺戸集治監(刑務所)の話である。札幌市から見て北東部にあった。初代典獄(所長)は月潟(月形とも)潔である。
 大財閥や政治家を巻き込んでの紙幣偽造事件で熊坂長庵という画家が主犯とでっち上げられ無期徒刑となりここに投獄され獄死したことでも有名である。彼を収容するためにわざわざ作られたとか、初代所長の月潟氏はこの熊坂氏の監視役として送り込まれたとの噂もある。
 月潟氏の名前は地名として残り、樺戸集治監は月形刑務所として場所を若干移動して引き継がれている。集治監の本庁舎は北海道行刑資料館となっており、熊坂氏の絵画もあるということだそうだ(伝聞で自信はない)。
 昔から一度行ってみたいと思っていたが、未だ実現していない。

 大分刑務所に移監されるにあたっては、電車での移動かと思っていたが車でよかった。電車での移動だとやはり衆人環視にさらされる。
 愛媛の刑務所から大分刑務所に移監されてきた人がいた。愛媛の八幡浜からフェリーで運ばれるのだが、他の乗客から興味深そうにチラチラと見られるのが嫌だったと言っていた。衆人環視にさらされるのはたまらない。

 運転手、刑務官2名、我々3名を乗せた車は、高速道路を使用して一路大分に向かった。途中でトイレタイムがある。運転手が先に降りて、トイレやその付近に、他に人がいないことを確認してから、公衆便所に入る。
 このような場面でも、数珠つなぎ状態のままである。一人が用を足している間、他の二人は腰縄が伸ばされた状態でやや離れて待機し、その腰縄の端を刑務官がしっかりと握っている。

 3時間ほど走っただろうか、大分市内に入り、川を渡ったところを左折すると大分刑務所である。着いてみて非常に驚いた。近代的な建物で見た目は刑務所らしくないのである。
 宮崎刑務所がかなり老朽化していたせいで、その対比という面もあるかもしれないが立派な施設で、変なことかもしれないが、自分はついているなと心底感じた。

 ここで大分刑務所を簡単に紹介しておこう。
 大分刑務所はかつていろいろと問題があったようだが、その反省からか改善がなされ、施設自体も平成20年から改築が始まったようだ。炊場、洗濯、図書、営繕、内装などの工場、考査工場、木工工場、金属工場、畳工場、ミシン工場、ガラス細工工場等々がある。
 聞いたところによれば、独居(単独室という)の割合が多く、入って2~3か月すると独居に移ることができるとの話であった。刑務官も私が知る限り、居丈高とか高慢であるということはなかった。もちろん規則を破れば烈火のごとく怒るが(まったくの勘違いで怒鳴られることもなきにしもあらずであったが)、それは当たり前のことである。

 また、大分刑務所は仮釈放になる確率が高いだけでなく、仮釈放でまけてもらえる期間も長く、3ピンだ4ピンだという噂であった(○ピンということについては別に説明をする機会があると思う)。
 結局のところ、A級であることもあって、優良刑務所であるとされている大分刑務所であった。(つづく)

元記事

第66回 大分刑務所へ

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