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Coccoの天賦の才を如何なく魅せつけた初期の傑作『クムイウタ』

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映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』(岩井俊二監督作品)での好演も記憶に新しいCoccoだが、先頃8月24日にニューアルバム『アダンバレエ』の発売されることが発表された。前作『プランC』から約1年10カ月振りと、彼女のフルアルバムの中では比較的短いインターバルでのリリースで、それゆえにどんな作品に仕上がっているか興味深い。アルバム発売前には『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2016 in EZO』への出演、発売後は全国ツアーも決定しており、こちらも注目したいところだ。今回はそんなCoccoの新作発表を記念して(?)、彼女の過去の名盤をレビューしてみたいと思う。
Cocco『クムイウタ』のジャケット写真 (okmusic UP's)

突出した才能を持った女性アーティスト
いきなり個人的な回顧で恐縮だが、最初に観たCoccoのライヴの印象は相当強烈だった。確か1997年だったと思う。単独公演ではなく、オムニバスライヴだったと記憶している。Coccoがトップバッター。トリがDragon Ashだったと思うので、おそらくレコード会社のライヴイベントだったのだろうが、その他、何組のアーティストが出ていたか、あるいはどんなバンドが出ていたかさっぱり思い出せない。逆に言うと、CoccoとDragon Ashのパフォーマンスが強烈すぎて、それしか頭に残らなかったのだろうと思われる。Dragon Ashは彼らを観るのがほぼ初めてのオーディエンスを前に、それを半ば強引に、それでいて自然と身体を揺らし躍らせるステージを展開し、会場を一体にした。Coccoはその逆であった。オルタナティブというか、インダストリアルというか、エレキギターのフィードバックノイズが強調されたサウンドに、やわらかくもキャッチーで、時にパンチのあるフックを効かせたメロディー。何よりも、ステージ中央から一切動くことなく、迫力ある歌唱を続ける彼女の存在感を前に、自分を含めて観客は微動だにしなかったのである。奇異なものを見つめる感じではなく、畏敬の念に近いものだっただろうか。4~5曲の披露だったが、場内の空気は凛とし続けていた。「彼女をオープニングにしたのは正解。途中で登場していたたら前後のアーティストがかわいそうな目に合っていただろうな」なんて無粋な想像をしたことすら思い出す。MCは一切なく、最後はバンドがアウトロの演奏を続ける中、彼女は何も言わずにステージを去っていった。何かすごいものを観た。感想はそれに尽きた。
今は絵本作家であり、女優としても活躍するCoccoだが、デビュー時はシンガーソングライターであった。それは間違いない。しかし、Coccoは彼女と同時期に登場してきた、後にディーバと言われるような女性シンガーとは一線を画す存在だったと思う。その女性シンガーたちが、歌唱力やパフォーマンスにおいてCoccoに劣っているとかいう意味ではない。当時の女性シンガー群の中でCoccoだけが浮いていた…というとかなり語弊があるかもしれないが、当時の彼女の立ち居振る舞いは明らかに他とは異なるものだったと思うのだ。これまた語弊があることを承知で述べるが、当時の彼女の口調は5歳児のようであり、とても妙齢のお嬢さんのそれとは思えなかった。何しろ、インタビューなどでは、彼女は自身のことを“あっちゃん”と言っていたのである。かといって、天然キャラ(最近この言い方もあまり聞かなくなりましたね)を装っている素振りもない。それでいて、大きな瞳を虚空に向けて歌う歌はこんな内容だった。
《血迷った過ちに/気付いて泣き叫ぶがいい/はり裂けたこの胸に/甘えてごらんなさいな/時間がないわ/跪き手をついて/わたしに謝りなさい/力なくしなだれて/わたしを愛していると/つぶやきなさい。》(デビューシングル「カウントダウン」)。

《私が前触れもなく/ある日突然死んでしまったなら/あなたは悲しみに暮れては/毎晩 泣くでしょう。》《そして灰になった/この体を/両手に抱いて、/風に乗せて/あの海へと/返して下さい。》(「カウントダウン」c/w「遺書」)

オフステージで見せるキャラクターからは想像できないというか、逆に言えば、素朴な少女性を色濃く残すがゆえに正鵠(せいこく)を射ていたというか、いずれにせよ、鮮烈だった。当時、Coccoを「山下清的」と評した方がいらっしゃったが、それも言い得て妙だったと思う。天賦の才を持つアーティストとはそういうものなのかもしれない。

聴き手を選ばない汎用性も高いメロディー
デビュー時のライヴの印象が強いからか、87年のデビューシングル「カウントダウン」、そして1stアルバム『ブーゲンビリア』で彗星の如く現れたものだと思っていたが、調べてみたら、前者はチャート98位、後者は33位と、Coccoはいきなりブレイクしたわけでもなかった。これは完全に筆者の思い違い。2ndシングル「強く儚い者たち」と、それに続いてリリースされた2ndアルバム『クムイウタ』がCoccoを広く世に知らしめるきっかけであったようだ。ちなみに、「強く儚い者たち」はチャートこそ最高位18位であったが、彼女のシングルでは最高の売上枚数を記録。『クムイウタ』は初登場1位に輝いている。やはりCoccoの過去の名盤と言えば『クムイウタ』の名前が挙がるのではなかろうか。
この『クムイウタ』。まずメロディーから分析すると、改めて言うまでもなく、極めてポピュラリティーが高い。かわいらしい童謡風、唱歌風からキレのいいロックまで、楽曲のタイプはさまざまだが、いずれも分かりやすく、キャッチーだ。また、実は意外と癖がない彼女のヴォーカリゼーションにも関係しているのかもしれないが、汎用性が高いというか、聴き手を選ばない印象だ。M8「裸体」ではシャウトがあるものの、こと歌とメロディーに限って言えばエキセントリックな匂いは皆無と言える。

情感あふれる鮮烈な歌詞とサウンド
歌詞はメロディーに乗せず、それ単体で見てもやはり鮮烈だ。

《飛魚のアーチをくぐって/宝島が見えるころ/何も失わずに/同じでいられると思う?/人は弱いものよ/とても弱いものよ》《飛魚のアーチをくぐって/宝島に着いた頃/あなたのお姫様は/誰かと腰を振ってるわ/人は強いものよ/とても強いものよ》(M3「強く儚い者たち」)。

《抱きなれた この体を/探したりしないで/傷つけたこの体を/探したりしないで/吐き捨てた 言葉など/踏みつぶして消して》《もうここには何も/残ってないの/何もないのよ/ただ吐き気がするの》(M8「裸体」)。

《静かに席を立って/ハサミを握りしめて/おさげを切り落とした》《髪がなくて今度は/腕を切ってみた/切れるだけ切った/温かさを感じた/血にまみれた腕で/踊っていたんだ》《今日みたく雨ならきっと泣けてた》《それは とても 晴れた日で/未来なんて いらないと想ってた/私は無力で/言葉を選べずに/帰り道のにおいだけ/優しかった/生きていける/そんな気がしていた》(M11「Raining」)。

大凡、日本のポップミュージック、少なくともガールポップでは、今もあまり見聞きすることがないような内容である。彼女の情念やトラウマを素直に歌詞に委ねたのだろうか。その躊躇ない表現にアーティストとして性根の太さを感じざるを得ないが、これらの歌詞が件のメロディーに乗るからこそ、耳に突き刺さるし、脳天を直撃する。どこまで意識的だったかわからないが、これもポップミュージックの妙味であろう。
その大衆的なメロディーに乗せられた情念やトラウマに彩られた歌詞をドラマチックに仕上げているのがサウンドメイク。『クムイウタ』収録曲はノイジーなギターサウンドが大半。グランジ、オルタナティブと言えば簡単だが、決して耳にやさしいタイプのサウンドばかりではない。だが、そこがいい。歌詞とメロディーだけでもCocco自身が表現したいことは完結するのかもしれないが、バンドサウンド、とりわけフィードバックのノイズの強いギターが世界観をより立体的にしているのは間違いない。絵画に喩えたら、モノクロをカラーにしたようなものではなく、陰影を強くしていると言えばいいか。この辺はプロデューサーであり、全ての編曲を行なっているDr.StrangeLoveの根岸孝旨の手腕によるところが大きいだろう。その素晴らしい仕事っぷりも称えたい名盤である。

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