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どこからが安静? 上の子、仕事…難しい優先順位付け。でも、後悔しないために

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わたしたち夫婦はともに現在37歳。3歳の娘がいます。

女性の自然妊娠の確率がぐっと下がる年齢を迎え、何度も話し合って、

「2人目は欲しいけど、病院に行っての治療まではしない」

と決めていました。

上の子が1歳になる直前にごく初期の流産を経験し、その後もなかなか授からず、

「齢だから仕方がないかもね」

と話していた矢先、妊娠しました。

それは早生まれの上の娘が3歳の誕生日を迎え、春から幼稚園に行くという3月頭。

検査薬で陽性が出て、夫婦で諸手をあげて喜びました。

「前の流産のこともあるし、予定日には38歳だし、もしかしたらぬか喜びになっちゃうかもね。その時は仕方ないけど、来てくれただけで嬉しいね」、と。

ところが、喜んでばかりいられない状況がすぐに訪れました。

我が家にとって、例年3月前半というのは「夫が年間で一番忙しく、育児家事の戦力として全くあてにならない」時期。加えてわたしの仕事(在宅フリーランス)も、年度末でスケジュールが狂いやすい時期。

そして、娘の入園準備でイレギュラーな作業や予定が多発しているタイミングでもありました。

本来であれば、このタイミングは妊娠しないようにすべきだったのかもしれませんが、

「もういい齢だから、先延ばしにしている余裕はない」という気持ちもあり、授かれるのならばいつでも、というつもりでいたのです。

しかし、よりによって、このタイミングでの妊娠。すぐにつわりも始まってしまいました。

「もし授かったらここ」と決めていた、隣駅前の評判のよい産院に予約を入れ、託児室にも申し込み、ただでさえ入園前で不安定になっている上の娘を連れて、自転車を片道20分漕いで受診しました。

やはり妊娠していて、2回目には心拍も確認できました。

2回目の受診前に、おりものにひとすじ血が混じる程度の出血があったので先生に相談すると、

「初期流産のほとんどは胎児由来だからコントロールできない。だからこそお母さんは、できる範囲で安静に。自転車もダメだよ」

とのこと。次の検診は娘の入園後だから、登園中に電車で来ようと思いました。

それからも、日常は変わらぬ負荷で続きました。

夫は朝早く出て夜遅く、娘は遊びたい盛り。入園準備の縫い物や、プレ幼稚園で知り合った新しいお友達と遊ぶ約束もあります。

それらをこなしながら、日中出来ない分の自分の仕事は夜にやるしかない。「普段よりも負荷高め」のなかで、つわりとつきあいつつの「安静」。 関連記事:「まだ大丈夫」と思い仕事へ、そして…「赤ちゃんからのサイン」を見逃してしまった

近居の義父母や、近所の仲のいいママ友に妊娠を打ち明け、早い段階から、例えば上の娘の面倒を見てもらうなどの助けを求めればよかったのかもしれません。

でも、わたしの頭には前の流産のことがありました。

あの時よりも齢を取っているのだから、せめて安定期に入ってから。そう思うと、自分で工夫をするしかない、と思ったのです。

つわりがピークのときは、炊事をあきらめてレトルトやお弁当に。上の娘と遊ぶときも、お腹に力がかかったり、寒い公園にずっといる状況は避ける。

自分の仕事は効率化して、なるべく夜更かししないように。お風呂と各種あったかグッズで冷えないように…。

そうして、なんとか安定期までの日々を乗り切る、つもりでした。

でも10週になる手前、急な出血で受診すると、お腹の赤ちゃんの心拍が止まってしまっていることがわかりました。

心拍停止の確定を次回の検診でするので、それまではいつも通り過ごして、と言われました。

その翌日は、上の娘の入園式。お祝いの言葉に笑顔であいさつを返し、消えないつわりの吐き気とめまいに苦しみながら、更に翌日も父母懇談会に出席し…そして次の検診の前日深夜、お腹が強く痛みました。

覚えのある痛み、陣痛がきた痛みでした。

翌朝、出血に備え当てていた夜用ナプキンの上に、大きめの梅干しくらいになっていた赤ちゃんの袋が出てきてしまっていました。

つぶさないようにそっと包んだ赤ちゃんを連れて、上の娘を幼稚園に送ったその足で産院に行きました。

完全流産でした。 関連記事:めまぐるしく変化する状況に、体も心も必死…妊娠から稽留流産までの1ヶ月

それからしばらく、わたしの頭のなかは「あのときああすれば」「こうしていたら」という後悔ばかりでした。

夫とあれほど「来てくれただけで幸せ。齢だし、過度に期待しない」と言い合っていたにもかかわらず、です。

こんなに後悔するなら、もっと早く身近な人に助けを求めればよかった。もっともっと、赤ちゃん主体で過ごしてあげればよかった。

たとえそれでも悲しい結果になったとしても。

産院の先生が言っていた、『安静に』は、

「安静しかできることがないのだから、悔やまないために全力でそうしなさい」

という意味だったのだと思い知らされたのです。

その後も夫とわたしの方針は変わらず、「授かれば幸い」ですが、もし次があるならば、その時は周りをもっと頼って、赤ちゃんのためにできることをしてあげたい、と思います。

著者:kinoko

年齢:37歳

子どもの年齢:3歳

ワーカホリック状態の20代を経て、30代半ばで育児ワールドへ。これまでの常識を毎日覆されながら、子どもと一緒に成長中…だといいなあ。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。

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