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「30代になり、自分の“役割”変えなきゃなと」人気バンドceroの髙城晶平が阿佐ヶ谷のバーで働く理由とは?

「30代になり、自分の“役割”変えなきゃなと」人気バンドceroの髙城晶平が阿佐ヶ谷のバーで働く理由とは? f:id:tyo-press:20160622213330j:plain

ロート製薬が副業制度を導入するなど、デュアルワークやハイブリッドワークなどの言葉が注目を集めている昨今。しかし、成功したミュージシャンが副業としてバーで接客を行っている、と聞けばきっと驚くはず。

そのミュージシャンの名前は、髙城晶平。2004年に結成され、音楽メディアや音楽ファンのみならずミュージシャンからも高い評価を得るバンド ceroのメンバーだ。彼は人気バンドの主要人物として活躍する一方、阿佐ヶ谷のバー「Roji」では週に1度のペースでスタッフとしてカウンターに立っているのだ。人気番組『SMAP✕SMAP』にも出演するなど高い人気を誇るバンドのボーカルが、なぜバーでスタッフとして働いているのか? その理由をはじめ、音楽との出会い、音楽を仕事にすること、そして自身の思う“役割”について訊いた。

■親のレコードを聴いていた幼少期。しかし思春期に「自分の世代の音楽を見つけよう」と思い立つ。

—ceroは非常に音楽的評価の高いバンドですが、髙城さんの音楽との出会いはいつ頃なのでしょうか?

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それが小学校のときはまったくCDを買ったことがなかったんですよ。レンタルで短冊ジャケの8cmシングルを借りていたくらいで。でも中学のときにようやく音楽に興味を持ち、ゆずが好きになったんです。そこで父親のアコースティックギターを借りて楽器を弾き始めました。これなら自分でもできそうだと思って、すぐに作曲を始めたんです。

—音楽に興味を持ち始めていきなり作曲を始めたんですね。

○○っぽいコード進行というものがあることを知って、ゆずっぽいコード進行でそういう曲を書いてました。廣田(※本記事のカメラマン)とハートフルソング・マーケットという恥ずかしい名前のフォークデュオを組んで、一瞬だけ活動したりもしていましたね(笑)

—そこからceroに至るにはかなりの音楽性の広がりがありますよね。いつ色んな音楽を聴くようになったのですか?

もともと両親が音楽好きなので、家にレコードがたくさんあって、それを聴いていたんですよ。でも思春期の頃に「親の好きな音楽を聴いているのは恥ずかしい。自分の世代の音楽を見つけよう」と思って、ゆずを見つけたんです。だから親のレコードを聴いていたというルーツがあったという部分は、今思えば大きいと思います。

それに僕の中学時代は97〜99年なんですけど、くるりとかナンバーガール、中村一義、椎名林檎が出てきた時代でもあったんですね。そういう音楽もゆずと同時並行で聴いていて、彼らがどんな音楽から影響を受けたのかというのを雑誌で熱心に読んだりして音楽が広がっていきました。

—cero結成までは他のバンド活動もしていたのですか?

高校のときにceroのメンバーの橋本くんとコーヒー・フィルターというバンドを組んで、活動していました。アコギ3人、ベース1人、ドラム1人という編成で。基本的にはまだゆずっぽい曲をやっていたんですけど、橋本くんがフリッパーズ・ギター好きということもあり、ネオアコっぽさもありました。高校の廊下で3人揃ってアコギをかき鳴らすと、すごく倍音がキラキラして、ネオアコのあの感じが出てすごく良かったんですよ。

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■25歳までに成功できなかった焦燥感。亡き父がつないだ未来。

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