ガジェット通信

見たことのないものを見に行こう

対立はいつ終わる?ウクライナから考える悲劇と記憶

DATE:
  • ガジェット通信を≫


Photo credit: Nitta Hiroshi「教会と碑石が多い街、ウクライナの首都キエフ

こんにちは、Compathy Magazineライターの新田浩之です。
以前、ウクライナの首都キエフに1週間滞在しました。ウクライナ人の友人に案内してもらいキエフを堪能したのですが、度々考えることが多くありました。

今回はテレビで話題となったこともある独立広場(マイダーン)と大飢餓博物館について紹介したいと思います。

美しくはかないマイダーンでの夜

キエフ滞在の2日目の夜に、友人と一緒に街を散策しました。そのときは12月初旬。外は寒く道が一部凍結していたので、おそるおそる歩いたのを覚えています。キエフ大学、そしてキエフの大門から丘に上り、多くの観光客が訪れるアンドレイ坂へ。アンドレイ坂を下るとパッと開けた広場に出ました。この広場が数年前のデモで一躍有名になったマイダーン(独立広場)です。

マイダーンには多くのロウソクがありました。「デモの犠牲者を追悼するイベントでもやっているのかな?」と思っていると、赤いロウソクで「1933」という文字が目に飛び込んできたのです。そこで行われていたのは、1932年から1933年にかけて起きた大飢餓政策(ホロドモール)で犠牲になった人々を追悼するイベントでした。

「大飢餓政策」というものを知っていますか? 少しウクライナの歴史を振り返ってみましょう。1922年、ウクライナはソビエト連邦を構成する一共和国となりました。元来、ウクライナには豊かな穀倉地帯が広がり、ロシア・ソ連時代は重要な食糧基地でした。

ソ連政府としてはウクライナから食料を調達することが重要だったのです。ソ連は建国当初から農場の集団農場化を開始。私有性は一切認めず、基本的に農場は国営のものとなりました。当然、農民は集団農場で働くわけですが、収穫物は国家によって強引に搾取されたのです。根こそぎ搾取された農民は飢え死にするしかありませんでした。

ソ連政府はこの誤った政策をウクライナで行ったのです。ウクライナでも強引な収穫物の搾取が始まり、餓死者が続出。農民は土地に縛り付けられ自由な移動ができませんでした。運良く町でパンを入手しても役人に没収されるという状況。。落穂拾いをやるだけでも逮捕されます。

ウクライナの農民はただ飢え死にするしかありませんでした。この政策によってウクライナだけでも、数百万人もの罪もない人々が飢え死にしたのです。

広場にはロウソクが敷き詰められ、本当に美しい光景が作り上げられています。しかし私はこの悲劇を知っていたので、同時にはかなさも感じました。

「美しくはかない」

これがマイダーンを見て思った私の率直な感想です。

Photo credit: Nitta Hiroshi「教会と碑石が多い街、ウクライナの首都キエフ

大飢餓政策とウクライナ紛争は関係ある?

別の日に友人と大飢餓政策を紹介した博物館を見学。博物館では至るところにウクライナ全土の地図があり、大飢餓政策によってどの地域でどれだけの人々が亡くなったか詳細に紹介されていました。もちろん、全土で被害があったわけですが、比較的、東部で犠牲者が多いようでした。

私がそれを指摘すると、友人は以下のように説明したのです。

「大飢餓政策で東部に住んでいた多くのウクライナ人が亡くなった。戦後、多くのロシア人がウクライナに移り住み、そこに居住するようになったんだ。しかし、ソ連時代はロシア語が優勢だったので、彼らはウクライナ語を学ぼうとしなかったんだよ。それが今になって、ウクライナと彼ら(ロシア語系住民)との対立に発展した。バルト3国の状況と同じ。現在のウクライナ紛争と大飢餓政策は関連性がある」

確かにバルト3国では、第二次世界大戦後に移り住んだロシア人と現地の人々(エストニア人、ラトビア人)との対立が今でも続いています。ウクライナのほうでも確かに、そういう流れもあり得るなぁと一人で納得していました。

Photo credit: Nitta Hiroshi「教会と碑石が多い街、ウクライナの首都キエフ

悲劇から生まれる対立はいつ終わるのか

博物館の近くには大飢餓政策を記念した少女のモニュメントが立っています。見るだけで何とも言えない感情になります。数年前にはウクライナとロシアの大統領がこの少女像を訪れ献花しました。しかし、今ではウクライナとロシアは鋭く対立。さらに大飢餓政策を「ジェノサイド(大量虐殺)」と認定するかどうかで、ウクライナとロシアは対立しています。

悲劇はどのように継承されるべきなのでしょうか。どのように和解すべきなのでしょうか。私たちにも無関係な問題ではないと思います。麦を持ったやせ細った少女は、静かに私たちに語りかけています。

ライター:新田浩之

Compathyでこの旅の旅行記を見ましょう

*Nitta Hiroshi「教会と碑石が多い街、ウクライナの首都キエフ
*Shoei Watanabe「2007年 ウクライナ チェルノブイリ

カテゴリー : 生活・趣味 タグ :
Compathyマガジンの記事一覧をみる ▶
  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。

TOP