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梨元麻里奈 亡き父・梨元勝さんへの思いを語る

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 6月の第3日曜日。父の日をあなたはどんな気持ちで迎えますか? 11名が親への思いを語った書籍『親のおくり方』(ポプラ社刊)の著者である根岸康雄氏が、芸能レポーターの草分け的存在だった故・梨元勝さん(享年65)の娘である梨元麻里奈さん(36才)に、父への思いを聞いた。

 * * *
 芸能レポーター、梨元勝。父が亡くなって6年の歳月が過ぎました。幼い私に「麻里奈、こういう男に騙されちゃいけないよ」と当時、プレイボーイと名を馳せた火野正平さんや羽賀研二さんの写真を見せ、諭すように語っていたという父。

 一方で、自らの父親を戦争で亡くし、祖父に育てられた父は、家庭での“お父さん”の振る舞いがわからなかったのでは、と母は言います。女の子は父親との間に溝を作る時期があるものですが、私の場合はそれが長かったんです。中学時代は父との関係が最悪でした。一緒の場に座るのも嫌でした。そんな私に対して、父は「なんだ、その態度は!」みたいな接し方でした。

当時、父が楽しみにしていた冷蔵庫の中のイクラを私が食べちゃったときも、咎められ、私はふて腐れた態度をとったと思います。父が怒って私に箸を投げ、私が部屋に駆け込むと、追ってきた父は部屋のドアを思い切り蹴りました。それで父は足の指を複雑骨折してしまった。「イクラ事件」は思春期の親子関係を象徴する出来事でした。

「あなたの性格はお父さんとそっくり」。それも母の言葉です。父は頑固で、要領よくできないところがありました。私も似ていて、けんかになるとお互いに後に引けなくなってしまう。

 成人して父の個人事務所に所属し、芸能レポーターの仕事をつぶさに見ると、父はこの仕事が好きだし、向いている。天職を得て、恵まれた人生だなと思えるようになりました。

 でも、父との会話があまりなかったのは、けんかになるのを避けたかったからです。根は単純な父なので、言い合いになりそうなときは私が謝ればいいという感じでした。

 2010年6月、末期がんを告知されてからは、病室で注文した宅配ピザを母と3人で食べたり、母の誕生日には、父と企画して、病室でサプライズパーティーをしたりしました。

「本当に家族団らんだね」

 それは2か月半ほどの闘病生活の中で、父がつぶやいた言葉です。父と暮らした時間はたくさんあったのに、家族が本当に絆を感じたのが病室だったことに、私は切なさを感じました。でも、短くてもそんな時を持てたことに、今は感謝しています。

 生前、父と親交のある何人かのかたがたから、「お嬢さんの話をすると顔が全然、違ったね」という話を聞きました。

 私のことを世界でいちばん愛してくれたのは、お父さんだったのかもしれない…。私はそんな実感を抱いています。結婚の報告ができないのも、父ぐらい私を愛してくれる人が見つからないからかもしれません。月日が経っても、父がいない寂しさは募るばかりです。夢の中に出てくる若くてハンサムな父は優しく私を見つめているだけですが、きっと向こうの世界で、私のことを心配しているだろうな。

 父がそうだったように、生き甲斐を持って取り組める仕事に就き、早く「私はもう大丈夫だから」と、夢の中の父に語れるようにならなければ…。私は今、そんな想いを強く抱いています。

【プロフィール】
梨元麻里奈/1980年、東京生まれ。タレント、芸能コメンテーター。1998年にテレビデビューし、バラエティー番組などに出演。2010年11月、亡き父の跡を継いで「オフィス梨元」の代表取締役社長に。芸能を中心にレポートやコラムを幅広く執筆。

※女性セブン2016年6月30日号

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