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日本ロック史における需要バンド、UP-BEATが残した神盤『HERMIT COMPLEX』

去る2016年6月10日。広石武彦(Vo)が自身のwebサイトで新プロジェクト“Respect up-beat”の始動を宣言した。UP-BEATからの影響を公言するHAKUEI(PENICILLIN)やRYO(test-No.、ex.BY-SEXUAL)からのラブコールに応えるかたちでの始動のようだが、11年に立ち上ったup-beat tribute bandを15年に脱退し、「今後私がup-beatの楽曲を実演する機会は未定」と言っていただけに、今回の発表はファンにとってはこの上ない吉報と言えるだろう。test-No.のRYO(Gu)、DEN(Ba)、KAEDE(Dr)に吉田遊介(Gu)と鴇沢直(Key)を加えたメンバーで、8月26日にCLUB CITTA’ にて行なわれるライヴイベント『CHAIN THE ROCK FESTIVAL 2016』に出演。メンバーも含めてそれ以後の動きは未定のようだが、それならば本公演はますます見逃せないところだ。今となっては一般的な知名度はあまり高くないかもしれないUP-BEATだが、日本ロック史における需要バンドである。80年代に彼らが残した音源と共にその軌跡を振り返る。
『HERMIT COMPLEX』('88)/UP-BEAT (okmusic UP's)

90年代の音楽シーンに影響を与えたバンド
一般リスナーからの大きな支持を集めているわけじゃないが、同業者であるミュージシャンから支持されているミュージシャンを“ミュージシャンズ・ミュージシャン”と呼ぶ。海外ではアル・クーパーやニック・ロウ、ジノ・ヴァネリらがその代表格のようだし、日本では(私見だが)キリンジやGREAT3、あるいはthe HIATUSへの参加で一般的な知名度を上げたが、堀江博久らの名前が挙がるだろうか。UP-BEATに関して言えば、アルバムはチャートベスト10入りを果たしているし、ホールツアーはもちろん、大型の野外イベントでヘッドライナーを務めたこともあったと記憶しており、決して人気のなかったバンドではないが、かと言って、誰もが知るようなヒット曲を残したわけではないという微妙な存在であろう。しかしながら、95年の解散以降、第三次バンドブームを彩ったバンドたちの中からその影響を公言し始める者が出てきて、UP-BEATが音楽シーンに残したものが決して小さくないことも分かってきた。その点では、所謂“ミュージシャンズ・ミュージシャン”と少し異なるだろうが、バンドマンたちからリスペクトされる存在であることは間違いない。UP-BEAT フォロワーと言えばPENICILLIN のHAKUEI、GISHO、cali≠gariの桜井青らがその急先鋒(?)だが、もっとも有名なのはGLAYのTAKUROのエピソードだろう。UP-BEATの3rdアルバム『HERMIT COMPLEX』のブックレットには音楽ライターの市川清師氏が手掛けたライナーノーツが掲載されており、それを読んだTAKUROは「メジャーデビューしたら市川清師に解説を書いてもらいたい」と思い、実際GLAYの1stアルバム『SPEED POP』のライナーノーツを市川氏に依頼したという。無論、TAKURO 以外のGLAYのメンバーもUP-BEAT好きを公言して憚らない。
81年に福岡県北九州市で結成されたUP-BEATのメジャーデビューは86年。おニャン子クラブが大ブームとなり、おニャン子関連アイドルがチャートを席巻する一方で、レベッカの4thアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』が当時のロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーを記録した年である。また、この年にCDの生産がLPを上回ったり、TV番組『ミュージックステーション』が放送開始したりするから、まさに邦楽シーンのパラダイムチェンジが起こり始めた時期であった。翌年87年にはBOØWYが大ブレイクから解散を発表。おニャン子クラブも同じ年に解散し、同時にTV番組“夕やけニャンニャン”も放送を終了している。何かが始まり、何かが終わった年であった。「BOØWYはともかく、UP-BEATとおニャン子クラブはまったく関係ないんじゃないの?」と訝しく思われる読者もいらっしゃるかと思うが、かなり薄く…ではあるものの、関係がなくもない。『夕やけニャンニャン』の後番組が『桃色学園都市宣言!!』であったことを覚えている方がどれだけいらっしゃるか分からないが、その番組のオープニングテーマ曲がUP-BEATだったのだ。テーマ曲は月替わりだったので、5thシングル「NO SIDE ACTION」が88年1月期に流れた。UP-BEAT以外にはBARBEE BOYSやプリンセス・プリンセス、THE BLUE HEARTSもテーマ曲を担当しており、番組自体は2クールしか持たなかったが、制作スタッフたちはバンドブームの訪れを敏感に感じていたのかもしれない。ちなみに筆者がUP-BEATを知ったのはこの番組きっかけである。

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