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「敷かれたレールの上は嫌だ」―覚悟を決めた来日 ITで社会を動かす挑戦者

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“仕事をする”ということ――それは、一言でまとめるにはあまりにも多様で、柔軟性のある営みです。新卒でリクルートキャリアに入社した朴は、「そこで働く人たちの仕事のやり方、仕事に向かう姿勢に魅力を感じた」と、当時の志望動機を振り返ります。彼女が自分の心に正直な道の選び方、働き方を見つけるまでには、どんな悩みや葛藤があったのでしょうか。

朴芝恵(パク・ジヘ)

 1989年、韓国ソウル市にほど近い町、水原(スウォン)で生まれる。中学生の頃から日本のファッションや漫画など日本の文化に興味を持ち始める。大学進学を機に来日し、慶應義塾大学経済学部に入学。大学卒業後、「ITの力で社会を動かす」仕事に憧れてリクルートに入社。その後、リクルートキャリアに配属となり、マーケティングや開発ディレクション、アプリの企画などを担当している。

ファッション誌をきっかけに、日本文化に興味を持った。

私、朴芝恵(パク・ジヘ)って言います。名前から分かるかと思いますが、日本人ではありません。出身は韓国の首都・ソウルにほど近い町で、大学進学の際の留学を機に、日本にやって来ました。新卒でリクルートに就職し、今年で5年目になります。

三姉妹の次女だった私のことを、両親からはよく「あなたが一番育てるのが大変だった」と言われます。振り返ってみると、自分でも「確かにそうだったのかも……」と思い当たる節が結構ありますね(笑)。

小さい頃から、なぜか無性に「強くなりたい」という気持ちがあって、一時期テコンドーを習っていました。そのおかげで男の子とケンカをしても負け知らずでした。

小学5年生の時に転校をしたのですが、このあたりから目に見えて成績が上がっていました。3年生でテコンドーを辞めて勉強するようになったら、両親がとても喜んで、そのうち家庭教師までつけてくれるようになっていて。私も期待に応えたいと思ったし、新しい知識を吸収することが純粋に楽しかったので、夢中で勉強に向かっていました。

中学2年の頃から、急激に外の世界が気になって、身なりや異性を気にしたり、市が発行する学生新聞の記者に応募したり、勉強以外のことに興味を持ち始めました。日本文化に興味を持ち始めたのはちょうどこの時期です。とくに日本のファッションが好きで、『Seventeen』は愛読していましたよ。日本語はまだ読めなかったので、写真を見ていただけなのですが(笑)。

「敷かれたレール」から外れる勇気

高校は、外国語の専門学校の日本語科に進学しました。そこでは英語と日本語のほかにも第三外国語の授業があったり、ディベートや発表中心のクラスがあったりと、雰囲気は大学に近いものでした。進学校だったのでレベルが高くて大変でしたが、相変わらず勉強は楽しかったです。とりわけ、それまで関心がなかった政治経済に興味を持つようになって、社会や世界の見え方が大きく変わりましたね。

高校2年生くらいの時から、自分の将来のことを真剣に考えるようになりました。この高校を出たら、このくらいの大学に行けて、そしたらこういう企業に就職できて……いざ想像してみると、すごく現実的な未来が見えてきてしまって。敷かれたレールの上を運ばれるようで、「そんなのイヤだ」って思ったんです。せっかく勉強してきた日本語も、このまま国内にいたら仕事に生かせるレベルにはならない、とも感じていました。

日本への留学を決意したのは、そんな思いがあったからです。両親には止められましたが、「絶対に浪人はしない」という約束で説得をして、必死で受験勉強をしました。進路指導の先生には「大した大学にはいけないだろうな」と言われていたので、余計に燃えましたね。結果、なんとか第一志望だった大学の経済学部に合格することができました。

学生アルバイトでリクルートに出会う

18歳の春、大学進学と合わせて、私の日本での生活がスタートしました。始めは日本語で行われる授業についていけなかったり、日常のコミュニケーションで分からない言葉が多かったり、いろいろと苦労しましたね。けれども、大学2年生にもなる頃にはすっかり日本での生活にも慣れ、授業もアルバイトも卒なくこなせるようになりました。

一方で、最初に日本に来た時のような向上心や緊張感は、すっかり薄れてしまっていたようにも思えます。

転機が訪れたのは、大学3年の初夏。仲の良かった大学の友人がリクルートでアルバイトを始めたんです。そこで携わっている業務や、これからのキャリアプランの話を彼から聞いているうちに、「自分も将来に生きる経験をしたい」と感じて……思いきって「私もそこで働きたい!」と相談したんです。そしたら彼が会社の人を紹介してくれて、私もそこでアルバイト生として働けることになりました。これが、私とリクルートとの最初の出会いです。

リクルートでのアルバイトは、とても自由で刺激的でした。私が配属されたのはリスティング広告を扱う部署で、広告の知識なんて一切ない私に、メンターとなる社員がゼロから丁寧に必要な知識をレクチャーしてくれて。

「じゃあ、ここの広告プランを設計してみようか」と、初めから小さいクライアントの案件をまるっと任せてもらえたのには驚きましたね。普通の社員と同じような扱いをしてもらえたことで、「仕事をする」ということの本質を、なんとなくつかめた気がします。

就活期を迎えて、私は金融や商社を中心に会社説明会を回りました。私が見た限りですが、“一人ひとりの社員の個性を生かす”というよりも、“会社が求めている人材像に社員を最適化していく”会社もあると感じました。そこで初めて、「自由で若いうちから裁量権がある社風」が、当たり前ではないことに気づいたんです。

私は国際経済につながるような仕事をしたいと思っていたので、当初リクルートは志望に入れていませんでした。けれども、先のような気づきがあったので、あらためて就職先としてリクルートに目を向けてみたんです。

すると、募集の中に「ネット領域職種採用」という少し特殊な枠があって、その採用メッセージが「これからリクルートは営業だけでなく、ITの企業になる」「私たちはITの力で社会を動かす」と、とても熱がこもっていて。私はこの熱量とビジョンに共感して、リクルートを第一志望にすることを決めました。ITの専門知識などはまったくない私でしたが、幸いにも面接では熱意を買ってもらえたようで内定が決まり、リクルートに就職することとなりました。

「自らルートを探して、自力で走る」文化

リクルートキャリアへ配属となった入社1年目から、私はラジオ広告の案件など、自社サービスの広告案件を任されました。仕事の作法は手取り足取りメンターが教えてくれたおかげで、とくに大きなミスもなく業務を回すことができました。けれども、この頃の私のやっていたことは「メンターが準備してくれたフルコースのテーブルに、最後にスプーンを添えるだけ」のようなもので。それなのに、仕事の本質がどこにあるのかも考えず、ただ用意されたタスクをこなしているだけで「自分は仕事ができる人間だ」と勘違いしてしまったんです。

思い上がりのほころびは、2年目から少しずつ浮き彫りになっていきました。私は自らの希望で、学生アルバイトの時に携わっていたリスティング広告を担当する部署に異動しました。「学生の時からやってきたことだし、今ならもっとうまくやれるはず!」と思って取りかかったのですが、担当する広告案件の規模は、学生の時とは比較にならないほど大きいところばかり。加えて、担当していた大規模な広告案件は基本的に代理店を挟んでのやり取りになるので、私が学生時代にやっていたやり方がまったく通用しませんでした。

代理店からは「頼りにならない新人」として認識されたことで、私は彼らの提案してくるプランを全部うのみにするしかない状態になってしまいました。数値的な目標は達成していたものの、「私がいる意味はあるのか?」と悩む日々が続き、仕事のモチベーションは落ちる一方。明らかに結果にコミットできていない自分を、社内では誰も指導してくれません。

「何で困ってるのに答えを教えてくれないの?」と、八つ当たりのような考えまで抱き始めていました。この頃は完全に「自分がリクルートを選んだ意味」を見失っていましたね。

次年度に、私は今も所属している開発マネジメントの部署に異動を命じられました。ここで出会った2人の先輩がとても熱い方々で、半ばふてくされていた私の面倒を、熱心に見てくれたんです。

「考え方は教える、やり方は自分で考えろ」「上司の指示を待つな、困ったら何でも聞いてこい」と、私のことを信頼して仕事を任せてくれました。

ああ、そうだ。この会社の人たちは、自分でルートを探して、自力で走るんだ。そういう働き方に憧れて、ここに入ったんじゃないか

――忘れかけていた初心を取り戻したことで、仕事はぐんと楽しく充実したものになっていきました。

ITの力で、社会を動かせる人間になりたい

今、私は就職して5年目を迎えています。直近では企画からエンハンスまで自分の主動で行う、大きなアプリ開発のプロジェクトを任せてもらっていました。

これも上から降ってきた仕事ではなく、自分で「こんなものを作りたい」と上司に提案をして、形になったものなんです。提案するまでは「自分は企画畑の人間じゃないし、ほかの部署も巻き込むような大がかりなプロジェクトになりそうだから、実現するのは難しいかな……」と思っていました。

けれども、上司に相談をしたらすぐに別グループの責任者と話をつけてくれて、私にこう言ったんですよ。「舞台を作るのはオレの仕事だから、お前は走りたいように走れ」って。ちょっとでき過ぎたドラマみたいですよね?(笑) でも私、この言葉を聞いた時、心から「ここに入って本当によかったな」と感じました。

最近では、企画立案のためのビジネススクールに通ったり、他業界の人たちとコミュニケーションを取れる場所に顔を出したりと、“業界を越える”動きをするよう意識しています。社外の人に自分の考えを評価してもらう場に出ると、自分や自社の中で当たり前になっているやり方を、客観的に捉え直すことができます。業界を越えて、さらには国を越えても通用する力を養うには、自社での業務の軸はぶらさずに、他方ではどんどん新しい世界に飛び込んでいきたいなと思っています。

こうして自分の今まで歩んできた道を振り返ってみて、あらためて気づいたことがあります。中学で学生新聞の記者を経験したこと、高校で政治経済に興味を持ったこと、大学で世界の格差社会の原状について研究したこと、就職先にリクルートキャリアを選んだこと、そして今仕事にしていること――。

今思えば、この全部が「ITの力で社会を動かしたい」という今のモチベーションにつながっているのかなって。いろいろと迷走していた時期もありましたが、それでも大まかな方向は間違えていなかったんだと、ちょっと誇らしくなりました。これからも「ITで社会を動かせる人間」になれることを目指して、一歩ずつ前に進んでいきたいです。

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