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トラフィックのライヴバンドとしての実力が発揮された『ウエルカム・トゥ・ザ・キャンティーン』

60年代の半ば、スペンサー・デイヴィス・グループでリードヴォーカルとキーボードを担当し、「Gimme Some Lovin’」や「I’m A Man」などのヒット作で人並み外れたソウルフルなヴォーカルを聴かせ、世界中のロックファンを魅了したのがスティーヴ・ウインウッドだ。当時、彼はまだ16歳ぐらいで、天才少年と呼ばれたが、その後トラフィックを結成し、新しいロックへの模索が始まる。トラフィックは70年代には日本でも人気があったが、今では忘れられている気がして僕としては残念だ。彼らのアルバムはどれも高水準なのだが、今回はスティーヴがクラプトンらと組んだスーパーグループ“ブラインド・フェイス”の解散後にリリースしたライヴ盤『ウエルカム・トゥ・ザ・キャンティーン』を紹介したい。
『WELCOME TO THE CANTEEN』(’71)/Traffic (okmusic UP's)

スペンサー・デイヴィス・グループ
スペンサー・デイヴィス・グループは1964年にデビュー、ブルースやソウル風味のある音楽で人気を得ていた。彼らが世界的な脚光を浴びることになるのが65年リリースのシングル「Keep On Running」だ。この曲で初の全英1位を獲得し、黒人ソウルシンガーのようなスティーヴのヴォーカルが注目を集めることになる。そして、翌年に出た「Gimme Some Lovin’」は、実はソウル曲のパクリなのだが、この曲こそロック史に残るほどのインパクトを与えた傑作であった。「パクリなのに?」と思うかもしれないが、作詞やサウンドスタイルに新しいロックへの示唆がいっぱい詰まっていたのである。それが証拠に、この曲をカバーするミュージシャンは、ブルース・ブラザーズ(映画でも使われ80年に大ヒット)をはじめ、グレイトフル・デッド、AC/DC、ボン・ジョヴィ、アリアナ・グランデなど、未だに数多い。
「Gimme Some Lovin’」の大ヒットで、スティーヴはミュージシャンやプロデューサーから引っ張りだことなり、クリーム結成前のエリック・クラプトンやジャック・ブルースと一緒にパワーハウスというブルースロックユニットを組んでいる。このユニットの残された音源は『What’s Shakin’』(‘67)というコンピレーション盤に収録されている3曲のみしかない。僕が中学生の頃はマイク・ブルームフィールド&アル・クーパーの『フィルモアの奇跡』と『What’s Shakin’』を持っているのがロックファンの証しであった。

トラフィックの結成
パワーハウスのセッションで、新しいロックの誕生を予感したスティーヴは、スペンサー・デイヴィス・グループを脱退、デイブ・メイソン、クリス・ウッド、ジム・キャパルディとトラフィックを結成することになる。
メンバーたちは各々ソロミュージシャンとしてもやっていける力量を持った人材であり、それだけに自己主張が強く、スタート当初からぶつかることが多かった。特にスティーヴとデイブ・メイソンは音楽性の違いが甚だしく、デイブが入退団を繰り返すことになる。揉め事は少なくなかったが、67年に発表したデビューシングル「Paper Sun」(全英5位)と続く「Hole In My Shoe」(同2位)は大ヒットし、1stアルバムの期待は高まっていく。
当時、アメリカではサイケデリックロック(1)の大ブームで、イギリスでもその波は押し寄せている。ビートルズでさえもその影響を受けた『サージェント・ペパーズ〜』(‘67)を制作している時代である。67年の終わりにリリースされたトラフィックのデビュー作『Mr. Fantasy』もサイケデリック風の作品であった。今聴くとサウンドプロデュースは確かに古いが、サイケデリックロックにブリティッシュトラッド(2)の香りを散りばめるなど、スペンサー・デイヴィス・グループの頃のように表面的な黒っぽさと歌の巧さだけで攻めるのではなく、時代の感性をキャッチした新しい“ブリティッシュロック”を生み出しているのはさすがというほかはない。このアルバムには先述したふたつのヒット曲(「Paper Sun」「Hole In My Shoe」)は収録されておらず、“アルバムとして完成度の高い作品”を制作しようとする意気込みは、芸術家としての自負すら感じるほどだ。

トラフィック解散〜ブラインド・フェイス加入〜トラフィック再結成
ミュージシャンとしてのスティーヴの才能はどんどん成長を続けるが、デイブ・メイソンとの確執は根強くあり、続く2nd『Traffic』(‘68)をリリースした後、デイブは脱退、バンドとしても活動休止を余儀なくされてしまう。
そもそも、トラフィックはスティーヴのワンマンバンド的な部分があり、ギター、ベース、キーボードを彼の多重録音で処理していて、この時点でソロになっても支障はなかったはずなのだが、ちょうどこの頃、クリームを解散したばかりのクラプトンとジンジャー・ベイカーに誘われて、ブラインド・フェイスに参加することになったのである。
活動休止後、レコード会社がアウトテイクやライヴ録音などを集めて無理やり制作(でも決して悪くない作品だ)した3rd作『Last Exit』(‘69)をリリースするが、結局ブラインド・フェイスも1枚アルバムを作っただけで空中分解してしまう。スティーヴは再びクリス・ウッドとジム・キャパルディを呼び寄せる。今回はブラインド・フェイス時代の名ベースプレーヤー、リック・グレッチが加入し、ここにトラフィックの再結成が決まった。
第2期トラフィックとしての1枚目(通算4作目)『John Barleycorn Must Die』(‘70)は、ソウルやブリティッシュトラッド風味に加え、ジャズファンク的な要素もある。実験的でありつつポップな部分も感じさせるなど、実に面白いアルバムで、個人的にはロックの重要作の一枚だと考えている。最も初期のフュージョン作品でもあり、スティーヴの天才ぶりがよく分かるアルバムに仕上がっている。

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