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認知症介護小説『その人の世界』vol.14

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こんな屈辱があって許されるはずがない。

誘われるままについてきた集まりだった。祭りで売る小物を作るから手伝ってほしいと頼まれ、断ることができなかった。

まだ誰もいない四人掛けのテーブルに案内されると、少し待つように言われた。私を誘った年輩の女性は緑茶を置くと、人が揃うまで寛いで良いと言い残していった。

だだっ広い部屋にはテーブルがあと四つあった。私の他に三名ほどがまばらに座っていた。テーブルの中央には、皿に盛られたピーナッツとかりんとうが置かれていた。薄皮をかぶったピーナッツはこんもりと積まれ、細いかりんとうはつややかだった。

「おいしそう……」

時計は十時を過ぎた頃だった。少し小腹が空いている。甘いものに目がない私は特に和菓子が大好物だった。私はかりんとうを一本手に取るとそっと口へ入れ、しばらく舌の上で転がした。

「こちらへどうぞ」
声のする方を振り返ると、若そうな女性が何名かを案内するのが見えた。

「よろしくお願いします」
挨拶とともに三名の高齢者が私のテーブルで席に着いた。かりんとうが口に入っていた私は丁寧に頭を下げた。

「あっ!」
大げさな叫び声をあげて私のもとへ駆け寄ったのは中年の女性だった。女性は湯呑みが乗ったお盆を乱暴にテーブルに置くと、正面から私の両肩をつかんだ。

「食べちゃったの!?」

女性は部屋中に響き渡る声で叫んだ。
「誰かーっ! グローブ持ってきてーっ! 早くっ!」

駆けつけた若い男性から受け取ったものを手にはめると、女性は背後へ回って私の口をいきなりこじ開けた。同時に、男性が正面から私の両腕を押さえつけた。何が起こったのか分からなかった。

「あぐっ、うぐっ」
叫ぼうにも声にならない。私の腕を押さえる男性の力はあざになりそうなほどだった。

「あーっ!」
絶叫した女性が私の口から手を抜いた。夢中で抵抗するうち女性の指を噛んでしまったらしかった。

「痛いっ!」
女性は血走った眼で私を見下ろした。
「なっ、なんっ!」
肩で呼吸をしながら私の呂律は上手く回らなかった。

「大丈夫ですか!?」
私の腕を押さえていた男性は、私ではなく女性の心配をした。女性は噛まれた指を胸に抱えて「痛い、痛い」と繰り返した。女性の声で駆け付けた数人の男女は「血が出てる」「うわ、痛そう」「これはロウサイだね」などと口ぐちに言った。

「先に出しちゃったの、誰だよ」
一人の若い男性が責めるような口調で言った。するとすぐさま若そうな女性が肩をいからせた。
「すぐに始められるようにしておこうって自分が言ったんでしょ! 集まってからだと時間かかるからって」
「違うよ。集まったらすぐに出せるようにしておこうって言ったんだよ。誰も先に出しておこうなんて言ってない」
「こんなふうになってから人のせいにしないでよ! 小物の材料のドングリやら木の枝を食べちゃうなんて誰も思わないでしょ! 自分だって先に置いてあったの見てたじゃない!」
「本当は危ないなって思ったけど、言うとまたいろいろ言われるから面倒だったんだよ」
「何それ!」

「もうやめなさい!」
一喝したのは白衣の女性だった。女性は私の正面にしゃがむと、目線を合わせてゆっくりと言った。
「驚きましたよね。大丈夫ですか」

「大丈夫じゃないわよ! 冗談じゃないわ!」
興奮を隠そうともせずに私は怒鳴った。白衣の女性は手に持っていたものを私に見せた。それは私が毎日でも食べたいほど大好物のまんじゅうだった。

「今、お口に入っているものは、とても古くて、お腹を壊してしまうかもしれないんです。そんなものをうっかりお出しして、本当にすみません。代わりにこちらをお持ちしましたので、取り替えて頂けますか」
ゆっくりとそう言って、女性は反対の手にティッシュペーパーを広げた。

「冗談じゃないわよ」
私はかりんとうを指でつまんで口から出し、ティッシュペーパーに乗せた。女性はそのままくるむと、代わりにまんじゅうを私の手に乗せた。

「嫌な思いをさせてしまって、本当にすみませんでした」
女性は深く頭を下げた。
「あのね、あなたが謝るのはおかしいでしょ。謝るならあの女よ。あの女の口に手を突っ込んでやりたいわ。あの男もよ。あの男もグルなんだから」
私は二人を指さした。

「そうですよね……」
女性は困ったような顔をした。私は立ち上がると、二人のもとへ歩み寄った。

「謝りなさいよ!」
私は椅子に座っている二人を見下ろした。女性のほうは誰かに指を差し出し、包帯を巻かれているところだった。女性は目を真っ赤にして私を見上げた。
「被害者はこっちよ」
女性の言葉に私は耳を疑った。

「冗談じゃないわよ! 食べていいから置いてあると思うじゃないの! あなた自分のしたこと分かってないの! どんな教育受けたのか、親の顔が見てみたいわ!」
椅子に腰をかけている女性の真上から私が声を張り上げると、しばらく私を睨み返していた女性が口をへの字に曲げ、目に涙を浮かべた。
「だって、だって……」
「だって、じゃないのよ。泣けば許されると思ったら大間違いよ」

しゃくり上げた女性から言葉はもう出なかった。私は女性の前にかがみ、相手の目を見据えて言った。
「あなたのしたことにどんな理由があったとしても、相手の気持ちを傷つけていいことにはならないのよ。たとえそれが正しくて必要なことでも、あなたが何をしたかではなくて、相手がどう傷ついたかを考えなさい。そのことが本当に分かっていれば、言われなくても謝れるはずなの」

女性は俯いたまま指で目頭を何度も拭った。そのひとまわり小さくなった姿を見下ろすうち、私の心の深いところではさざ波が立ち始めた。私も同じなのではないか。どんな理由があったとしても、私はこの人の指を噛んだのだ。

発した言葉は自分に跳ね返り、胸がじくじくした。その疼きにいたたまれず、私は女性の前にしゃがんだ。

「びっくりしちゃって、何がなんだか分からなかったのよ。痛かったでしょう。ごめんなさい……」
私は女性の顔を見上げた。

「ごめんなさい……。飲み込んだらいけないと思って必死で……」
一番に口を開いたのは、私の腕を押さえつけた男性だった。
「ごめんなさい……。食べられないものを出してしまって……」
先ほど口論していた若そうな女性も首を垂れると、仲間の男女が次々に言った。
「それなら僕も悪いんです。気が付いていたのに何も言わなかったから……」
「私なんて気づきもしなくて、ごめんなさい」
「それなら私もそうです」

「いきなりあんなことをして、すみませんでした……」
最後にか細い声で言ったのは、指に包帯を巻き終えた女性だった。私はその指を両手で包むと、もう一度相手の目を見た。

「こんな手じゃ、何もできないわね。痛いだけじゃなくて、不便をかけるわね。ごめんなさいね」
「私のほうこそ……」
そこまで言って、女性は大粒の涙をこぼした。私はカーディガンのポケットからまんじゅうを取り出すと、包みから出して半分に割った。
「甘いもの食べると少しは元気になるから」

差し出されたまんじゅうを女性が弱々しく受け取り、私は残りの半分を口へ放り込んだ。美味しいまんじゅうだった。

「早く食べないと、取り返すわよ」
まんじゅうを頬張ったまま私が言うと、仲間たちがくすりと笑った。

※この物語は、著者の介護体験をもとに介護現場を舞台に描いたフィクションです。

あとがき

小腹が空いた時、口さみしい時、食べても良いと認識したものが目の前に置かれていたら口に入れたくなるのは誰も同じかもしれません。わたしたちにとって食べられないものでも、認知機能の低下や視覚障害をはじめ、様々な症状を持つ方の目にどのように映るのかはその方にしか分かりません。けれど、記憶を頼りに食べ物だと認識しているのなら、それが何かに見えたのだろうとわたしは想像します。液状のりは、はちみつによく似ています。黒い折り紙は海苔、ふんわりしたティッシュペーパーは生クリームなど。これらは、お年寄りが口にするのを実際に見てきたものの一例です。

命に関わるものは手の届くところに置かないようにするのと同時に、口に入れてしまった場合には冷静な対応が求められます。驚いた相手が飲み込んでしまわないよう、また尊厳が傷つけられないように関わりたいとわたしは考えています。

悲しみや苦しみ、切なさ、喜び、そしてきらめきは、誰もがその人らしさとして持ち合わせ、それは認知症であってもなくても同じです。認知症の真の理解を得るために、物語の力をわたしは信じています。

この記事を書いた人

阿部 敦子

所持資格:介護福祉士、認知症ケア専門士、介護支援専門員。神奈川県相模原市出身。高校卒業後、経理事務を経て医療事務に。保険請求業務よりも窓口で高齢者と関わることに楽しみを見出だす。父親の死により介護を強く意識し、特別養護老人ホーム、訪問介護事業所を経て、現在は認知症対応型通所介護事業所に勤める。認知症ケアに目覚めて今年で12年目。平成25年に相模原市認知症介護指導者となる。認知症に対する理解を広めたいと強く思うようになり、認知症を題材とした小説を書きはじめる。

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