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少女のまま、気だかく年老いたような老女の瞳……『岡本太郎が愛した沖縄』展を見る

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5月の終わり、川崎市の生田緑地にある岡本太郎美術館にでかけた。私は春先にかなり嫌なことが続き、その疲れで心身ともにぐったりしていた。必要最低限のこと以外は、散歩と読書と家庭菜園の面倒を見るくらいしか出来なかった。

具合が良くない時に食べられるものが限られるように、読める本というのも限定される。私が読めたのは、田辺聖子の『新源氏物語』と、河合隼雄の著作本、吉本ばななの小説やエッセイ、そして岡本太郎の『自分の中に毒を持て』だった。

岡本太郎は文章でさえも岡本太郎だ。その中に彼の頭の良さや、世の中に対する洞察や、生きることに真っ当な姿勢が溢れている。私はかなり弱っていたので、以前読んだ時には目につかなかった部分も新鮮に読むことが出来た。

それで、ちょっと調子が出てきた5月の終わり、岡本太郎美術館に行ってみようかなと思ったのだった。

赤、黄、黒…太郎カラーの作品、正反対の作品

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生田緑地に行くのは初めてだった。あざみ野駅からバスに乗り、美しが丘の住宅街を通って、聖マリアンナ医科大学をグルっとして、専修大学入り口で降りた。そこから5分ほど、看板を見ながら歩くと、岡本太郎美術館の『母の塔』が見えた。

わたしが太郎の原画を見るのはこれが初めてだろうと思う。太郎独特の、黒く力強い書道みたいなグネグネした線と、ビビッドなカラーの交じり合いでさえも、濁って汚いというところがない。太郎が勢い良く、ここと決めてザッと描いたであろうあとの、かすれ具合には繊細さを感じた。

太郎カラーとは正反対の、沈んだ暗い色調のなかに浮かび上がるシュルレアリスムの作品も何点かあった。『痛ましい腕』や『夜』の重々しさや憂鬱さ。ギュッと握られた握りこぶしや、迫ってくるような恐ろしげな森を見つめる女性の姿は、明るい色彩で描かれた作品と同じくらい、覗き込みたくなる魅力があった。

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太郎の作った椅子に座って、記念撮影が出来るコーナーもある。太郎の椅子はどれも遊び心いっぱい。手のひらの形をしたのをどこかで見たな、と思ったら、『おそ松さん』の居間にピンク色のがあったじゃないか!と思うのも面白かった。

太郎といえば赤、というイメージが強かったが、黄色を全面に使った作品が特に印象に残った。そばの説明で、武満徹が『太郎は青春を取り戻したのだ』というようなことを書いていたように思うが、それは太郎の赤から放たれる、まぶしい光のエネルギーの色にも思えた。美術館の中には、太郎が演奏するピアノと歌声が響いていた。

太郎が心を揺さぶられた、沖縄の神秘

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企画展は『岡本太郎が愛した沖縄』。太郎が沖縄で、出会った文化や風習に深い感銘を受け、その後の作品にどのような影響を与えたかについてが紹介されている。

太郎が沖縄で撮った写真には、まだ占領下にあり、米軍機が学校に墜落して子どもが亡くなり、本土復帰への声が高まった頃の、沖縄の人びとが写っていた。

特に太郎が関心を寄せたという、久高島の神女『久高のろ』の写真。島で生まれ育ち、結婚した女性だけが参加する、十二年に一度の秘祭『イザイホー』。人が死ぬと風葬にする習わし。既に現在は失われてしまったものばかりだ。

少女のまま、気だかく年老いたような、久高のろの澄んだ瞳。男子禁制の御嶽。映像で見るイザイホーの躍動感は、生と死が近いからこそ立ち現れる、祈りや呪いの底力を感じさせる。自然の営みと、人間の生死がバラバラではなく、一体であることが当たり前に感じられた時代。太郎の言う「日本の神秘」だ。

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