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末期癌の医師・僧侶が解説 「自己執着という毒矢を抜く」

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 2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月であることを自覚している医師・僧侶の田中雅博氏が病床から贈る『週刊ポスト』での連載 「いのちの苦しみが消える古典のことば」。様々な言葉の真意を解説するが、今回の言葉は仏陀による「自己執着という毒矢を抜く」 だ。

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 お釈迦様の最初の説法(初転法輪)の話は、今回で四回目です。自己執着こそが苦であり、その原因が渇愛(生殖・生存・死への本能的な欲求)であることを説いたお釈迦様は、次に苦は消滅するという真実を説かれました。

 吹き消すという意味の梵語を音写(漢字の音で表現)して「涅槃」と言います。苦の原因は渇愛なので、その渇愛が制御された状態が「涅槃」です。原因の渇愛が無くなれば、結果の自己執着も消失します。苦しみの総括である自己執着が空っぽになることは、苦しみが吹き消されたことになるわけです。

 自己執着が無くなった状態を、お釈迦様は「無執着」と言いました。無執着といっても、自己執着が無いという意味であって、自己以外の例えば他人の不幸にも無執着という意味ではありません。実際にお釈迦様は他人の幸せのための利他行を続けられました。

 涅槃は「渇愛を制御して無執着になること」と聞いても、すぐにそのようになれるわけではありません。それで次に「苦の消滅に至る道」という真実が説かれます。これは八正道というヨーガです。八正道については次回にまとめて書く予定です。

 お釈迦様は、戯論(いのちの苦を緩和しない議論)を話しませんでした。これを「無記」と言います。質問に対して回答を避けたということです。「真実」と「無記」について、キリスト教にも関連した話があります。

 新約聖書ヨハネによる福音書十八章によると、逮捕されたイエス・キリストはローマ帝国ユダヤ属州の総督ピラトに対して「真実」という言葉を使います。ピラトはイエスに「真実とは何か」と問います。これに対するイエスの答えは無記、つまりその先の記載が聖書には無いのです。真実は言葉で議論することではなく、行為を導くものなのです。

「無記」については、お釈迦様の「毒矢の譬喩(ひゆ)」が有名です。祇園精舎でマールキヤプッタ修行僧が、(1)世界について(永遠か否か、有限か無限か)、(2)いのちと身体について(同じか別か)、(3)人の死後について(存在するか否か)等の質問をしました。

 修行僧に対してお釈迦さまは譬喩を用いて、それらの質問に答えないことを示しました。毒矢で射られた人が、この毒矢を射た人について(身分・名・身長・肌の色・住所など)、弓について、弦について、矢について、等がわからないうちは毒矢を抜いてはならないと言ったとしたら、その人は答えを得る前に死んでしまう、先に毒矢を抜く治療が大事なのです。

 つまり、修行僧が尋ねたことは、いのちの苦しみを消すことに役立たず、逆に妨害になってしまうのです。お釈迦様は、修行僧に自己執着という毒矢を抜く治療(四諦)を説いて、戯論を禁止したのでした。

●たなか・まさひろ/1946年、栃木県益子町の西明寺に生まれる。東京慈恵医科大学卒業後、国立がんセンターで研究所室長・病院内科医として勤務。 1990年に西明寺境内に入院・緩和ケアも行なう普門院診療所を建設、内科医、僧侶として患者と向き合う。2014年10月に最も進んだステージのすい臓がんが発見され、余命数か月と自覚している。

※週刊ポスト2016年6月10日号

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