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大病乗り越えた三宅裕司が語る「『東京の笑い』を残す使命」

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『熱海五郎一座』の新作舞台「熱闘老舗旅館 ヒミツの仲居と曲者たち」が、6月3日に新橋演舞場で初日を迎える。一座を率いる人物は「熱海五郎」ではなく、三宅裕司(65)だ。

「正式名称は伊東四朗さんを座長とする『伊東四朗一座』なんですが、伊東さんが参加できない場合は“伊東”ではなく“熱海”、“四朗”ではなく“五郎“となるんです」

 三宅はあるコント番組で伊東と共演した際、伊東から「やけに“間”が合うね」といわれて意気投合。

「伊東さんは落語や歌舞伎に造詣が深く、僕が大学の落語研究会出身だったのでリズムが合ったんでしょうね。それ以来、伊東さんの誘いで一緒にコントの舞台をやるようになりました。そこでいろいろと教えていただき、また、笑いに対する根本的な考え方に共感できる部分も多かったので、今度は僕から『一座を作りましょうよ』と提案し、2004年に『伊東四朗一座』を立ち上げたんです。

 僕はとにかく舞台で喜劇をやりたかったし、伊東さんがやられてきたことがテレビではどんどんできなくなってきてもいたので、これは一緒にやらなきゃいけないと思いました」

 喜劇役者を目指していた三宅が自ら主宰する劇団『スーパー・エキセントリック・シアター(SET)』を旗揚げしたのは、1979年のこと。テレビではその2年後に『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)が始まり、やがて同時間帯の超人気番組だったザ・ドリフターズのコント番組『8時だョ!全員集合』(TBS系)の視聴率を抜く。

「この頃からテレビの笑いが変わりました。それまでは作り上げたコントを見せる番組が多かったけど、もともとテレビはそれが嘘っぽく見えてしまうメディアだったんでしょうね。次第に、芸人たちの舞台裏を見せるドキュメンタリー的な笑いが主流になったんです」

 一方、劇団を旗揚げしたものの三宅は喜劇役者としてテレビに出る機会がなかなかなかった。そこで世に出るために挑戦したのが、ラジオのパーソナリティとバラエティ番組の司会だった。

「もともと劇団の知名度を上げたくて始めたんですが、司会の仕事が次々と決まってくるようになったんです。結果的に劇団の知名度を上げることにつながったので良かったんですが、当時は本当にやりたいこととの違いに悩みました」

 三宅が一貫して追求するのは“東京”の喜劇だ。

「大阪発の笑いと区別するという意味で、僕らの笑いは“東京喜劇”と呼んでます。大阪の喜劇は出演者一人一人に持ちネタがあって、それをつなげていくところに特徴がありますよね。だけど僕らは、まず2時間半のストーリーがあって、その設定の中に笑えるネタを織り込んでいく。伊東さんは、『シリアスな芝居ができないと笑いはできない』という考え方なんです。だから、シリアスに演じれば演じるほど笑いが生まれるような設定を作れるかどうかが勝負。

 それに加えて、僕の場合は音楽が大事ですね。『SET』でも“ミュージカル・アクション・コメディ”をコンセプトにしていますが、ハイレベルなかっこいい音楽とコメディのズッコケ感の落差が大きいほど、面白いものになるんです」

 音楽好きが高じて、学生時代からの夢だったビッグバンド『三宅裕司& Light Joke Jazz Orchestra』を2007年に結成。マイルス・デイヴィスの曲に島倉千代子の『人生いろいろ』のメロディをのせるなど、こちらも音楽とコメディの融合で観客を楽しませている。

 舞台や音楽活動に加え、テレビやラジオの司会業でも多忙を極めていたが、60歳の節目を迎えた5年前、椎間板ヘルニアと脊柱管狭窄症で緊急手術。予定されていた舞台の仕事はすべて中止され、リハビリに専念せざるを得なくなった。

「医者は僕には直接いわなかったけど、事務所には『脚が完全に動くようになるかどうかわからない』と告知していたそうです。何か月も入院している間、自分は何のために生かされているのかなということを、ずっと考えてました。

 そこで強く思ったのが、やはり東京の笑いを残すことだったんです。ちょうどリハビリを終えて復帰した翌年に『熱海五郎一座』が10周年を迎え、念願だった新橋演舞場での公演を果たしたこともあり、今はこれをやるために生かされていると確信しています」

『熱海五郎一座』の仕事は1年がかりだ。今回の新作も1年前から作家とのやり取りを何度も繰り返してあらすじを練り上げ、4月下旬にようやく台本が仕上がった。

「新橋演舞場での公演はこれで3年目。1年目はすごく評判が良くて、『これはマズいぞ』と思ったんですよ。次はそれ以上のものを作らないとダメだから。テレビやラジオは『先週のほうが面白かった』といわれても翌週にすぐ挽回のチャンスがありますけど、これは年に一度ですからね。去年のほうが良かったといわれると、悔しさを1年間引きずるわけですよ。でも幸いなことに2年目の去年も好評だったので、今回はさらに必死です(笑い)」

 稽古を始めた5月に65歳になった。体力的に厳しい舞台の仕事を続けるために、減量をはじめとする体調管理に努める日々だ。

「継承者が育つまで、音楽と笑いの東京喜劇をやり続けないといけませんからね。伊東さんは、脳が老け込むと台詞が覚えられなくなるからと、円周率を1000桁まで暗記したそうです。僕も見習って、せめて80歳までは舞台に立っていたいですね」

◆みやけ・ゆうじ/1951年5月3日生まれ。東京都出身。1979年に劇団『スーパー・エキセントリック・シアター』を結成し、同舞台のほか、ラジオMCやバラエティ番組の司会、ドラマ、映画など多方面で活躍。現在、『健康カプセル!ゲンキの時間』(TBS系、日曜7時~)、『三宅裕司のふるさと探訪』(BS日テレ、火曜21時~)、『にっぽん真発見』(BSジャパン、日曜21時~)、『助けて!きわめびと』(NHK総合、土曜9時30分~)、『三宅裕司 サンデーヒットパラダイス』(ニッポン放送、日曜9時~)などにレギュラー出演中。座長を務める舞台「熱海五郎一座 熱闘老舗旅館 ヒミツの仲居と曲者たち」が6月3日より新橋演舞場で上演される。

撮影■菅野ぱんだ 取材・文■岡田仁志

※週刊ポスト2016年6月3日号

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