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第60回 拘置所生活の終了

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 最初に拘置所に入ったのは証拠隠滅事件の被告人として、2回目は証人威迫事件の被疑者・被告人として、3回目は地裁の実刑判決による収監の3回である。
 いずれも宮崎拘置所(刑務所)である。

 最初の拘置所生活は、どうせ裁判では無罪に決まっていると高をくくっていて、この機会に拘置所生活を体験してみるのも、将来何かの役に立つかもしれないと、興味津々での入所であった。もちろん、腸は煮えくりかえってはいたが。
 11月に宮崎北警察署に入り、12月に拘置所に入って、保釈で出たのは1月下旬であった。

 起訴後、弁護団が幾度かの保釈申請を行い、やっとの思いで保釈が許可された。アメリカ並みにすぐに保釈というわけにはいかない。アメリカでは保釈中に逃亡する者が多いというが、それにしても日本の保釈は難しい。
 保釈には原則としての権利保釈と例外としての裁量保釈とがあるが、これまでの弁護士生活で権利保釈など見たこともない。被疑者勾留期間にしろ、保釈にしろ、刑事事件ほど原則と例外がひっくり返っていることはない。

 弁護団も幾度もの保釈申請を出すのには苦労したと思う。とにかく申請書記載内容が前のものと同じというわけにはいかないので、どのように記載するかで苦労をするからだ。

 弁護団との接見や私自身の経験からして、1月下旬に保釈になることは予想できた。間もなく保釈だという日には、念入りに居室を掃除し、面倒見さんに迷惑にならないように気を付けた。
 保釈当日、面倒見さんに、布団カバーなどはどうするのかを聞いたが、「先生、そのままでいいですよ。よかったですね。大体この事件自体おかしいですよね。」と声を掛けられ、保釈になることはもとより、その言葉が非常にうれしかった。

 2度目の勾留生活は、10月から12月下旬までの3か月であった。最初と異なり、検察官逮捕であったことから、留置場には行かず、逮捕から拘置所での3か月となった。このときも、保釈申請が幾度も却下され、やっと保釈となった。
 前にも書いたかもしれないが、死刑判決で上告していた人から、お節料理を一緒に食べようと声を掛けられたのに対して、保釈で年内に出るよと答えたのだが、そのとおりになった。

 保釈となる日がほぼ決定していたある日に、宮崎の先生が接見に来て、夜中でも保釈で出ることができますが、どうしますかと聞いてきた。東京では考えられないことであって、その点では宮崎は柔軟な対応をしている。
 東京であれば夜中でもいいのだが、辺鄙なところにある宮崎拘置所なので翌日でいいと答えた。官製談合事件の元宮崎県知事は夜中に保釈となったそうだ。

 3度目は、一日入所である、宮崎地裁で有罪実刑判決となり、収監されたのだが、このときは、さすがにその当日に提出した保釈申請が認められ、その当日に出た。

 最後の一日だけの収監を除いて、拘置所では寒さがこたえた。しかし、それ以上に私を悩ませたのが、蜘蛛である。どんなに小さい蜘蛛であろうと、私は大の苦手である。
 宮崎拘置所は古い建物であるせいもあり、隙間だらけであって、その隙間から冬であっても、居室内に蜘蛛が入ってくる。窓には蜘蛛の巣が張り付いて、幾匹もうごめいている。

 願を掛けて、殺生をするのは控えていたが、たまらない。夜中に布団の中にでも入ってきたらと想像するともうダメである。
 左手にちりとり、右手にほうきを持って、蜘蛛を追い掛け回して、拿捕した上で、食事の出し入れ口から退去してもらった。窓の隙間には、ちり紙で目張りをして、中に入らないようにするといったこともした。

 寒さと蜘蛛に悩まされたことだけが、よく印象に残る拘置所生活であった。
 次回からは、刑務所生活を書くことにする。(つづく)

元記事

第60回 拘置所生活の終了

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