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『とと姉ちゃん』大橋鎭子さんを『家族という病』著者が語る

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 NHK朝の連続テレビ小説『とと姉ちゃん』。昨今の朝ドラは「夫婦」に焦点を絞るものが多かったが、今回は家族を主題にしたドラマとなっている。そんな『とと姉ちゃん』のモデルとなったのは、『暮しの手帖』を創刊した大橋鎭子さんだ。作中では家族の大切さについて描かれることが多い。その大橋さんと30年近くの親交があったという『家族という病』(幻冬舎新書)の著者・下重暁子さん(79才)に話を聞いた。

 * * *
 私は大橋鎭子さんが60代の頃から3年前に亡くなるまで30年近くのつきあいでした。暮しの手帖社から2002年に写真集『藍木綿の筒描き』を出版したときも大橋さんにお世話になりました。著者と編集者という間柄でしたが、仕事が大好きな人で、経営者と同時に最後まで現役の編集者でした。

 写真集を作るときも“写真を効果的に見せるにはページの右側よりも左側に配置したほうがいいから、左にいい写真を使おう”とか、細かいところまで全部神経を使って、ご自分でちゃんとやってくださいました。もちろんカメラマンや他の編集者もいましたが、彼女のおかげですごくいい本になりました。

 彼女は『暮しの手帖』の創刊者でしっかりしていらっしゃったけど、お茶目でかわいいところがある人でした。

 大橋さんが1994年に東京都文化賞を受賞したとき、みんなでお祝いの会を開いたんですが、ちょうど5月のバラの咲く時期だったので、“5月のバラの会”と名づけたんですよ。

 大橋さんはその会があまりに楽しかったから、またやりたくて仕方がなかったんでしょうね。「毎年5月にバラの会をやりましょう」って言うのよ。もともとは受賞のお祝いの会なのにみんなに会いたいから毎年、亡くなる間際まで開催したんですよ。

 会には、大橋さんを慕って全国や海外から少なくとも100人、多いときで200人が集まりました。交流があった著名人や編集者だけでなく、一緒に記事を作っている地方に在住のライターも参加しました。

 ライターはみんな大橋さんファンで、大橋さんもとてもかわいがっていたの。だから、編集者も社員も家族なら、ライターも家族。大家族ですね。子供のときにお父さまを亡くされて家長になった大橋さんですが、社長になってからも同じように家族を作って家長になったわけです。

 家族といえば、『家族という病』(幻冬舎新書)の反響があまりに大きく、続編『家族という病2』を4月に出しました。私もあんなに売れると夢にも思っていませんでした。

 今まで人にしゃべったことのない自分の家庭環境や、つらいことも覚悟して書いたので、“うちもそうなのよ”という感じで人の心を掴んだのでしょう。

 家族は美しいものであるという幻想に苦しめられている人は多いと思います。家族の姿は人それぞれです。100の家族がいれば100通りの家族がいるのに、“家族は温かいもの”というイメージを持ち、“みんな同じでなければいけない”と思い込んでしまう。

 人に個性があれば、その集まりである家族にも個性があるのが当たり前。なのに、人と比べて、“うちは特殊じゃないか”“恥ずかしくないか”と考え、いい家族を装ってしまう。だから、家族に対しての不満がどんどん大きくなって、ある日突然爆発してしまうのです。

 大切なのは、もう一度自分たちの個々を見つめ直して、家族を見つめ直すこと。 “お父さん”“お母さん”“子供”といった名前がない役割ではなく “○○さん”という一人の人間として理解すること。それが家族とつながる方法です。

※女性セブン2016年6月2日号

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