ガジェット通信

見たことのないものを見に行こう

左とん平 いくらセリフ上手くたって味のない役者はダメ

DATE:
  • ガジェット通信を≫

 喜劇役者としてはもちろん、音楽的再評価によって音楽好きな若者からも知られる存在となっている左とん平。左が語った若手時代の思い出と、芝居について語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』からお届けする。

 * * *
 左とん平は1957年に作曲家・三木鶏郎の劇団に入団する。その後、新宿コマ劇場の舞台に立つようになり、喜劇役者としてのキャリアを積んでいった。

「子供の頃は赤面症だったんだよね。人と話をすると、なんとなくあがっちゃうような。それが、クラス会で落語のものまねみたいのをやったらウケたんだ。それで『あれっ、俺は才能があるんじゃないか』と勘違いして、コメディアンになりたいと思うようになって。

 新宿コマでは大部屋から始まったんだけど、誰も師匠がいないからね。それで、先輩たちの芝居を袖からずっと見ていた。タダで修業できるんだから、こんなにいいことはないって感じでね。特に参考になったのは、脱線トリオの八波むと志さん。歯切れのいい、テンポのいい芝居が好きで、それをマネしてた。
 
 特訓するとかいうんじゃなくて、体に染み込ませて自分が芝居した時にバッと出てくる感じというのかな。だから、今でも若い奴らには『人の芝居を見て勉強しろ。誰も教えてはくれない』と教えてます。

 その後は、三木のり平さんに傾倒した。のり平さんには『お前、ちょこちょこ笑わせすぎだ』と言われました。『それを一つにまとめて大きな笑いをとれ』と。

 そのために大事なのは『伏線だ』とのり平さんは言います。伏線を張っておいて、そこから大きな笑いへと?げていく。あざとい芝居して小さく客を笑わせたとしても、それは失笑みたいにしかなってないんだよね」

 1960年代にはクレージーキャッツやドリフターズのコメディ映画に出演するようになる。その時に参考にしたのは、森繁久彌の演技だったという。

「のり平さんは舞台はいいけど、映画はあまりね。顔の印象が強すぎるんだ。舞台だとあの顔が物凄くいいんだけど、映像になると邪魔になる場合がある。

 森繁さんは舞台とはまた違う、『映画的な喜劇』をやっていた。本人は喜劇っぽくやっていないのに、見る方からすると喜劇に見えてきて面白く感じてしまうという。『夫婦善哉』とかね。自然と喜劇になっている。あれでかなり勉強になりました。

 そういうのが本当の喜劇じゃないかと思う。チャップリンでいうと、若い頃のよりも晩年の『ライムライト』みたいなのが真髄なんじゃないかな。どこかペーソスが漂うような芝居。だから僕は、喜劇は悲劇の裏返しだと思っている。泣いて笑って……っていう芝居が、一番好きなんですよ」

 森繁とはその後、舞台でも共演するようになる。

「森繁さんはセリフが分からなくなると、前に出る。プロンプが後ろにいるんだから下がればいいのに。のり平さんは下がる人でした。森繁さんが言うには『のりちゃんは芸人だけど、俺は芝居の教祖だ』と。教祖だから自分が『分からない』という素振りは見せずに、相手が間違えているように見せるんだ。

 まあ二人ともセリフの覚えは悪いですよ。でも、それが味になっちゃうんだ。いくらセリフを上手く言ったって、味のない役者はダメだということを教えられました」

●かすが たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』(文藝春秋)、『なぜ時代劇は滅びるのか』『市川崑と「犬神家の一族」』(ともに新潮社)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館)が発売中。

◆撮影/藤岡雅樹

※週刊ポスト2016年5月27日号

【関連記事】
寺田農 「役者もオモシロい」となった三木のり平との思い出
手が汚れず簡単とネットで話題の「おにぎらず」作り方を紹介
吉本新喜劇の衣装 芸人ごとに整理された数万着の中から選択

NEWSポストセブンの記事一覧をみる ▶
  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。

TOP