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【おもいでタイムライン】第6回:1996〜1993年、「携帯」から「ケータイ」に

1995年の暮れ、Microsoftから発売されたWindows 95を買い求める人々。その光景はメディアでも大々的に取り上げられた
写真提供:朝日新聞社

日本で初めての携帯電話「ショルダーホン」が発売されてから、約30年が過ぎました。そして携帯の進化と同時に、私たちのコミュニケーションも大きく変化してきました。携帯電話の歴史は、コミュニケーションの変遷の歴史でもあるんです。

では、一体どんなふうに変化してきたのでしょう?

TIME & SPACEがお届けする、携帯電話の歴史30年を振り返るサイト「おもいでタイムライン」連動連載の第6回は、1996〜1993年までさかのぼってみましょう。

■おもいでタイムライン
http://time-space.kddi.com/omoide

「携帯」という言葉は、本来は「身につけたり、手に持ったりすること」という意味。ですが、いつのころからか「携帯電話」を指すようになりました。

そもそもは多忙なエグゼクティブが、いついかなる時でも連絡を取れるように活用し始めたビジネスツールでした。が、この時期、同じく単なるビジネスツールだったポケベルが女子高生のコミュニケーションツールとして人気を集め、携帯電話も若者たちにとって憧れのアイテムへと変わってきました。そして、契約の方式や料金形態が見直されて現実に手が届くようになってきたのもこの時代。「ケータイ」は「家の電話から家の電話」に縛られていた若者たちの通信スタイルを一気に自由にしたのです。

かつて、ある著名な小説家が主張したことがあります。「略するのであれば”携電”とすべきだ」と。「ケータイ」だと、「電話」の要素がなくなってしまうから。でも実は「ケータイ」で正解だったのかもしれません。携帯電話はこの時、単につながって話せればいいというだけの存在ではなく、さまざまな特徴を持ち始め、特殊なデバイスへと変わり始めていたから。

携帯電話はすべて「レンタル」だった!

携帯端末売り切り制がスタートした当時の、旧IDOの店舗(写真提供:朝日新聞社)

みなさん知ってます? 1993年ごろ、携帯電話って全部レンタルだったんです。保証金や加入料が必要で、携帯電話の基本使用料も1万円以上。通話料金も今よりもグッと高くて、まだまだ携帯は「特別なもの」だったんです。

変化が訪れたのは94年。携帯端末売り切り制がスタートして、好きな機種を自由に”買える”ようになりました。保証金は不要になりましたが、それでも加入料が3〜4万円、端末の価格は10万円前後、さらに諸経費で、携帯電話を持つための初期費用はおおよそ15万円ほどかかったものです。

この頃、若者たちのコミュニケーションツールの中心はポケベルでした。「0840」とか「114106」とか「33414」とか、いわゆる「ポケベル打ち」でメッセージを送り合いましたよね? 分かります? 「おはよう」「あいしてる」と「さみしいよ」です。その後、ポケベルは日本語を表示できるようになり、恐るべきスピードでプッシュホンから入力する超絶技巧の女子高生なども現れました。そうそう、ドラマ『ポケベルが鳴らなくて』とその主題歌がヒットしたのが93年でしたね。

当然ですが、ポケベルって受信専用。受け取ったメッセージへの返信を相手のポケベルに、また暗号やらカタカナやらで打ち返していたわけです(「ベル友」なんていう呼び方もありましたね)。そんな若者たちへの救いの手となったのがPHS。彼らはピー・エイチ・エスとは呼びません。「ピッチ」です。念のため発音は「ピッチ(↓)」ではありません。「ピッチ(↑)」です。

そして一気に加入者が増えた。

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