ベビーカーのマナー問題。自分が使う立場になってわかること、それでも気をつけたいこと


筆者がベビーカーのマナーについて最初に認識したのは10年近く前。
まだ独身のころであった。 仕事で遅くなって乗った、22時台後半の、りんかい線。
テーマパーク帰りのご一行が、向かい合って座席に座り、通路の両方にベビーカーを止めていて幅を狭めていたのだ。
・こちらは残業でぼろぼろになって乗っている電車に、浮かれたご一行が乗っていること
・こんな遅い時間まで子どもを引っぱりまわしていること
・そもそも邪魔じゃね?
この3条件が合わさって、私は非常にいらいらしていたことを覚えている。
自分が“そっち側の人間”であったことから、はじめての子どもが生まれたあとには、子ども連れの外出において大変気を遣い、神経がすり減った思い出しかない。
「ベビーカーが邪魔だといわれるのではないか」
「そもそも子連れが電車に乗るなと怒られるのではないか」
考えすぎて少々おかしくなった私は、
「そうだ、いかついヴィジュアルになっておけば誰も文句をいわないのではないか」と、できるだけライダースジャケットなどのハードなファッションをし、
「近づいたら殺す!」
という顔をして電車に乗り込んでいた。
今考えると、完全にやりすぎな例である。
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■「自分ごと」になってはじめて見えるベビーカーのありがたみ
子どもが身近にいない人にとっては、
「抱っこ紐で移動してるのになんでベビーカーも持っていくんだ!」
と思うだろう。
しかし、自分がその立場になって、はじめてわかることがあった。
子どもは親の思い通りに動かない。
「あるく!だっこいや!(暴れる)」→ハイハイ、そうですか、じゃあ、歩こうね
「あるくのいや!(暴れる)」 →ベビーカーに乗せる
「ねむたくない!ねないの!(暴れる)」 →抱っこ紐に入れる
「だっこいや!あるく!(暴れる)」
…このループに陥ったら、コテンと寝るまで戦わねばならない。
そして、寝た子は重い。
子どもが1歳近くなると、腰を痛めてしまう親御さんを何人も見たし、現在筆者も通院中のみである。
夫もヘルニアになった。 ベビーカーがないと、親は死んでしまうのだ……(体力的に)。
■「自分ごと」になったからこそ見える、それでもマナーが気になる例
Twitterなどで一方的にベビーカーが叩かれているのを見ると
「おいおい、やってみないとわからないような事情もあるんだよ」
とつっこみたくはなるが、それを差し置いても
「これはちょっと……」
という場に遭遇することもある。 たとえば冒頭で紹介したような、通路を完全にふさぐ位置にベビーカーを置いてしまうパターン。
グループで浮かれて盛り上がってしまうこともあろうが、誰かは冷静に判断していたい。
“ベビーカーで寝てしまった子を混んだ電車に乗せなくてはいけない”
このパターンが一番悩むところであるが、寝た子を起こしたときのぐずり、引き受けるのは最終的に親なのである。
できればそっとしておきたい。
起こしても地獄、そのまま乗車しても地獄……と、誰も幸せにならない。
結構な大きさの幼児が寝てしまった場合はさらに最悪だ。
重いから抱っこもままならない。
混んでいない時間帯を選んでも、トラブルなどでうっかり混んでしまうこともある。
これは誰が悪いということはないのだ。
「すみません!すみません!」
と言いながらがんばって乗ってしまうか、観念して別の交通機関を選択するという手も。
しかし、ベビーカーから降ろしてタクシーに乗せても同じ結果が待っているので、起きるまで待つのが一番賢明なのかもしれない。
そして、混んだ電車にも関わらず“荷物だけ積んだ空のベビーカーを広げたまま乗車してくる”というケースをたびたび見かける。
これはさすがにいただけない。