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2012年・台湾の「尖閣抗議団」が反日ではない理由

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 領土問題は日本を悩ませる大きな外患で、反日感情の素地でもある。中国や韓国が、当事者との真摯な解決よりも、政治目的と絡めて交渉を求めがちな点も、日本の世論に抵抗感を覚えさせる。

 一方、過去に日本の植民地支配を受けた台湾も、中韓と同じ文脈で語られることが少なくない。だが、ノンフィクションライター・安田峰俊氏の現地取材からは、「反日」だけでは説明できない側面も見えてくる。

 * * *
「地元の港も漁会(漁協)の組織も、日本統治時代に日本人が整備しました。様々な漁の方法も、日本から教わったと聞いています」

 台湾の東北部・宜蘭県蘇澳鎮(すおうちん)で、漁会に勤務する地元出身の李忠衛氏はそう話した。

 台北市内からローカル鉄道に揺られること2時間。日本領の与那国島から100km程度しか離れていない漁師の村である。港には大小の漁船が係留され、「祝・大漁」の旗が翻る。ひときわ目を引く緑色の船舶群は、40年ほど前に日本から購入したという。

「村には、幕末に薩摩藩からお忍びで派遣された西郷隆盛が、半年間暮らして子どもをもうけていたという伝説も伝わっています。もともと日本との縁が強い場所。僕自身も、日本の台湾統治には肯定的な面もあったと考える立場です」

 だが、そんな李氏もまた、かつて2012年秋に尖閣近海で領海侵犯をおこなった台湾籍の抗議漁船団に乗船。多数の現場写真をネットに投稿するなど、積極的に活動を支持した経験を持つ。

「蘇澳鎮の漁民たちにとって、あの運動は漁場を守るためにおこなったもの。対日感情とは無関係でした」

 そう語る李氏とともに港を歩く。カメラを手にした私に、船上の漁師たちが笑顔でピースサインを送ってくれた。そんな彼らの船も、当時は尖閣近海に「出撃」していたという。

 領土問題という言葉がはらむキナ臭いイメージに対して、その震源地のひとつであるはずの蘇澳鎮の雰囲気は、なんとも呑気なものだった。

◆中国共産党とは共闘せず

 ここで、尖閣諸島(台湾名:釣魚台)をめぐる日台間の諍いをおさらいしておこう。

 2012年9月、当時の野田内閣が打ち出した尖閣諸島の国有化方針に反発し、中国では大規模な反日デモが起きた。一方、同じく島の領有権を主張している台湾でも抗議の声が上がり、「保釣」(尖閣防衛)を訴える政治団体のデモも発生した。加えて、これらの団体以上に強硬な姿勢を見せていたのが蘇澳鎮の漁民たちだった。

 同月24日、中華民国国旗を掲げた漁船70隻以上が、「生存のために漁業権を守る」をスローガンに蘇澳鎮を出港。うち一部は翌日、台湾側の巡視船6隻の護衛を受けて尖閣沖の日本領海に侵入し、海保船舶の放水を浴びた。中国の反日デモと足並みをそろえているかに見えるが、実は背景はより複雑だった。

「台北市内でデモを組織した政治団体の動機と、漁民たちの動機にはかなり大きな差異が存在します」

 現地メディアに勤務する郭康夫氏(仮名)はそう話す。

「まず、国民党内の親中派などを中心に、日本政府による尖閣国有化方針を『中国(≒中華民国)』の領土問題として怒りを示す動きがありました。なかには中国共産党と共闘する形での保釣運動を望む人々もおり、濃厚な政治的背景が存在していたと言えます」

 もっとも、こうした人々が訴える中華民族主義的(=「反日」的)な主張は、中国と心理的に距離を置く人も多い現代の台湾では世論の支持が集まらない。親中派と目される馬英九政権も、世論と対日関係への配慮から、やがて「中国との共闘」を否定する声明を発表。こちらの動きは梯子を外される形となった。

「もう一方は、政治色が薄い漁民による訴えです。そもそも沖縄近海は、台湾が日本領だった時代は自由に出漁できた伝統的な漁場。釣魚台の国有化で日本側の海上警備が強化されると、漁船が海域に立ち入れず産業が成り立たなくなると考えた漁民が多かったのです」(郭氏)

 こちらは「中国」ではなく「台湾」の問題だ。党派や対日感情の好悪にかかわらず、世論の支持が広がった。

◆漁民は領土問題とは無関係

 2012年9月の尖閣漁船騒動は、特定の政治目的を持つ勢力が、漁業権にこだわる漁民たちを焚き付ける形で起こした側面が大きい。

 当時、親中派として知られる台湾の大富豪・蔡衍明氏が、ガソリン代として500万台湾ドル(約1700万円)を蘇澳鎮の漁民たちに寄付。結果、彼が経営するメディア・旺旺中時集団の横断幕を掲げる形で、抗議船が尖閣沖に出現することになった。この抗議運動自体も、旺旺中時をはじめとしたメディアを通じて「保釣運動」の色を強く押し出す形で報じられた。

 蘇澳区漁会のある関係者は、匿名で当時の実情をこう話す。

「正直、中国共産党との関係が強いとも伝えられる蔡氏からの支援には、個人的に抵抗感も覚えた。だが、彼は数十年前から村の近所に魚の缶詰工場を建てており、現在も年越しごとに、村の媽祖廟(道教の廟)に参拝してくれている地元の名士。加えて、漁民の収入は不安定なので、資金援助の申し出が嬉しかったのも事実だった」

 彼によると、蔡衍明氏のみならず中国側からも直接的な支援の打診があったが、漁民側はさすがに断ったという。中国共産党による露骨な統一戦線工作にさらされながらの抗議運動だったようだ。

 もっとも、台湾の漁民による大規模な抗議運動は、このとき以降は下火になっている。対立の拡大を望まない日台両国が、領土問題をひとまず棚上げする形で、定期的に漁業問題を話し合う実務協議(日台漁業取り決め)を開催するようになったためだ。

 今年度の協議は、3月4日に台北で合意。あらかじめ定められた久米島沖から台湾沖までの特定海域への両国漁船の相互乗り入れや、操業のルールが再確認された。

 特例的に尖閣近海の操業は禁止されているが、台湾の漁民側もこのルールは受け入れる方針だ。往年、抗議運動の中心となった蘇澳区漁会の総幹事・林月英氏は語る。

「私たちはあくまでも、領土問題とは無関係な立場です。漁業協議の決定事項に100%満足しているわけではありませんが、決まったことは遵守したい。今後の蔡英文政権下でも、協議が維持されることを願っています」

 台湾船の操業を条件付きで認めたことで、漁法が異なる沖縄県の漁民から反発の声が出るなど、現状には課題も残る。だが、日本が抱える他の領土問題と比較すれば、ずいぶんすっきりした形で落とし所が見つかったといえよう。

●やすだ・みねとし/1982年、滋賀県生まれ。立命館大学文学部(東洋史学)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深セン大学に交換留学。主な著書に『知中論』『境界の民』など。公式ツイッターアカウントは「@YSD0118」。

※SAPIO2016年5月号

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