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独立独歩の精神で生きるヒーローの物語『ドライ・ボーンズ』

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 ページをめくり始めてすぐ、あ、そうそうこれ、読みたかったのってこういう小説なんだ、と呟いていた。

 アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞を獲得したトム・ボウマンのデビュー作『ドライ・ボーンズ』だ。「死体が見つかった日の前夜、わたしは眠れなかった」と物語は始まる。おお、そうか、死体が見つかったのか、と身構える。「三月半ばの、雪解けの季節だった」の一文から続く文章で、舞台が都会ではなく、おそらくは雪深い地方の町なのだろうということがそれとなく示される。「天然ガス田の作業員たちが坑井で炎を燃やしている」煙を「コーヒーカップを手に裸足のままポーチに出て身震いしながら」眺めている、という描写でくっきりと主人公のシルエットも浮かび上がる。おそらくは独身であろう、侘しい一人住まいの様子までもだ。

 そうそう、こういう風に物語へと引き入れてくれる小説を読みたかったのだ。

〈わたし〉ことヘンリー・ファレルは、ペンシルヴェニア州ホールブルック郡に属する小さな町、ワイルド・タイムの警察官だ。ホールブルック郡における法の執行は最小限度の人手で行われており、ファレルも唯一の部下であるジョージ・エリスとともに郡区の治安を守っている。ある日ファレルは、町の住人であるダニエル(ダニー)・スチュワードが、世捨て人同然の暮らしを送っているオーブリー(オーブ)・ダニガンに散弾銃で撃たれて軽傷を負ったという通報を受けた。オーブを取り調べるために彼の住処を訪れると、老人は敷地内で死体を発見したという意味の言葉を漏らす。その証言通り、ファレルは死体を発見するのである。巨大な力によって左腕をもぎ取られたように見える、若い男の死体を。

 現場は森の中で、ファレルが目を離した隙にヒメコンドルによって死体の片目が食われてしまうような場所だ。このように自然の中に分け入って捜査を行わなければならないことが大きな障害になる。容疑者が浮かび上がってきても、すぐに森の中に行方をくらましてしまうのだ。小さな共同体だけに人間関係は密接だが、それだけに司法官が軽視される傾向もある。トレーラーハウスや掘っ立て小屋に近い住居が建ち並ぶ、ハイツと呼ばれる地域では特にそれが顕著なのだ。開拓時代の気風をまだ引きずったような、前近代的な土地柄なのである。ワイルド・タイムでは、住人の多くがいまだに火打ち式のマスケット銃を持ち歩いている。

 閉鎖的な風土に行く手を阻まれている間に、死体の数はさらに増える。犯罪に手を染めることが常態化している貧困層の住民たちが登場する中盤以降は息つく暇もなく事態収拾のために動き回ることになるのだ。事件捜査と並行して彼の人物像も次第に明らかになっていく。独身生活を送っているが、かつてはワイオミング州で愛する妻と二人暮らしを送っていたこと、子供のころから父親によって銃の使い方を教えられリスのパイを好物にしていたこと、などなど。物語の序盤で襲撃されて頭を打っているファレルは、自分でも気づかないほどに傷ついており、彼の疲れきった心身が安らかな境地を取り戻すまでの話としても読むことができる。独立独歩の精神で生きているヒーローの物語なのである。

 舞台を都会ではなくて鄙に求めるcountry noirへの回帰の動きが1990年代中盤以降にあることが霜月蒼による解説で詳述されている。以下はその補足となるが、もちろん地方都市を舞台とした作品群がcountry noir以前に無かったわけではない。たとえばイリノイ州の片隅に居を構える私立探偵、ジョー・ハニバルの活躍を描いたウェイン・D・ダンディーの『燃える季節』(1988年。文春文庫)、あるいは刑務所帰りの男、カール・ウィルコックスを主人公に配し、サウス・ダコタの田舎町で起きる事件を描いたハロルド・アダムズ『灯蛾の落ちる時』(1981年。創元推理文庫)。おそらくは未訳の作品群が他にも豊富にあるはずだが、country noirという名称でそれらが表現されるようになったのは、合衆国が発展的に拡大してきた歴史構造の中で、孤絶した地域の共同体が前近代的な状態のままで取り残されているという問題が意識されるようになったからだろう。1980年代後半以降の社会的変質とそれは密接に結びついており、近年の日本でイヤミスという名で呼ばれる(私はこの名称、嫌いなのだが)切迫した状況下の物語が注目されるようになった傾向を連想させる。

 とはいえ『ドライ・ボーンズ』はcountry noirという括りだけでとらえられるわけではなく、先述したように、開拓時代へと遡るアメリカン・ヒーロー・ノヴェルの系譜に連なるものという読み方もできる作品である。これまた霜月解説を引けば、作者のお気に入りはトラヴィス・マッギー・シリーズであるという。私立探偵というよりは事件解決屋という呼び方がしっくりくるトラヴィス・マッギーは、ジョン・D・マクドナルドの産んだ1960年代を代表するヒーローであり、リュー・アーチャー(ロス・マクドナルド作)と1970年代のネオ・ハードボイルド探偵を結ぶミッシング・リンクといっていい存在だ。そうしたヒーロー小説の正統の中に位置づけて本書を考えてみると発見もありそうである。

 また、アラスカ州を舞台にしたデイナ・スタベノウのケイト・シュガック・シリーズ、国立公園のパークレンジャー、アンナ・ピジョンを主人公としたネヴァダ・バーの連作、ワイオミング州猟区管理官ジョー・ピケットの視点から描かれるC・J・ボックスの諸作など、自然豊かな土地を舞台とした冒険小説とも本書は非常に親和性が高い。

 冒頭に書いたとおり私は本書に強く惹きつけられたのだが、それは〈わたし〉による語りが、迫り来る事態を常に個人の視点から、決して等身大の高さを越えることなく行われるという一人称犯罪小説の規範を忠実に守っているものだったからである。全体を見ると粗い部分も多いのだが(思わせぶりに示された手がかりが、終盤で適当に投げ出されたときには吉本新喜劇よろしくずっこけそうになった)、減点法で臨むにはあまりに様子が良く、好意的にならずにはいられない小説なのだ。小説世界に滞在する際の気分を重視する人には絶対のお薦めである。こういうの、ちょくちょく読みたいよね。

(杉江松恋)

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