「〇〇があれば、細かいルールを気にしない勇気があっていい」女流落語家・立川こはる

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女性には向かない仕事――。「落語家」は、長らくそう言われていた職業の一つである。女流落語家がまだほとんどいなかった時代に、落語界の門を叩き、立川談春の一番弟子となった立川こはる。彼女が門を叩いたのは「女性は落語に向かない」と公言していた立川談志を家元とする立川流だった。なぜ、あえて厳しい道を選んだのか。女流落語家の生きざま、ロングインタビュー。

トビムシの研究をやめて落語の道へ

――落語に興味を持ちだしたのはいつからですか?

ありきたりなんですが、大学入学時の落語研究会への勧誘です。落語にはまったく興味はなかったんですが、「ラーメン食べない?」と声をかけてきた先輩たちの人柄や雰囲気にひかれてしまって。キャンパス内にゴザを敷いて、着物を着ている怪しい集団でしたが(笑)。

1年目は、寄席に行っても正直それほど面白いと思えず、落語にあまり興味を持たないまま、塾講師のアルバイトにばかり精を出していました。それが、2年生のときに落語研究会に同学年のメンバーがいなくなってしまい、「部の存続にかかわるので辞めないでくれ」と先輩にお願いされまして。落語をちゃんと聞くようになったのは、それからなんですよ。

特にハマりだしたのは、都内の上野鈴本演芸場で開催している早朝寄席を見てからです。毎週日曜に、二つ目が4人も出演するのに、木戸銭(入場料)は、500円なんですよ。当時の早朝寄席には、今は真打としてばんばん活躍している柳家三三師匠や、入船亭扇辰師匠、三遊亭歌奴師匠、桃月庵白酒師匠などが出演されていて、ライブならではの面白さに、どっぷりハマっていきました。

やっぱり、ライブだと落語の面白さが全然違うんです。同じ演目なのに、演じる噺家によってセリフや雰囲気が全然変わる。同じ噺家でも、当日の客席の雰囲気に応じて、演じ方を変えてきたりもするんですよ。

例えば客席に子どもがいると、大人向けの話に入ったときには、「ああ、子どもがいたよ。坊や、この言葉の意味は調べない方がいいよ」なんて言うと、周りがどっと笑う。演劇みたいにできあがった作品を鑑賞するのではなく、ジャズみたいな即興に近い双方向のコミュニケーションが面白くて、どんどんハマっていきました。

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――週に何回ぐらい通っていたのですか?

好きな噺家が10日間寄席に出ると聞けば、10日間連続で見に行っていました。もともとオタク気質なところもあって、ハマるととことんハマるんですよ。大学では、農学部でトゲトビムシの細胞培養にチャレンジしていたんですが、好きな噺家さんが寄席に出るときは、午後の実験をぴゃーっと抜け出していました。

研究室でも、当初はミスチルとか聞いていたのが、いつの間にか落語や浪曲のCDを聞いていましたね。3年生では、かなりの落語マニアになっていましたね。

私の師匠である立川談春の落語を初めて聞いたのもこの頃です。談春師匠の落語を聞いて、初めて「落語家になりたい」とも思いました。「らくだ」「富久(とみきゅう)」「文七元結(ぶんしちもっとい)」といった、いわゆる大ネタを目の前で演じている迫力が、もう、本当にものすごかったんですよ。

それまで、落語は気軽にゲラゲラ笑いながら見るものだったんです。それが、談春師匠の落語では、息もできないぐらい気迫に押されてしまって、会場から表に出たときに、ようやくため息ができる感じなんです。

「なんなんだ、これは…!?」という衝撃でしたね。

――そのときから、落語家を本気で目指した?

いや、最初はやはり躊躇していました。今でこそ、女流の落語家も30人ぐらいいますが、当時はまだほとんどいない時代でしたから。寄席は途中の出入りは自由なんですが、女性の噺家の出番になると、お客さんはたばこ休憩に行ってしまったりする。そういうのも見ていたので、「女性はやっぱり厳しいんだ」と、どこかで諦めていました。

就職活動の時期には、はじめ塾講師になろうと考えていたんですよ。学生時代は、ずっと塾講師のアルバイトをしていて、落語で学んだ「しゃべる」技術が生かせると思って。ただ、頭の片隅では、ずっともやもやしたままで、いざ内々定の電話をもらったときに、「このまま人生が決まってしまうのか」と躊躇して、その場で内々定を断りました。

どうしようか悩みましたが、トゲトビムシの研究も面白かったので、モラトリアム期間のように、そのまま大学院に進学しました。朝一番に高尾の森林総合研究所にトゲトビムシを集めに行って、午後少し昼寝をして、研究したり、落語を見に行ったり、塾講師に行ったりという日々を過ごしていました。

そんな中で、やはりどうしても落語家への道があきらめきれず、2年生に進学するのを機に、大学院を中退しました。落語家は、見習いと前座時代はほとんど収入がない状態になるので、大学院の授業料を払うぐらいなら、手元に生活資金として残しておきたかったんです。

「弟子にやさしい一門はどこか」「修業がしやすい一門はどこか」といった話も耳には入っていましたが、落語家になるなら師匠は立川談春以外には考えていませんでした。「落語家になりたい」というよりも、談春師匠の落語を学びたかったんです。談春師匠に弟子入りできなければ、落語家を諦める覚悟で大学院退学と同時に弟子入りを志願しました。

修業時代は「どうすれば相手が喜ぶか」を徹底的に学んだ

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――弟子入り志願は、スムーズに受け入れてもらえたのですか?

最初は、断られました。そもそも、談春の師匠である立川談志は「女性は落語家にふさわしくない」と常々公言していましたし。男性による男性のための芸として受け継がれてきた落語を女性が演じるのは、宝塚劇団に男性が入るぐらいの不自然さだと。

それでも、絶対に談春師匠の下で落語を学びたいと粘って、2006年3月31日、新宿末広亭の「余一会」で、初めてかばん持ちをさせてもらいました。そこから見習いとしてかばん持ちや、着替えの手伝い、着物の畳み方や、楽屋での立ち居振る舞い、出囃子の太鼓などを覚えさせてもらいました。

7か月後に「立川こはる」の名前を頂き、「前座」となってからは、他の師匠方の手伝いにも行かせてもらいました。落語の世界では、「見習い、前座は人にあらず」なんて言ったりします。作法をやさしく教えてもらえる世界ではありません。ミスをすれば「バカヤロウ」「出てけ」「やめちまえ」と日常的に言われる世界です。

師弟関係は、上司と部下という関係ではないので、「教える」というより、たぶん「しつける」感覚に近いんだと思います。重宝されるのは、邪魔にならず、気が利いていて、今すぐに使える人間です。

前座時代は他の師匠方に付いている先輩落語家のアニさんたちにもいろいろと作法を教えてもらいました。アニさんたちは、本当によく気が利いていて、下足を並べるにしても、誰の下足をどこにどう並べるかの一工夫があるし、杖を突いた師匠が来れば、さっと椅子を出す。その機微はたくさん勉強させてもらいました。センスがいい人は、楽屋働きはどんどんできるようになりますね。

――「センスがいい」人は、何が秀でているのでしょうか?

「どうすれば、相手が喜ぶか」を常に考えているんだと思います。楽屋にはケイタリングのおしぼりが置いてあるんですが、夏の暑い日なら、おしぼりを冷蔵庫に入れておこうとか、寒い日なら暖かくして出そうとか。

師匠ごとに着物の畳み方や、好みのお茶も違うけれども、ただ、決まりきったやり方に従うだけじゃなく、どうすればもっと相手を喜ばせることができるかを考えて実行している。その加減だと思います。

まあ、最初の頃は、良かれと思ってやったことでも、師匠方が求めていることには当てはまらずに怒られたりもしましたけどね(笑)。

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――見習い、前座の修業期間は、何が一番大変でしたか?

大変だったことは挙げればきりはないですが、強いて言うなら「時間」の感覚でしょうか。学生時代は、研究やアルバイトのスケジュールは事前にわかっているので、ある程度ルーチンで動ける。それが、入門してからは、24時間どんな呼び出しの電話がかかってくるかが分からない。

実は見習い時代に、隠れてアルバイトをしていたんですが、シフトの日でも師匠から「来い」と言われれば、絶対に断れません。前座になれば、たくさんの師匠方のお手伝いをさせていただけるようになる半面、呼び出される機会も多いので、アルバイトどころか、ほとんど自分の時間は持てなくなりました。

大変でしたが、それでも当時、談志家元に落語を聞いてもらえたのは、貴重な財産だと思います。まだ前座の落語なのに、じいっと聞いてくれて「おう、口調はいいね」と褒めてもらえた。「女性はだめだ」と言われ続けていた時代に、一つでも談志家元に褒めてもらえたことがあるのは、もう宝物のような感覚です。

1年ほど、家元の出囃子の太鼓係もやらせてもらってたんですよ。それが、ある日「おい、こはる」と名前を呼ばれまして。前座が家元に名前を呼ばれるなんて、そうないことなので、緊張しながら駆けつけると「…お前、女だったのか?」と聞かれまして(笑)。

確かに、入門と同時に髪もバッサリ切って、男の子っぽい恰好ではありましたが、まさか女だと気がついていなかったとは…。「はい」と答えたもの、こちらもどうしていいか分からない。家元からは、本当にいろいろと思い出を頂きました(笑)。

スケジュールぎっしりの多忙な日々

――どうすれば、前座から二つ目に昇進できるのですか?

立川流の場合は二つ目になるには、落語50席の他に、かっぽれや三味線、都々逸、太鼓などの歌舞音曲(かぶおんきょく)を覚えます。他にも軍記物を勇壮に語る講談も、素養として最低限は身に着けるように言われます。

それを身に付けたうえで、談春師匠に「二つ目になりたい」と伝えますが、別に「じゃあ、この日に試験をやるよ」と、日を指定されるわけではありません。落語50席のうち、いつどれを言われても演じられるように準備しておく。完全に身に付いているかどうかをチェックされる感じですね。

落語家は、二つ目でようやく一人前とみなされ、自分の名前で落語の仕事ができるようになります。前座の落語は、まだお金を頂くレベルではないという位置づけなんですよ。ただし、自分で仕事をもらいに行かないとスケジュールは真っ白なままです。いまはじわじわときている落語ブームのおかげで、それなりに忙しくさせてもらっているのは、ありがたい限りです。

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――スケジュール帳を拝見すると、隙間時間はほとんどありませんね。前座時代から合わせれば、丸10年、相当多忙な日々を過ごされている。その原動力は何でしょうか?

高座に上がるときのお客さんからの拍手と、ライトを浴びながら落語をやって、お客さんがうわっとウケてくれたときですね。あの快感を味わうと、落語家はもう辞められません。

高座に上がるときは、実はものすごくつらいときも、あるんですよ。これまで周りは男だらけの世界で気軽に相談できる人もいない。私生活がどんな状況であっても、どれだけ落ち込んでいても、高座に上がるときは、落語家はそんな空気はみじんも出しちゃいけない。お客さんは、日常を忘れて笑いたいって来てくださっているんですから。

もし、落語を「仕事」として考えていたら、このつらさは乗り越えらなかったかもしれないですね。支えてくれているのは、結局は「落語が好き」だからなんですよ。これに尽きると思います。

「本筋」がぶれなければ、失敗は取り戻せる

――会社員の場合は、なかなか真似できない心意気です。その「折れない心」の秘訣は、他にも何かあるのでしょうか?

折れかかったことは、何回もありますよ(笑)。落語の世界では、怒鳴られ、しかりつけられることは日常のコミュニケーションなので、普通の会社員よりは、自然と打たれ強くはなると思いますが。というよりも、怒鳴られたぐらいで動けなくなるようでは、見習いから前座になることすらできないでしょう。

私が頑張れているのは、「落語が好き」につきますが、もう一つは「本筋」が何かを意識していることは大きいと思います。

いま、やろうとしていることの本筋は何か。例えば、楽屋でおしぼりを出すときに、冷やすか暖かくするかも、季節ごとに決まりがあるわけではありません。その日気温や師匠方の様子を見ながら変えていくんです。

その本筋は、「師匠が喜んでくれるかどうか」です。それがないと、「夏はおしぼりを冷やす」と硬直的にしか動けない。

幸か不幸か、落語家は細かいことをルールとしては教えてもらえず、常に自分の頭で考えることが求められます。会社勤めの人の話を聞いていると、細かいルールを先に覚えることを求められて、ときに本筋を見失ってしまっているのかなと思います。そもそも上司も本筋を考えていないときもありませんか? その違いは大きいかもしれません。

更に言えば「仕事だから○○をしなきゃいけない」という感覚がないんですよ。お金も二の次です。落語好きな人が有志で開催する落語の会に声をかけてもらったとき、ギャラがいくらかを気にするよりも、主催者やその日のお客さんたちに喜んでもらって、また次につながっていくほうがいい。

仮にそこで、何か失敗してしまったとしても、本心からお客さんに喜んでもらいたいという気持ちがあれば、いくらでも取り戻せると思うんですよ。落語の世界は、一般の会社員とはかけ離れているので、同列には語れませんが、びくびくして何もやらないよりは、相手を思う心と、相手から期待されることがあっていれば、細かいルールを気にしない勇気があってもいいんじゃないかと思います。

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「心をえぐるような落語」を演じたい

――最後に、落語家としての目標を教えてください。

二つ目から真打に昇進しても、30代、 40代では、まだまだ若手真打と言われます。定年のない仕事ですから、そこから数十年、芸を磨き続けなきゃいけない世界です。

私は、その中で古典落語の世界を極めたいんです。これまで男性がすごく太く演じてきた古典落語の世界を、私がどう演じられるか。「女性の声」は、もはやコンプレックスでしかないんですよ。

それでも、「技術でカバーできる」部分と、「私だから伝えられる魅力」の、二つがあると思うんです。その両方を向上させていきたいです。もう稽古だけで身につくものではないですよね。

例えば「鼠穴」という演目では、主人公の竹次郎が、お金が尽きて親類を頼って江戸に出てきたものの、今の価値でたった3円のお金しか借りられなかった苦しみ、そこから立派な店を構えるまでのくやしさ、粘り強さは、同じような経験を味わった人間のほうが、より演じる内容に深みが増すはず。

落語にも軽い笑い話だけではない、もっと深い、人間の心がえぐられるようなシーンもある。そういうことを伝えられる落語家になりたいです。

<立川こはる>プロフィール

1982年生まれ。東京農工大学大学院中退。2006年3月立川談春に入門。立川談志存命中に、立川流に入門を果たした唯一の女性。2012年6月二つ目昇進。落語ブームの火付け役にもなった漫画「昭和元禄落語心中」(原作:雲田はる子)のTVアニメでは、主要登場人物助六の幼少期の声を演じる。

Twitter:@koharunokai

取材・文:玉寄麻衣、写真:鈴木健介

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