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インターネットとWebの誕生が、いつか知ってる?──歴史を語り尽くすWebブラウザ談義【前編】

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今あらためてWebブラウザの歴史を辿る意味

Webブラウザはたかだか四半世紀の歴史とはいえ、世界を変えたこの25年はあまりにも劇的で、細かい歴史は忘れられていることも多い。

しかし、Webブラウザの歴史をたどることで、インターネット技術がどのように発展してきたのか、そしてこれからはどのようにそれを発展させていかなければならないのか、その見通しが得られるはずだ。

今回、html5j-Webプラットフォーム部のメンバーが東京・品川のマイクロソフトの会議室で一堂に会し、Webブラウザの歴史を振り返った。

座談会メンバーは物江修氏(日本マイクロソフト・エバンジェリスト)/深見嘉明氏(立教大学大学院ビジネスデザイン研究科特任准教授)/下農淳司氏(東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構特任研究員)/清水智公氏(html5j Web プラットフォーム部)。

座談会はもともと、html5j-Webプラットフォームが2015年12月に開いた第10回勉強会「年末特番:ゆくWebくるWeb」の内容を補完するものだ。勉強会では十分に語りきれなかったWeb技術の歴史をあらためて整理しようという狙いがあった。

インターネットっていつから始まったの?

Webブラウザの歴史に入る前に、ブラウザ誕生前夜つまりインターネットの歴史のことも少し触れておく必要がある。

インターネットができたのは一体いつなのか。始点は1982年にTCP/IPの標準化が策定された時なのか、それとも1996年にARPANETが初のパケット送信に成功したときなのか。この問題で座談会は冒頭から紛糾する。

「最近、インターネットとWebが同じものであるかのように語られることが多いんですけど、インターネットってTCP/IPで構築されたグローバル・ネットワークのことじゃないですか。インターネットとWebは違うものであるということを説明する上で、インターネットがいつから始まったという話はわかりやすいと思うんですよね」


「だったら、まずはインターネットの定義をしないといけないな」

というわけで、インターネットを15歳の子供に一口で説明すると、どういう言い方が可能なのか、という定義論争が始まった。


「君が持っているあるデバイスから別のあらゆるデバイスに通信ができるネットワークのこと」


「何も考えなくてもつながれるもの。普遍的にいろんな人の知恵を寄せ集めて、これがベストプラクティスだとして作られたもの。Webにしてもいろんな技術が集積されて改善されてきたし……」


「世界中で、間にある距離を無視できるツール。別に電話でもいいんだけれど、それが通信の本質であり、インターネットの本質でもある。通信プロトコルは問わない。別にTCP/IPでなくてもいい」

と、きわめてプリミティブな定義が噴出し、座は盛り上がる。ただ、この地点に拘泥していたのでは先に進めない。

とりあえず、ここでは「世界中でどこでもいろんなものをつなげるネットワークのことで、現在はTCP/IPで構築されている」という定義を採用することになった。

Webの誕生──ハイパーテキストを切り拓いた先人たち

インターネットの歴史の中で、World Wide Webの発明は画期的なものだった。

Webは1990年にCERN(欧州原子核研究機構)でソフトウェア技術のコンサルタントとして勤務していたティム・バーナーズ=リーが発明したというのは定説だ。

数千人に上る研究者に効率よく情報を行き渡らせるためのシステム開発を命じられたバーナーズ=リーは、ごく少数の同僚と一緒に、Webの基本技術、つまりHTTP、HTML、URI/URLに加え、HTTPによって送受信される文書を作成・表示するためのソフトウェア、World Wide Webを開発した。

「バーナーズ=リーも最初は、World Wide Web ではなく、World Wide Mesh(編み目)と呼んだんだけど、同僚に mesh は mess(混乱)と聞き間違えられる。世界中が混乱するのは困ると言われて、Web(蜘蛛の巣)に変更した」

という逸話を物江氏がひとくさり。

「今でこそCERNにはエクサバイトクラスの膨大なデータがあるが、当時はもっと少なかったけれども、整理して活用するためには文書同士をリンクさせる仕組みが必要だった。CERNだけではなく、物理系の研究所には一般的に使える技術ならなんでも使うという先取の気風というか風土があった」

と下農氏が背景を説明する。


「当時のデータ保存の形式は今からじゃ考えられないほど複雑で面倒。そこでより簡易なデータ構造化・標準化がさまざまな分野で考えられきたのだけれど、Webはその一つだった」


「この当時は、WebサーバーとWebブラウザは一体のものだったという話があるんだけれど」


「サーバーとクライアントはあったけれど、それが一つのマシンにあったという話じゃない?」


「ただ単に、少人数のプロジェクトなんで、手元にあったマシンにサーバーとクライアント機能を一緒に搭載したってことだと思う」

話はどんどんトリビアな方向へ向かう。

ここで疑問となるのが、HTTPがどうやってできたかだ。


「ところで、HTTP の1.0ってどうやってできたの? これってちゃんと書いてある文献少ないよね」

「IETF(The Internet Engineering Task Force =インターネット技術タスクフォース)に持ち込むまでは、HTTPはバーナーズ=リーが自分のプロジェクトのために作ったプロトコルにすぎなかったからね」

もう一つ、HTMLはWebページを記述するためのマークアップ言語としてこれもバーナーズ=リーが開発したことになっている。しかし、Hypertextシステムという文脈でいうと、先行の研究が数多くあった。

例えば、ヴァネヴァー・ブッシュのMemex、デッド・ネルソンのXanadu計画、ダグラス・エンゲルバードのNSLもその一つだ。

「Hypertextには、GMLやSGMLなり70年代からビジネスの現場で多くの試みがあった。当時から膨大・複雑なドキュメントを扱う弁護士や技術者など専門家がいて、それに対して、ハイレベルのシステムを提供する企業があった。

ただ、そんなオーバースペックなものは要らないから、もっと普通の人が使えるようなものに技術を引き戻そうとしたのが、バーナーズ=リーだった」

この話は、その後のWeb技術の標準化とも密接に関わっている。

「WWWはインターネットの1アプリケーションとして開発されたので、バーナーズ=リーはその標準化を進めるために、IETFに素直に持っていくんだけれど、一方HTMLは構造化言語ということで、これとは別の技術コミュニティや学会でも議論されていた。

CERNというという研究機関で生まれた技術なので、バーナーズ=リーは並行して学会スタイルでWWWの技術について議論する場を作っていく」

それが今のW3Cに繋がっていくわけだ。

「つまり、XanaduやSGMLのときから構造化言語を議論する流れがあったんだ。今でもベーシックなインターネット・プロトコルと、HTML以上のレイヤーで、なぜか標準化団体が分かれていて、それぞれに対して異なる学術コミュニティがコミットしているのは、こういう歴史的背景があるわけ」

という、深見氏の説明はわかりやすい。

Webブラウザ年代記──W3C設立をめぐる混乱と駆け引き

座談会はここまでですでに40分経過。時間は限られている。いよいよ本題のブラウザの歴史に入らねば。

HTMLが発明されてからわずか3年後には初めてのWebブラウザと呼ぶべき、NCSA HTTPdが米イリノイ大学から誕生している。それを母体にしたMosaic Netscape9.0が登場したのが1994年の10月。同月には、W3Cが設立されている。

座談会の議論はW3C設立の経緯に踏み込む。

「最近の若い人たちは、IEとNetscapeの間のブラウザ戦争があって、それを調整するためにW3Cができたと誤解している人もいるけれど、そうじゃなくて、すでに94年にW3Cができていたことを想起してほしいですね」

「W3Cができる前の1993年に、オライリーメディアの創立者で、フリーソフトウェアとオープンソース運動の支援者だったティム・オライリーが集合をかけた会議“WWW Wizard Workshop”があったんだ。

オライリーの自宅で開かれたその会議で、バーナーズ=リーはWebブラウザにはインターオペラビリティが大事であると主張したけれど、後にNetscape社の設立に参加する若いマーク・アンドリーセンは、そんなことは知ったこっちゃない、独自の機能をがんがん追加しようぜ、という姿勢だったというね」

インターオペラビリティが不要だとは誰も思っていない。標準化が必須なのは誰もがわかっている。しかし、インターネット・ビジネスの加速度を高めたいという動機も当然ながら起業家たちにはあり、この頃はさまざまなWebブラウザが雨後のタケノコのように輩出することになる。

こうした状況を改善するために、バーナーズ=リーはW3Cを94年に発足させる。

「IETFに変わるWeb技術の標準化団体の設立を探っていたバーナーズ=リーと、新たな産学連携プロジェクトを発足を狙っていたMIT(マサチューセッツ工科大学)計算機科学ラボラトリーとの間で利害が一致したことも、W3C設立には大きな役割を果たしたんだ」

「バーナーズ=リーはCERNののなかでドキュメント管理のプロジェクトを担当していた。彼が在任中はCERNもWebの推進に努めたけれど、そのプロジェクトが終わると、それ以上にWebにリソースを割けないと言い出した。バーナーズ=リーとしては、新たな後ろ盾が欲しかったんだろうね」

1993~94年のWebブラウザの草創期を辿るだけでも、まさに歴史が変わる節目、激動の2年間だったことがわかる。

座談会は合間にさまざまなエピソードをはさみながら、この後も延々続く。1997年の「第1次ブラウザ戦争」以降の話はまた次回に。

後編「ブラウザ戦争、HTML5の標準化、Webの未来編」に続く

(執筆:広重隆樹 撮影:延原優樹)

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