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さもしい世界を掃除してやろう! きょうからぼくもプーカ人!

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 ラファティ! 大好き! ラファティみたいな作家はラファティしかおらず、ラファティにかぶれたファンは「ラファティ凄い、ワン・アンド・オンリー!」「孤高の天才!」「始原にして至高の語り手!」と踊りまわる。ちょっと落ちつこうか、オレ。

 あまりテンション高く語ると未読のかたはハードルに感じてしまうかもしれない。こんかいのレビューは、まず「ふつうに面白い作品ですよ」という地点から出発しよう。逆説的とか反近代的とか超絶言語感覚とかそういうコワモテな読みでラファティを捉えるのはイケない。感情移入して楽しく読める作品です。ほんと。マジで。

『地球礁』で主役をはるのは六人(もしくは七人)の子供たち、エリザベス、チャールズ、ヘレン、ピーター、ドロシー、ジョン、バッド・ジョン(彼は実体がない)。年齢は六歳から九歳。この子たちが抱く夢は、「なんでも好きなことをできるように世界を掃除する」だ。なんという単純明快な行動原理。オトナになると道徳とか良識とかこざかしい大義名分を立てなければならないのだけど、コドモはそんなこと知っちゃいない。いや、オトナだって心中ではワガママに願っている。ラファティの小説への感情移入は微温的なお涙頂戴や癒やしなどではなく(それもまあ悪くはないが)、正真正銘の共感だ。なんでも好きなことができる世界! それいいじゃん!

 たいていの人間は心で思うだけだが、『地球礁』のデュランティ家の子供たちは有言実行だ。彼らにはバガーハッハ詩という特技もあって、これを詠めば空想を現実化できる。彼らは地球人ではなくプーカ人なのだ。人間ならざる種族が主役というのはSFには珍しくないが、この作品のプーカ人はちょっと趣が異なる。「訳者あとがき」で柳下毅一郎さんが言うように〔そもそもプーカ人の故郷にしてから、それが星なのかアメリカのどこかなのか海の向こうの土地なのかはっきりしない。(略)SFとして成りたたせるために必要な、そうしたディテールはきれいに忘れられている〕。

 もちろん、物語を読むうえではなんの支障もない。むしろ、そのほうがすんなり感情移入できる。プーカ人は私たちの隣にいるし、私たちのなかにもいくぶんかはプーカ人の血が入っていると思って読めばいい。実際、作中でそうした説明もある。もっともらしい設定のエイリアンよりも親しみやすい。ちなみに本来のプーカ人はポテト顔の悪鬼(ゴブリン)だが、エリザベスとチャールズとヘレンは眉目秀麗な地球人のようだ。ただ全員、目が緑の石炭のように輝く。正面から見ると気づかないが、なんかの拍子で目の片端でちらりと見るとビックリして肝がつぶれる。

 さて、デュランティ一家がいま暮らしているのは、よりによって宇宙でもいちばんさもしい世界、地球だ。デュランティの親たちであるふた組の夫婦(フランクとヴェロニカ、ヘンリーとウィッチー)はプーカと地球の和解策を探るべくここへやってきたのだが、地球アレルギーのために弱っており、地球人はプーカ人と見れば迫害する。ヴェロニカは命を落とし、そのショックでフランクは酒に溺れ、ウィッチーは精神を失調する。そして、ヘンリーも殺人の濡れ衣を着せられ逮捕されてしまう。

 ヘンリーが無実だということを、デュランティ家の子供たちは知っている。なにしろ、殺されたスタットガード(町の顔役)が殺された現場に、バッド・ジョンが居合わせていたのだから。ただし、バッド・ジョンの姿はふつうのひとには見えず喋ることもできないから、証言能力はない。

 バッド・ジョンが殺人現場に居たのは妙な巡りあわせだった。スタットガードは嫌なやつで(地球人は多かれ少なかれ鼻持ちならないのだが)、もともとデュランティの子供たちの「世界を掃除する」計画の筆頭にあがっていた。つまり、だれかがスタットガードを殺していなければ、デュランティの子供たちが彼を血祭りにあげていたはずなのだ(プーカ人の子供にとってそれくらいは朝飯前だ。彼らは地球生まれなので親たちのように地球アレルギーを患うこともない)。バッド・ジョンは斥候としてスタットガードの家を探りに行き、そこで殺人に出くわしてしまった。

 さて、ヴェロニカが死に、ウィッチーは施設に収容、ヘンリーが逮捕され、フランクはヘンリーの容疑を晴らすために奔走という状況のなか、子供たちはお節介な地球人にちょっかいを出される前に姿をくらますことに決めた。プーカ人の子供にとって自活などたやすいことだ。フランクは別れ際に子供たちにこう釘を刺す。「よっぽどちゃんと理由がないかぎり地球人を殺すなよ」。

 デュランティの子供たちは家を出て釣り船〈イル・ド・フランス〉に乗りこむ。まずは廃炭鉱の冠水部を制覇しよう。この領域には五つの王国があった。不良少年グループのクラブ、スタットガードの子供たちの秘密基地、ウイスキー密造屋の拠点、ランヤード一家(善人)の縄張り、フェイバー一味(デュランティ家にとっては仇敵)の波止場である。デュランティの子供たちは、さまざまな作戦でこれらを順番に奪っていく。このあたり、やんちゃな悪童が跳びまわる《少年冒険小説》の楽しさだ。

 そのいっぽうで、『地球礁』は《タフな犯罪小説》でもある。スタットガード殺しの真犯人も非情だが、それをいっそう上回る悪辣な人物が立ちまわって収監されているヘンリーを利用しようとする。事件の真相を独自に調べているフランクにも魔の手が迫る。そんじょそこいらのハードボイルドでもお目にかかれないくらいの冷酷と暴力をラファティは描くが、それがいささかも扇情的にならない。まるで神話のできごとのようにも映る。

 デュランティ家は大人も子供たちもロクでもない世間と闘っているわけだが、なかにはプーカ人に好意を寄せる地球人もいる。

 地球人のなかにもときおりプーカ人と相性のよい人間がいる。たとえば子供たちに〈イル・ド・フランス〉を譲ってくれた(支払いはウイスキーひと瓶)酔いどれフランス人のフィルベール。彼はバッド・ジョンが見える数少ない普通人でもある。フィルベールはその後、ヘンリー・デュランディのために弁護士の手配もしてくれた。

 また、部族によって程度の違いはあるものの、インディアンはプーカ人とうまが合う。両者とも社会の周縁に追いやられている存在だが、だからこそ既存の文化への批評性をもちうる。そう、『地球礁』は大真面目に読めば《マイノリティ文学》の特質も備えているのだ。

 刑務所から脱走したヘンリーは道なき暗い森に迷いこみ、そこで超自然の樹木まがいの男ジョン・ルイス・スクリューと出会った。彼が案内してくれたのは、インディアンでいっぱいのバー〈失月亭〉だ。カウンターの奥にいた男がヘンリーに「あんたら[プーカ人]が来るのをずっと待っていたんだけど、ちっとも来やしねえ」と言う。その「ずっと」というのは少なくとも千年以上だ。インディアンのたいていの部族は、お祖母ちゃんからプーカ人の話を聞いているらしい。

 そのうち、バーにいたひとりの若者が「俺は巻きこまれるのが趣味でね」と、クルマにヘンリーを乗せてやろうと言いだす。自分で改造したマシンで時速二百二十二キロは出るんだぜ(ついてこれないのは速度計だけだ)。ハンドルさばきもクレイジーで楽しいやらアブないやらなのだが、この章の締めくくりの文章がキマっている。〔若者の名はサミー・ブルーフィールドという。いつかあなたもどこかで会うかもしれないし、そのときには一目でそれとわかるだろう〕

 こういう語りかたがラファティだ。オツに澄ましたストーリーテリングではなく、息づかいがきこえる話芸。

 あ、大切なことを言い忘れていた。いろいろな要素を含む『地球礁』だが、じつは《侵略SF》かもしれない。大人のプーカ人はあさましい世界に膝を屈するが、子供たちはへいちゃらだ。むしろ、とめる親たちがいなくなったからいっそ好き放題できる。さあ、覚悟しておけよ、世界!

(牧眞司)

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