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上條恒彦 満足いかないから芝居は絶対に飽きない

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 歌手としてヒット曲に恵まれた上條恒彦に、俳優の仕事が依頼されるようになった。出演ドラマで共演した名女優に頼まれたことがきっかけで始まった歌う芝居、今も続くミュージカルでの芝居について上條が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』からお届けする。

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 1973年の連続ドラマ『遥かなるわが町』(TBS)は、上條恒彦にとって初めての本格的な俳優仕事となった。本作では劇団民藝の名女優・北林谷栄が彼の母親役で出演した。

「北林さんはプロイスラーというドイツの児童文学者の『大どろぼうホッツェンプロッツ』という有名な童話をパロディにした戯曲をお書きになっていました。これをなんとか公演したいと思われていて、僕に『上條君、あなた作曲できない?この戯曲に五、六曲、歌があるんだけど』っておっしゃる。『ぜひ、やらせてください』とお引き受けしたんです。

 その時は『重ちゃん(宇野重吉)が歌うんだから、難しくしちゃダメよ』と言われていたんですが、公演が実現する運びになったら『重ちゃん忙しくてできないから、あなたがやって』って。主役ですから、エラいことになったと思いました。でも、もう行きがかり上、断れませんでした。

 この時は米倉斉加年さんが魔法使いの役で出られていて、メーキャップのことから、すべて教えてくださいました。僕がビビっていますと、『ジョーさん。芝居も歌も同じだよ。ジョーさんは立派に歌ってきたんだから、ビクつくことはない。歌の時と同じようにやればいいんだよ』っておっしゃってくださいまして。それで、歌はこうだとか、芝居はこうだとか、あまり考えないでいこうと思うようになれました」

 1976年『PIPPIN』でミュージカルに初出演。続いて松本幸四郎主演『ラ・マンチャの男』では1977年から現在まで、牢名主の役で出演している。

「『PIPPIN』の時、帝劇の九階の稽古場で歌ったら、みんな驚いていましてね。当時は歌えない人がミュージカルに出ることが多く、役者だけやってきた人たちにはかなり難しい歌だったようですが、歌うたいにはどうってことなかったですから。

『ラ・マンチャ』もソロがあるんですが、こちらは今でも難しい。ただ僕の前は加藤武さんでその前は小沢栄太郎さん。お二人とも歌手ではないのでかなり大変だったようで、幸四郎さんは『このシーンがやっとミュージカルになりました』と言って喜んでくれました。

 ですからあの時代、歌うたいであることで随分と得しました。

 僕はずっと『ダメだな』と思い続けてきたように思います。やる度に反省です。それは今も昔も変わりません。でも、ふと気づいてみたら、若い頃にどうしてもできなかった芝居ができてることが稀にある。そういう時は本当に嬉しいです。でも、満足しちゃったらそれでおしまいですよね。努力しなくてもよくなっちゃう。きっと満足いかないから、芝居は絶対に飽きないんでしょうね。

 ここ四、五年、『ラ・マンチャ』に入る前は『今回で最後かもしれない』とみんなで言っていたりしますよ。それでも、いつも『前の公演を少しでもグレードアップさせよう』と、みんなそれぞれ努力しています。体は年老いていくけれども、内容は向上させなきゃいけないって思って芝居に向かってます」

●かすが たいち/1977年、東京都生まれ。主な著書に『天才 勝新太郎』(文藝春秋刊)、『なぜ時代劇は滅びるのか』『市川崑と「犬神家の一族」』(ともに新潮社刊)など。本連載をまとめた『役者は一日にしてならず』(小学館刊)が発売中。

◆撮影/藤岡雅樹

※週刊ポスト2016年4月22日号

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