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自己だけの世界が幻想する、はじまりの場所としての黄金郷

自己だけの世界が幻想する、はじまりの場所としての黄金郷

 大量情報の制御によってひとの人生すら叙述可能となった未来を前提に、あらためて”死後の世界”の意味を問い直す力作『ニルヤの島』で、ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞してデビューした俊英、柴田勝家が待望の第二作を書きあげた。テーマ面で前作と深く響きあうものがあるいっぽうで、小説づくりにおいての進境が著しい。くっきりしたキャラクター、変貌しつつある世界、人類史に関わる大きな謎、友情ゆえの確執など、読者を引きこむフックを巧みに仕掛けて太い物語を紡ぎだつつ、思索を刺激する導線をしなやかに張っていく。

『ニルヤの島』はミクロネシアの島を舞台として現実の海を人間の潜在精神とを重なりあわせるイメージを紡ぎだしていたが、『クロニスタ』ではアンデスの山あいで古代からつづく〈太陽の都〉のありかをさぐりながら自己意識と集団帰属との相克を浮かびあがらせる。まず、主人公シズマ・サイモンが置かれた立場が絶妙だ。軍属だが直接戦闘に参加することはない人理部隊の文化技官。人類学的な興味を抱きつづける学者肌だが、いちばんの使命は軍が制圧した地域の住民たちの同化—-すなわち体制に忠誠するよう”平和裡に”誘導する—-だ。そして民族という概念すら不要になりつつある時代にあって、自分のルーツである日本を強く意識している。情緒的にはむしろ安定しているが、行動原理がいろいろと捻れているのだ。

 象徴的なのは、シズマの恩師サントーニが指摘する柳田国男の誤謬である。かつての日本は文化も(生物的な意味での)民族もひとつでないのに純粋な国家であると信じられていた。その根拠になったのが、柳田が持ちだした山人の概念だ。古くからの伝承にあらわれる山人は山奥に住み、人間と交流することなく暮らしている別の存在だ。柳田はそれを日本人のルーツだと考えた。山人は日本人の祖先なのに、長い歴史のなかで山奥へと追いやられた。そうしたロマンチックな発想は日本だけでなく、人類学一般にあるもので、多くの学者人類のアマゾンの奥地や太平洋の島々、アフリカの果てに暮らす民族が、人類の昔の姿をあらわしていると考えた。しかし、それはすべて誤解だった。日本人のルーツになる別の民族なんて実在しない。日本人が国民というひとつのものになろうとしてときに生まれた不安が、その幻想をつくりあげたのだ。シズマはサントーニのもとでその誤謬を学びながら、なお、山人への憧憬を抱きつづけている。

 先ほど「民族という概念すら不要になりつつある時代」と言ったが、これは「自己相」というテクノロジー普及の成果だ。生体通信によって人間の意識がネットワーク化されたのが「自己相」であり、ひとりひとりの知識だけではなく、悲しみや罪悪感すらシステムによって人類全体へ離散し平準化される。それにつらなっている者どうしのあいだでは差別など起こりようがない。この世界で民族が意味を持つのは、「自己相」のなかにいる者とそうでない者との違いだけだ。「自己相」をあまねく世界へ浸透させる活動をしているのが統合軍だ。シズマもこれに属している。

「自己相」につらなることを拒否する者たち—-“難民”と呼ばれる—-もおり、その一部は不法行為に手を染め、過激化してテロ行為すら辞さない連中もあらわれる。アンデスの山でも難民たちがコミュニティをつくっていた。任務でその地域に入ったシズマは、印象的な少女と出会う。夜の月の下、白いケープを羽織り、淡い金色の髪を大気に溶かして、青い眼でこちらを見ていた。その手には夜の煌めきを跳ね返すナイフが握られている。外見的には十四、五歳の白人女性だが、このあたりの難民には白人はいないはずだ。

 やがて、難民と軍とのあいだに戦闘が起こり、その少女ヒユラミールも襲撃の一員としてにシズマに再会する。彼女の動きは機敏だが、人工的に身体を強化している兵士の敵ではなかった。ヒユラミールを捉えた陸軍—-統合軍とは別に戦闘のプロである陸軍も動いているのだ—-の少佐は彼女を殺そうとするが、シズマが人理部隊の責任者としてそれを押しとどめる。

 その経緯を聞いたシズマの上官は、彼の判断を褒め讃える。「難民は私たちと同じ国民になる価値があるのだから」という理由だ。すなわち自己相に組みこまれてしまえば、それまでの対立はすべて解消される。難民によって被害を受けた側も、自己相を調整すれば—-この時代は経口でコードを取りこんで精神にパッチをあてる技術もさえ実用化されている—-被害の記憶を切り離すことができるのだ。しかし、シズマがヒユラミールを助けたのは、そうした自己相がもたらした規範によるものではない。むしろ、咄嗟のときに「自己相に従うのは自分の答でない」との感情につき動かされたのである。

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