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ヨハン・テオリン『夏に凍える舟』の”潜水艦浮上”に驚愕!

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「スウェーデンではときどき正体不明の潜水艦が目撃された、というニュースが報じられることがあるんだ。ロシア軍籍ではないかとか、UFOが海に潜ったんじゃないかとか、そのたびにいろいろな噂が立つよ。僕はそういうことに関心があるから、つい潜水艦、って言っちゃったのかもしれないね」

 先頃開催された「第7回翻訳ミステリー大賞贈賞式」のゲストとして、スウェーデン作家のヨハン・テオリンが来日した。そのコンベンションにおける記念講演、翌日の下北沢B&Bにおけるトークイベントと2度にわたって話を聴く機会を得たのだが、冒頭に引用したのは後者での彼の発言である。いったい何事か、と思われるかもしれない。上記の言葉の前にあったのは、私とテオリン氏とのこんなやりとりである。

 —-ミステリーをミステリーたらしめている要素、執筆にあたってあなた(テオリン氏)が重視されている事柄は何でしょうか。「これはミステリーでしか書けない」というような題材や主題があれば、教えてください。

「書きながらいつも意識しているのは、この小説が海上を行く船のようなものだ、ということです。乗客たちは何事もなく平穏だと思っているけど、実はその船の下には潜水艦が随行してきている。それが時折浮上してきて乗客たちを驚かせるのです。ミステリーを書く場合、私はサプライズの要素を重視します。どんな小説でもどこかに必ず潜水艦が浮上してくる場面を入れたい」

 おお、なるほど。
 非常に適切な比喩だと感心したので、みなさんにもご披露する次第。なるほど潜水艦ね。

 そういえばテオリン作の長篇『夏に凍える舟』にもその潜水艦浮上にあたる場面があり、私はたいそうびっくりしたのであった。

 ヨハン・テオリンのデビュー作は2007年に発表した『黄昏に眠る秋』(ハヤカワ・ミステリ)だった。これは彼が幼少期を過ごしたエーランド島を舞台にした作品で、過去に起きた幼児失踪事件を、子供の母親の現在と、事件に関わったとされる人物の過去とを交互に描きながら綴っていく小説だった。エーランドはバルト海に浮かぶ南北に細長い島で、寒さの厳しい冬には本土に移住する住民が多いために人口が激減し、逆に夏にはリゾート目的の旅行客で賑わうというように、四季を通じて様相の変わる土地柄である。島の四季の情景を織り込んだ形で描かれたのが、『黄昏に眠る秋』に始まる〈エーランド島四部作〉だ。

『夏に凍える舟』はその最終作にあたる。もちろん本書から読み始めても十分おもしろい作品で、探偵役を務めるのは『黄昏に眠る秋』で失踪した子供を捜し続ける女性の父親として登場した元船乗りの老人、イェルロフ・ダーヴィッドソンである。ちなみにスウェーデン・ミステリーの主流は警察小説で、警察官ではない個人が探偵役を務める作品は比較的珍しい。そういう意味では、かの国のミステリー新潮流を作ったシリーズでもあるのだ。

 物語の中核をなすのは、イェルロフが1930年に出会ったアーロンという名の少年についての記憶である。今はもう遠くへ去ってしまったはずのアーロンの人生が、エーランド島に生きる人々の現在に思わぬ形で影響を与えることになる。テオリンはこうした形で過去と現在を交錯させ、時間の経過の重さを描く技法の名手である。冒頭に書いた潜水艦浮上の驚きは、このアーロンにまつわるエピソードの中で突然披露される。それまで見ていた光景が一瞬で塗り替えられる、というたぐいの驚きをミステリーに求める読者ならば、たまらない喜悦を覚えるはずである。

 この過去パートを囲むようにして現代の話が配置されている。訪問者で溢れるエーランドの夏の様相が、複数の視点人物を配した語りで見事に表現され、その中にはゴースト・ストーリーも配置される。ヨーナス・クロスという少年が目撃した幽霊船のエピソードだ。実はテオリンは妖精目撃譚などの民間伝承に強い興味を示す作家でもあり、これまでの長篇にも怪異の要素が盛り込まれていた。妖怪やお化けの物語に惹かれる読者にとっても、強い親和性があるはずだ。

 狭い島の物語ではあるが、時間軸の広がりもあり奥行きは実に深い。四部作の立役者であったイェルロフがどのような退場の仕方をするかという興味もあったが、見事な形でシリーズの幕引きも行われた。いずれ訳されるであろう次回作も、実に楽しみな作家である。

(杉江松恋)

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