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島倉千代子 被災地への思い込めた「おかえりなさい」の歌碑が設立 誕生日3/30に除幕

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島倉千代子 被災地への思い込めた「おかえりなさい」の歌碑が設立 誕生日3/30に除幕

 島倉千代子が2007年に発表したシングル『おかえりなさい』の歌碑が岩手県釜石市の根浜海岸に設立し、3月30日の誕生日に除幕式典が行われた。

島倉千代子 除幕式典の様子写真など

 島倉千代子は16歳でデビューして以降、「この世の花」「東京だョおっ母さん」「からたち日記」「人生いろいろ」など大ヒット曲を次々に発表し、昭和から平成の半世紀に渡り人々を魅了してきた。

 2013年11月8日に75歳で肺がんのためこの世を去ることになったが、亡くなる3日前には南こうせつプロデュースの「からたちの小径」を自宅で録音し、歌手としての人生を全う。まさに一途に歌を愛し、歌に生きた人生だった。

 2007年5月30日に発売した『おかえりなさい』は、定年で職場から離れていく団塊の世代へ向けた応援歌。島倉は生前、2011年に発生した東日本大震災の大きな被害に胸をいため、震災で犠牲になった人々に「お帰りなさい」、未だ行方の分からない人々に「帰っておいで」と、そんな思いを込めて歌いに行きたいと周囲に語っていたという。しかし、その思いは遂げることが出来なかった。

 関西地区のファンらでつくる島倉千代子後援会(事務局・大阪市吹田市、吉田恵美子代表、会員約160人)は、彼女の思いを形にと昨年3月に同曲の歌碑建立を計画。会員に寄付を呼びかけ寄付金323万8000円を集めた。同時に、吉田代表の友人で釜石市出身の小松廣子さん・義次さん夫妻に相談すると、夫妻の知り合いであった釜石市鵜住居町根浜にある旅館『宝来館』の敷地内に歌碑建立の土地を確保。

 2015年10月末に様々な有志の想いのもと、「おかえりなさい」の歌碑が完成した。

 「おかえりなさい」の歌詞が刻まれた歌碑は、白御影石製で高さ90センチ、幅約1.4メートルで、背面にはそのジャケット写真が刻み込まれている。島倉の墓石と同様に稗田石材店が製作を手掛け、東京から10時間の移動を経て同地に運び込まれ設置された。完成から5か月が経過したが、島倉の誕生日に正式に披露したいという発起人の思いから、3月30日の除幕に至った。

 除幕式には関西、福岡、四国、東京、地元釜石からの島倉千代子後援会、およびファン約70名に加え、『おかえりなさい』の制作プロデューサーである境弘邦、作詩の友利歩未、作曲の杉村俊博に加え、釜石市副市長の山崎秀樹も出席。杉村・友利の両氏による歌唱指導のもと参加者全員で「おかえりなさい」を大合唱し、根浜海岸に島倉の想いを響かせた。

◎除幕後 参加者コメント
<島倉千代子後援会・吉田恵美子 代表(事務局・大阪市吹田市)>
「甚大な被害をもたらした東日本大震災から5年がたちました。震災後、島倉千代子さんは「東北の人たちに「おかえりなさい」を歌いにいきたい」とおっしゃっていらっしゃいましたが、残念ながらその思いを果たすことが出来ませんでした。その島倉さんの思いを東北の人たちに知っていただきたいと「おかえりなさい」の歌碑を建てさせていただくことにしました。宝来館の女将さんのご好意により、この土地を提供していただくことができました。そしてたくさんの人たちの応援とご協力のおかげで今日、「おかえりなさい」の歌碑の除幕が出来ます。きっとどこかで島倉さんも見てくださっていることと思います。そして“私のファンの人たちもなかなかやってくれますね”と褒めてくださっていることと思います。東北の一日でも早い復興を願っています。そして「おかえりなさい」の歌碑が復興のお手伝いにつながれば嬉しいです。震災で今も行方のわからない方々もいらっしゃいますので“ここが帰ってくる場所です”という道標になってくれたらいいなと思います。」

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