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点滴を抜いて、病院から走って逃げる夢を見た…切迫早産で先の見えない辛い入院

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7月の初旬、妊娠8ヶ月でした。

突然、声も出せないほどの激痛が腰に走りました。

寝返りもできず、どうにもできない腰痛に襲われ、冷や汗が止まりませんでした。

呼吸をゆっくりするのがやっとでした。

とにかく痛かったのです。

なんとか主人の腕を掴むと、主人は慌てて病院へ電話をしました。

すぐに産婦人科へ行きました。

痛みはすごく強くなると声も出せず、動けず、息を吸うのもやっとでした。

しかし、その痛みはずっと続くのではなく、暫くすると鈍痛は残るものの話すこともできました。

病院へ着いてからは安心して少し心に余裕がでました。

すると、赤ちゃんは大丈夫なのかそればかりが急に心配になってきました。

腰痛の原因の検査をしたところ、切迫早産でした。

即入院が決まりました。

張り止めの点滴をすると少し腰痛が和らぎました。

まだ新婚だったので主人には遠慮する部分が多く、主人に頼っていいのかわからず、入院することに不安がありました。

でも不安より寂しさの方が大きかったです。

日中一人で、ただひたすら点滴の副作用に耐え、夜少し主人と話をして、また一人に戻るのが寂しくてよく泣いていました。

一人ってこんなに心細いものなんだと思いました。

身体が辛いのはもちろんでしたが、何よりお腹にいた赤ちゃんがすごく心配でした。

点滴も赤ちゃんにとって大丈夫なのか、お腹が固くなったとき赤ちゃんは苦しくないのか、とにかく赤ちゃんが心配でした。

1ヶ月経って、悪化していく体調と、終わりが見えない入院生活についに心が折れました。

主人は毎日病室に来てくれて、それだけが唯一の楽しみでした。

主人に泣きながら、

「いつ家に帰れるの?」

と泣きつくことも何度もありました。

身体が副作用に耐え切れず、常々眠くて起きていられなくなりました。

それでもお腹の中で元気に動き回る赤ちゃんに、何度勇気をもらったかわかりません。

赤ちゃんが動くたびに、赤ちゃんは大丈夫だと安心できました。

点滴が2種類になりました。

2種類目の点滴は非常に辛いものでした。

薬が身体に入った瞬間から喉が焼けるように熱く、顔に全身の血が集っているようで、身体が壊れてしまうのではないかと思いました。

本当に逃げ出したかったです。

手は震え、まぶたが半分程しかあかず、自分一人でトイレへ行くことすらできなくなってしまいました。

立つこともできないのです。

歩けないことがショックで、情けなくて、看護師さんに泣いて点滴を止めたいと言いました。

しかし、今点滴を止めたら赤ちゃんが生まれてしまうと言われました。

赤ちゃんが元気に生まれるために、必要なことだとわかってはいましたが、身体が辛すぎて、点滴を抜いて病院から走って逃げる夢を何度も見ました。

私の身体がおかしくなるくらいの強い薬を入れて、お腹の赤ちゃんに影響はないのか本当に心配でした。

毎朝お腹にモニターをつけて赤ちゃんの心音を聞きました。

なぜか赤ちゃんはモニターが大嫌いで、モニターをつけてもすぐ逃げてしまい助産師さんが困っていました。

助産師さんと赤ちゃんの『モニター追いかけっこ』が、私に元気をくれました。

数少ない入院中の癒される時間でした。

入院から約2ヶ月、やっと点滴が取れました。

その日の夕方から陣痛が始まり、無事元気な赤ちゃんを出産できました。

切迫早産は本当に辛かったけれど、入院中、私と主人と赤ちゃんの絆が強くなった気がします。

著者:Kabuko

年齢:20代

子どもの年齢:3歳

お調子者の娘に笑顔をもらう毎日です。

泣いたり怒ったり、色々あるけれど「楽しんで!」をモットーに子育て中!

フリーライターとして活動中。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。

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