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認知症になってから人生戦略を立て直したはなし

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「認知症と診断されたら、認知症と共に生きる人生戦略を立て直せばいい」これは、京都府立洛南病院の森俊夫先生(「京都式認知症ケアを考えるつどい」呼びかけ人)が私と母に教えてくれたことです。

長い間、私はこの「認知症になってからの人生戦略」や「人生の再構築」の意味がよく分かりませんでした。けれど、今はよく分かります。認知症になっても、人生は楽しめる。今回は、その考えに至った経緯を振り返りたいと思います。

アルツハイマー型認知症と診断され、第二の人生計画を見失う

定年退職を迎えた母の楽しみは、成長著しい孫たちの子守りをすることでした。そして私たち娘家族と食事や旅行に出かけること。月に数回、友人とお遍路参りに行ったり、ランチ会を楽しんだり。次女夫婦と孫に会うため一人で飛行機に乗って北海道に行ったり。また、人生初の海外旅行にも夢を持っていました。

けれど、63歳の時、アルツハイマー型認知症だと診断された途端に、そんな人生計画が一瞬にして消え去ってしまったのです。

大変だ。厄介なことになった。これは当時の私の率直な気持ちです。

認知症なんだから、病人らしくして

認知症と診断された直後、病人らしくして欲しいと母から色々と取り上げてしまいました。

「仕事は辞めて(非常勤で小学校の副担任をしていました)」
「火事になったらあかんから料理はしないで」
「迷子になったら困るから出歩かないで」
「約束も忘れるだろうから友達と約束しないで」

母は、今までやってきたことを取り上げられ、怒っていました。当時、「なんで私が認知症なん!?」と自分が認知症であることは受け入れていませんでした。私は認知症の知識も介護の知識もなく、「認知症って診断されたけど、薬も飲み始めたし、迷子になって警察のお世話になったりしてないし、まっいいか」という考えでした。母の生きづらさをよく理解できておらず、母とはケンカばかりする毎日が長く続きました。

母のため、私に出来ることが分かった!

そんな混沌として毎日が続く中で、母と私にある変化がありました。参加している家族の会で、認知症当事者として多くの人の前で気持ちを話す場をもらったのです。
★前回記事参照:アルツハイマー型認知症の母の本音に気付いた日

これがきっかけで、私たちは家族の会や大学など、いろんな場に呼ばれて発表をするようになりました。母は教壇に立っていた頃のやりがいを再び感じることが出来たのだと思います。

「もう死ぬのを待つだけやと思ってたのに、人生のおまけで楽しませてもらっている。まさちゃん(筆者)のおかげや。こんな幸せな日が来るとはなあ…」

母がやりたいこと、喜ぶこと、やりがいを感じることを手伝っているうちに、いつのまにか母は生きる力を取り戻したようでした。

そこで初めて、冒頭の「人生の再構築」という言葉の意味が分かったのです。母はまだまだ人生を楽しめる。やりたいことがある。私が少し手伝えば、それが出来る。認知症になって、それまで計画していた人生計画が狂ったなら、再計画すればいいんだ!と。

母の人生戦略を、一緒に立て直す

母の口癖は、「一日やることがないと困る」。これまで40年間小学校教諭としてバリバリ働いてきた母は当時65歳で体力もあり、ゆっくり家で過ごすことが苦手なようでした。だったら、母が退屈で困らないように、私が行き先を作ってあげよう、と思いました。例えば次のようなところです。
認知症カフェにいく

当時、京都で1号店となるオレンジカフェ(認知症カフェ)が開店しました。毎週日曜日通うようになりました。

福祉事業所の就労支援B型ではたらく

ちょうどその頃、福祉事業所で若年性認知症の人への就労支援が始まりました。週2回通うことにしました。

就労支援A型…雇用契約を結び給料をもらいながら利用する。
就労支援B型…通所して授産的な活動を行い工賃をもらいながら利用する。
参照元:就労継続支援どっとこむ(2016/02/28アクセス)

くわえて、最初は嫌がっていたデイサービスも楽しく通うようになり、食事の配膳や片付けの手伝うことでやりがいを持つようになりました。

人生戦略を、立て直した結果

母の行き先をつくった結果、母は毎日どこかに出かけることが出来るようになりました。

こちらが、母の1週間のスケジュールです。見ての通り、予定がギッシリ!です。一見、ハードに見えますが、母にとっては朝起きて、「出かける場所がある。やることがある」と思えることがうれしいようです。始めてから2年経つ今も、出かけるペースは変わらず、同じ生活が続いています。

そして、母自身にも色々な変化がありました。

同じ病気の友人ができた!

オレンジカフェの常連さんになることで、同じ若年性アルツハイマー型認知症を持つお友達ができました。ディサービスも同じところに通っています。写真は、2015年12月に、オレンジカフェ三周年記念のイベントがあったのですが、その時の写真です。

毎晩のビールがおいしい!


母は、ビールが大好きです。認知症と診断されてからケンカばかりの時期は、昼間からビールを飲んだり、ビールの量を管理することがとても大変な時期がありました。けれど今は、またビールを美味しく楽しめるようになりました。

認知症を受け入れることが第一歩

認知症と共に生きる人生戦略を二人で作り直せたことで、今も母と楽しい毎日を過ごせています。私がやったことは、母がやりたいことのお手伝い、それだけです。ただ、「母にやりたいことがある」こと、工夫をすれば「やりたいことを実現できる」ことに気づくまでには、少し時間がかかってしまいました。
認知症と共に歩む人生を受け入れること
認知機能が衰えても、本人らしさは損なわれないこと
出来ないことよりも、出来ることに目を向けること

こうしたことを意識することで、いくらでも新しい人生戦略は作り直せます。もし、身近な人や大切な人が認知症になったら、是非、意識してみてくださいね。

この記事を書いた人

河合雅美

1972年生まれ。夫と二人の娘の四人家族。介護老人保健施設と調剤薬局に薬剤師として勤務。アルツハイマー病の母(要介護2)が同じマンションの別フロアーで一人暮らしをしている。診断当初は、どうしていいのかわからず、母娘でケンカばかりしていた。ある時、母としっかり向き合うことができ、認知症があっても、やりたいことやできることがたくさんあることを知る。現在は、認知症と共に生きる母を前向きにサポートしている。

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