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話題の本『112日間のママ』はこうして生まれた

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 放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、話題の本の誕生秘話を明かす。

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 読売テレビの『かんさい情報ネットten.』メインキャスター、清水健アナが、妻・奈緒さん(享年29)一周忌に向けて書き上げた『112日間のママ』が発売一か月で5刷、10万部のベストセラーとなっている。

 新人アナウンサー時代、『どっちの料理ショー』(読売テレビ・日本テレビ系)で“三宅厨房”のアシスタントとして、食材を探し求めるロケに出たり、スタジオでフットワーク良く動いていた小柄な男性が「シミケン」こと清水健アナ。関西地区以外にお住まいの方の中にも彼を「知っている」「憶えている」という方も多いだろう。

 そんな清水アナが『~ten.』でスタイリストをしていた奈緒さんと愛をはぐくみ、結婚。ほどなくして妊娠するも、奈緒さんはトリプルネガティブという悪性が高く進行の早い乳がんに冒されてしまう。

 それでもがんと闘いながら元気な男の赤ちゃんを出産。…が、本のタイトルどおり、ママになってわずか112日で奈緒さんは天に召されてしまうのだ。

 実は私も、スタイリストの奈緒さんにはお世話になっていた。私が出演していた同局深夜の番宣番組『ウキキDEナイト』に新人スタイリストとして就いていたのが奈緒さんだ。

 美意識が高く、いつもかわいらしいデザインの服を着ていて、キビキビ動く、元気で明るいお嬢さんだった奈緒さんは、読売テレビの脇浜紀子アナや森若佐紀子アナら、年上女性にとてもかわいがられていた。

 奈緒さんの訃報は、その脇浜アナから私に届けられた。「まだ29才」、「ママになったばかり」「シミケンは憔悴しきっている」…、脇浜アナからのメールに居ても立ってもいられず、私は東海道新幹線に飛び乗った。奈緒さんの告別式に参列するためだ。

 あれほど泣いた告別式というのも、そう経験はない。きれいで性格がかわいくて、でもスタイリストとして裏方に徹していて、本当に仕事がよくできた優秀な奈緒さんが、生まれたばかりのお子さんと最愛の夫を遺して旅立ってしまったのだから。

 大きな斎場の最前列で、喪主の清水アナは気丈にふるまっていた。が、もともと、それほど大柄ではない身体はすっかり痩せ細り、その傍らには椅子ではなくベビーカーが…。それも初めて見る光景だった。ママとのお別れがわかっていたのだろうか。息子さんは、ずっとぐずっていたのだが、清水アナに抱っこされながら、2番目にお焼香をする姿に、彼以上に声をあげて泣き出す参列者も多かった。その告別式のときも、政治家や芸能人の参列者を中心になって仕切っていたのは脇浜紀子アナだった。

 葬儀から戻った私は、清水アナになるべく早く以前のように仕事をすることと、本を書くことを薦めた。書くことで気持ちを整理し、向き合うことができるからだ。

 私はすぐに、ある女性編集者のことを思い浮かべた。『女性セブン』の編集者時代、経済ジャーナリストの金子哲雄さんの連載ページを担当。金子さんが2012年10月、肺カルチノイドのため41才という若さで亡くなられた翌月に出版された単行本『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』の担当編集者でもあったNさんだ。

 金子さんは「世の中のことを知りたければ、経済誌より『女性セブン』を読みなさい」と常におっしゃっていた『女性セブン』の大ファン。『僕の死に方~』は、金子さんが生前、件のNさんと、妻で編集者の稚子さんの元で書き上げたものだった。

 このとき、Nさんがいかに細やかな姿勢で金子夫妻に寄り添っていたかを知っていた私は、「シミケンの本の編集担当はNさんしかいない」と思い、連絡。そして、Nさんの女性の上司がすぐにGOを出してくれて、その週末にはもうNさんは大阪に飛んでいた。

 準キー局とはいえ、関西ローカルの読売テレビのアナウンサーが書く本にGOサインを即決する女性上司もずいぶん勇気があったと思う。

 その頃の清水健アナは当然のことながら気持ちの整理などついているはずもなければ、書くという気持ちがしっかり固まっていたわけでもない。

 それでもNさんは、大阪と東京を何往復もしながら、清水アナと話をしてくれたそうだ。「お話を聞いているときは、なるべく泣かないようにしていたのだけれど、ホテルに戻って泣いてしまった」とNさんは振り返る。

 最愛の妻の闘病中、その事実は明かさず、高額医療に苦しむ家族や、医療現場の医師や看護師の懸命な仕事ぶりなどについて清水アナはツイートしていた。そして、報道キャスターとして「やっぱり僕は伝えるべきなんですよね」と清水アナは決意。

 彼は奈緒さんとの出会いから、多くの芸能人らに祝福された結婚パーティのもよう、発症、出産、『~ten.』を休み、奈緒さんと息子さんと共に寝泊まりできる病院を選んで、彼女を見送ったことまで詳細に記した。

 もう一つ、清水アナが「書く」モチベーションにしていたことがある。それは、多くの人が思っていた「奈緒さんは自分の命を犠牲にして最愛の男性の子供を出産した」ということを「否定」することだった。

「それは違うんです。僕たち家族は、『3人で生きていこう』と決意して、頑張っていたんです」と。奈緒さんもまた最期まで「家族3人で生きよう」と闘っていたというのである。

『112日間のママ』を読むと、奈緒さんは辛いとも苦しいとも痛いとも言わず、『~ten.』に出ている清水アナの姿を毎日楽しみにしながら、元気な男の子を出産。心身共にギリギリの状態でありながら、私が知っているオシャレでかわいい女性として家族旅行まで実現。昨年2月11日、天に召された。

 清水健アナの背中を最初に押した先輩アナウンサー、GOサインを出した小学館の幹部、編集担当の女性たちが『112日間のママ』を支えている。それは、奈緒さんの“お人柄”だと私は思う。

 発売からずっとamazonの闘病記部門で第一位を独走しているが、読み終えたとき、いちばん近くにいる人をもっと大切にしようと思える1冊だ。

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