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[瀧波ユカリさんインタビュー]寒くて暗い部屋の中で、ただ祈ることしかできなかった5年前の3月11日

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お肉屋さんの揚げ油が揺れている!震災、その時

地震が発生したときは、子どもの予防注射の帰りで夫と私と子どもの3人で商店街のお肉屋さんで揚げ物を買っていました。

揺れが大きくなるにつれてお肉屋さんの揚げ油がたっぷんたっぷんと揺れ始めて、中にいては火傷の危険もあると思い、「ちょっと外に出ていますね!」と外に出ました。

揺れが収まるまでの長い間、あたりを通行していた知らない人同士で、「これちょっとやばくない?」というような目配せをしていたのが、非日常的で印象に残っています。

その時はまだ「普段よりかなり大きい地震が来た」程度の認識だったんですが、帰宅してテレビを見て、想像以上に酷い状況だということを知りました。

寒い、暗い…。どんどん積み重なる不安感

震災後、「停電」「節電」をすごく意識せざるを得なくなりましたよね。我が家も暖房を切っていたし、マンションの上下左右もおそらく暖房をストップしていたんでしょうね、家の中がすごく寒くなったんです。明かりも最小限しかつけないので、暗くて。

テレビをつけると津波の映像が繰り返し流れて、亡くなった人の数がどんどん増えていく。それから実は原発が大変らしいと。爆発して建屋がなくなっているとか、セシウムが、とか次々馴染みのない専門用語で報道されて、そのたびに調べなきゃ!と焦っていました。身近なところではスーパーにものがないとか、オムツが手に入らなくなったらどうしようとか、停電になったら冷蔵庫の中身はどうすればいいんだろうとか、一気に大小いろいろな問題が起きて、どんどん不安が積み重なり、気持ちが落ち込んでいくのを感じました。

今振り返ると、私を含め東日本に住んでいた人は気持ちに逃げ場がなかったんじゃないかと思います。テレビでは常に震災のことを流しているし、被災地は心配だし、原発は気になる。突然起きたあまりにも大きなことに、ずっとそのことを考えてしまって、気持ちをそれ以外に向けることが難しかったですよね。

特に小さい子がいると、家から出たり、「暗くなっていてもしょうがないからみんなで飲みにいこうか!」みたいな気晴らしも難しい。寒くて暗くてどんどん不安になって、震災後数日で、すごく煮詰まってしまったんです。

『はるまき日記』に書くことがない!蔓延する「一大事感」

当時執筆していた『はるまき日記』に顕著なのですが、私は子育て全般、ふざけていることが多いんです(笑)そうでもしないと子育てって大変すぎるからっていうのもあるんですけど、基本子どもで遊ぶんです。でも、あの時はテレビを見てもネットを見ても「国の一大事」という雰囲気がすごくあって、みんなでがんばらなきゃいけない!という空気が蔓延していたように思います。早い段階から「不謹慎」という言葉が出てきて、イベントが中止になったりしましたよね。誰に強要されたわけでもないのですが、私自身「真面目にがんばらなきゃいけない!」と雰囲気を読んでしまったんでしょうね。気づいたら、弱音を吐いたり、茶化したりふざけたりは絶対しちゃいけないと思っていました。今から考えると、それが一番つらかったですね。

テレビで津波や被災地の映像を見て、そのあまりの被害の大きさに、「ああ、これから半年、1年スパンで、地震のことを考えないで過ごすのが難しくなるんだろうな、わたし今日から『はるまき日記』に書くようなおもしろおかしいことを考えられないかもしれないな」と心底思っていました。

新米ママが知っておくといい、災害時の心得

子どもが小さい時の母親って、怖いことや危険に対してふつうの人より感受性が強くなるので、その時期に災害があったりすると、すごく大変です。そういう時は、自分が敏感になりやすい状態なんだということだけでも知識として持っておくと、少しでも楽になるかもしれません。自分ばかり不安になっているのかと思うと、それがまた不安の材料になってしまうので。「今は子どもが小さいから、不安な気持ちになるのは、体の反応としてしょうがないんだ」ということを知っておくといいと思います。

震災の後、「何かあった時のために、同じくらいの子どもを持つお母さんでネットワークを作っておきましょう」ということがよく言われていましたが、個人的にはそれはしなくていいんじゃないかな、と思っています。人脈作りは向き不向きがあるので、有事のためにネットワークを作る!とがんばるよりも、子どもが生まれる前からの友達と連絡を取り合うようにするほうがストレスもなくていいような気がしますね。もちろん、人付き合いやネットワーク作りが好きな人、得意な人はそんなことを考えなくてもどんどん仲良くなっていくと思うんですが、自分を含め苦手な人にはマストではないと思います。

チャリティ活動、エッセイ寄稿。漫画家としての、震災への向き合い方

震災後、ジャーナリストの津田大介さん、株式会社ピーチジョンの野口美佳さんたちが発起人となった「パワクロ」という取り組みに賛同し、チャリティに参加していました。

これは、被災地である宮城県石巻に若者の雇用を作ろうという目的で、芸能人や漫画家といった人たちから寄付された古着をインターネットで販売するものです。間接的ではありますが、自分が服を出すことで現地にいる人のお給料になるという嬉しさがあり、けっこう積極的に関わっていましたね。自分自身が服を送るだけでなく、同業の知人に声をかけて服の寄付を募ったりしていました。

まだ被災地には行ったことがないのですが、パワクロで関わったという縁で、今後機会があれば石巻に行ってみたいな、と思っています。

震災について何かを書くという点で印象的だった仕事は、2013年2月に掲載された『3.11を心に刻んで』という、岩波書店の企画へのエッセイの寄稿です。毎月11日に、小説家や評論家といった文章を書く人たちが震災についてのエッセイを掲載するサイトで、今は本になって出版もされています。

依頼をいただいた時は、震災から2年経って雰囲気もゆるんできた感じがありました。そこで改めて自分の考えをまとめて文章にすることは、自分にとって一つの区切りになりましたね。それまでは、震災のことや被災地のこと、原発のことをどう思っているのかと考えようとしてみても、気持ちがなかなか固まらなかったんです。でも、この企画では、今の自分にまとめられることだけをまとめようと割り切って書くことができました。そうやって一つの文章にして掲載させてもらったことで、自分はこういうふうに思っている、というのを示すことができたという安心感がありました。

震災後、自分にできることってなんだろうとずっと考えていました。私のような仕事をしているからこそできることは、おもしろいもの、中できるようなものを書いて、それを読んでもらうことだと思うんです。これからも、「おもしろいものを書きましたよ、大変な日常を小一時間くらいは忘れられるかもしれないですよ」と言えるものをずっと書いていきたいので、そういう形で応援し続けられたらと思います。

瀧波ユカリさん

漫画家、エッセイスト。1980年札幌市生まれ。2004年、『臨死!! 江古田ちゃん』でデビュー。現在は『月刊アフタヌーン』に「あさはかな夢みし」を連載中。その他、著書に『偏愛的育児エッセイ はるまき日記』、『女もたけなわ』、『オヤジかるた』、対談本『女は笑顔で殴りあう』などがある。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。

編集・文/山上景子

akasugu.fcart.jp

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