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目に見えない放射能の恐怖。後ろめたさを感じながらも、逃げ出すことしかできなかった

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誰もが忘れることのできない2011年3月11日、東日本大震災が起こった日。

私は、その日2歳の長男と東京の自宅におりました。

本当なら、友人親子と出かける予定だったのですが、朝からひどい頭痛で延期してもらいました。

結果的にはこの判断が大正解でした。

出かけていれば、幼い子供を連れて帰宅難民になるところでした。

地震の揺れは、確かに今まで経験したことのない非常に怖いものでした。

しかし、私たちの最大の恐怖は数日後に知ることとなる「放射能」でした。

スーパーから生活用品、食材が消えていくこと、たくさんの人達が不必要な物も買い占めること…生活の不便はありましたが、逃げ出すほどのことではありませんでした。

目に見えない放射能の恐怖に比べれば・・・

毎日毎日、ニュースとにらめっこ、子供と家に引きこもり、外で遊びたい息子をなだめることに必死でした。

東京都内の放射能の数値も上昇し、状況は悪化するばかりで、何を信じればいいのか、どうすれば子供を守れるのか・・・

すべてに疑心暗鬼になり、その私の不安定な精神状態が子供にも影響し始めました。

結局、すぐには改善しなさそうな現状と自分の状態、子供のことを考え、主人を置いて北海道の実家に逃げ出してしまったのです。

主人や妹、仲の良いママ友、みんなを置いて自分だけ少しでも安全な場所に逃げたという、負い目を感じずにはいられませんでした。

申し訳ないと思いながら飛行機に乗り、北海道に着くとそこは、まるで震災などなかったかのような日常の風景でした。

マスクをしている人を見かけることもなく、同じ日本、いや同じ東日本であってもこんなに違うものかと感じたのを覚えています。

子供と穏やかな日々を過ごすことができることに安堵すると同時に、やはり東京にいるみんなのことが頭から離れませんでした。

自分だけよければいいのか、もっと大変な人たちもいるのに、と葛藤もしました。

ですが、親はなにかあったとき決断しなければならないと思うのです。

それが正解でも不正解でも。

私があの時何より守りたっかたのは、子供の健康と笑顔でした。

今も日々、迷いながら、子供にとってなにが最善の策なのかを模索しながらの育児です。

著者:ニック

年齢:37歳

子どもの年齢:3歳

震災時後に産まれた長女を含め4人家族。現在は37歳主婦で、震災後北海道に転勤になりました。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。

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