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乳児を抱え、水や空気さえも毒に感じられた日々…東京から関西へ一時避難した私

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2人目の男の子が2月7日に産まれたばかり、長女もまだ2歳ちょっとという、精神的にも身体的にも一番大変な時に東日本大震災に遭いました。

当時は都心のタワーマンションの28階に住んでおり、地震そのものは恐ろしい揺れではありましたが、このビルは大丈夫という確信はありました。

実母が付き添いでちょうど滞在していてくれた時だったため、乳幼児二人を抱えていましたが、逃げるにしても何とかなるという気持ちがありました。

結局、マンション自体は問題なさそうだったので、管理会社からの指示を受けて、外へ出ないということにしました。

その日は、主人が帰宅するまでは多少不安でしたが、主人のオフィスも都心の大きなビルで比較的すぐ連絡が取れたため、気持ちは落ち着いていたと思います。

震災後直後から1か月ぐらいは、近くのスーパーやベビー専門店でおむつや粉ミルクが入手しにくくなり、本当に困りました。

インターネットでおむつをオーダー(それもかなりの値段がしていた)したり、主人には会社帰りに何軒かスーパーを回ってもらうなどしていました。

また原発の問題で水や食料にも敏感になり、ミネラルウォーターを大量にインターネットで購入し、それで赤ちゃんの沐浴を行ったりしていました。

今から考えると、過剰反応かもしれませんが、その時は水が毒に思えてしまったのです。

原発のニュースは、周りのママ友も非常に怖がっていて、同じマンションの外国人家族は母国へ一時帰国をしていました。

私の場合は、主人は仕事の関係で東京に残らなければならなかったのですが、震災後1か月頃から放射能が恐ろしくノイローゼ気味になったのもあって、2か月ほど実家の近くにある関西のウィークリーマンションに滞在しました。

水道の水が怖くない、外に出てもびくびくしなくてすむという環境で良かったのですが、さすがに主人と分かれ離れに暮らしているのもおかしいと思ったのと、ある程度気持ちが落ち着いたので東京に戻ることができました。

震災という経験を通して、非日常の中で小さな子を育てるということがいかに大変かを痛感しました。

私自身も正しい知識を持ち、かつ落ち着いて行動しなければならないと思いました。

著者:ユリママ

年齢:42歳

子どもの年齢:6歳半、5歳

震災時は乳幼児を抱えタワーマンションに住む主婦でした。一時期関西に避難しました。

※プロフィール情報は記事掲載時点の情報です。

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