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『風と木の詩』の竹宮惠子 萩尾望都への嫉妬に苦しんだ日々

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 ベテラン漫画家の竹宮惠子氏の自叙伝『少年の名はジルベール』(小学館)が大きな話題になっている。『風と木の詩』に影響を受けた読者も多いだろう。フリーライターの神田憲行氏が紹介する。

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 表紙のタイトルとこの絵にぞわっと総毛立つ想いを抱かれた読者もいるに違いない。竹宮惠子の代表作『風と木の詩』の主人公である。舞台は19世紀後半のフランスの男子寄宿舎。生徒のジルベールはそこで「男娼」のような存在だ。ジルベールは同じ生徒だけでなく、校長もその悪魔的な魅力で虜にしている。そこへジプシーの血を引く褐色の肌のセルジュが転校してくる。正義漢の塊のようなセルジュとジルベールは同部屋になり、互いに反発しながらも惹かれていくようになる……。

 1976年2月から『週刊少女コミック』に連載が始まったこの漫画は、竹宮のいう「少女漫画の革命」的存在だった。私も中学生か高校生くらいのときに、姉が買ってきた単行本を読んだ。ジルベールがキスをした相手の同級生に「カレースープの味がする」と嫌みをいうシーンに、まだそんな経験がないにもかかわらず、ゾクッとした。

 現在は「BL」と呼ばれる少年愛の世界を描いた作品だが、当時はそういうものへの理解者は少なく、作者が想を得てから公になるまで7年かかった。

 本書は現在は京都精華大学で教鞭を執る著者が、『風と木』を発表する前の青春時代に重点を置いた自叙伝である。とある夜、竹宮がミレーの「ダフニスとクロエ」のポスターを見つめていて、

《「これ……これは何なのかな。……すごく自分とぴったりくる!」/「このキャラクター、今まで描いたこともない顔なのに、自分のキャラって気がする」/「少年の名はジルベール。絶対に、それ以外じゃない」》

 と『風と木』の着想を得ていく描写は感動的だ。

『風と木』が生まれるまでを背景に、竹宮の周辺にいる豊かなキャラクターが物語の旋律をなしていく。竹宮の育ての親であり大喧嘩もする編集者Y、竹宮に大きな影響を与え仕事のパートナーともなった増田法恵、そして同時代のスター漫画家のひとり萩尾望都だ。竹宮と萩尾はアパートで同居生活を送り、そこは漫画家やファンも出入りする「大泉サロン」と呼ばれたという。

 だが竹宮は、やがて萩尾にジェラシーと羨望が入り交じった感情を抱くようになる。毎週、週刊誌の締切に終われ、『風と木』の発表の機会を得られぬまま敗北感を持つ竹宮。月刊誌の「たとえ何ページであっても作品は毎月載せる」という編集部の庇護のもと、悠々と自分の世界観を構築していく萩尾。

 あるとき、竹宮は萩尾の作品を読んでいてひとつの描写を発見する。

《重なる木々の間を少女が歩く。そんなシーンを読みながら、あっ、と気づいた。/折り重なる枝の葉にその形を伝えるラインがなかった。縦の斜線のみで描かれている。/葉を示す輪郭線がない。輪郭がないままに葉が描かれていて、その葉の集合体が、茂みのように見える。さらにその茂みに見える葉の集合が絵の奥のほうに向かうにつれて輪郭がぼやけ、遠近を感じる深い森になっている。/本当に緑の深いところにいるのだなとわかるような背景を描く。深呼吸したくなるような緑の空間。そこに流れる風さえも感じることができた。/圧倒された》

 ストーリーだけ追っていけば《ほんの1秒で》読み飛ばしてしまうそのコマに、竹宮も才能があるかゆえにその新しさ、凄さに気づいてしまうのである。のちに他の漫画家たちが萩尾の「縦の斜線」を真似るようになる。極めつけは一条ゆかりからの電話を竹宮が受けたことだ。

《「萩尾さんの、あの作品の背景を描いているのは、誰なの? アシスタントさん? もしよければ、その人を貸してもらえない?」/略/「いえ、彼女は全部自分で描いているんです。精密で空気感のある背景も、こだわりを持っているところは、全部自分で描いています」/「そうなのか~」と、一条さんは、残念そうな声で言っていた》

 受話器を置いたときの竹宮はどんな形相をしていただろうか。

 このまま萩尾と一緒にいると自分が潰れると考えた竹宮は同居生活の大泉サロンを出ることを決意する。すでに別の部屋を借りたことを告げる竹宮に、なにも知らない萩尾は無邪気にこういう。

《「じゃあ、私も近くにしようかな」》

 竹宮は、

《「それはいやだ」という言葉が頭をかすめる。萩尾さんが遊びにくれば、また焦りや引け目を感じるに決まっている。/(中略)/私は大きな才能に置いていかれそうな不安を、これ以上感じていたくなかった。》

 ただの売れっ子なら、作品性の高さで自尊心を保てる。知らない人なら、距離を置いたまま嫉妬の炎をたぎらせるだけでいい。仲が良く尊敬もしている親友ともいえる間柄だけに、竹宮の感情は行き場がなく中に積もっていくだけだ。これは地獄ではないか。

 一方で『風と木』を巡る編集者とのやりとりでは腹を抱えた。竹宮が予告とは違う、『風と木』の習作となるような少年愛の漫画を送りつけたところ、編集者が怒りの形相で現れた。

《「お前ねー、普通の女の子と男の子が好き合う話ですらわけがわからなくて困ってんだぞ、俺は。それを女の子が好きな、男の子と男の子の微妙な友情って、いったい何なんだよ。ボツだ! ボツ!(後略)」》

 自叙伝としては薄い部類に入るが、読者はいくつもの啓示をこの物語から受けることになるだろう。私は読み終えて本を閉じたあと、すぐ開いてラストの5行に赤い線を引いた。


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