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妻・樹木希林と40年別居の内田裕也 最近は帰宅が増える

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「10年前にがんを切ってから今日までのこの時間は、自分の苦しみがあったから、自分を見つめることができたんじゃないかと思っているんです」

 2月9日、『クローズアップ現代』(NHK)に出演した樹木希林(73才)は、がんと歩んできた時間をそう振り返った。この日のテーマは『がんを“生ききる”』。集大成となるアルバムを発表した2日後に息を引き取ったイギリスの人気ロックミュージシャンのデヴィッド・ボウイ(享年69)や、亡くなる直前までテレビ出演を続けたジャーナリストの竹田圭吾さん(享年51)などを引き合いに、がん患者の終末期にスポットライトが当てられた。

「私の場合は親も死に、子供も自立して、それこそいつどうなっても“大丈夫大丈夫”っていうようなね。うちの旦那さん(内田裕也・76才)が“おれのことは連れて行くなよ。1人で逝ってくれ”って。“わかってますよ”って(笑い)」

 そう語る樹木の体に初めてがんが見つかったのは、2004年秋のこと。乳がんだった。翌年1月、医師のすすめもあり右乳房を全摘出。だが、2007年に切除したはずの右乳房の近くでがんが再発した。

「全摘出しても、残った乳腺や関連部位でがんが再発することもあるということでした。別の医者にかかった樹木さんは、切らずにピンポイントでがん細胞を攻撃する放射線治療を受けた。これがかなり効果的だったそうです」(樹木の知人)

 一時は「乳がんが消えた」と公表できるまでの状態になったが、2012年頃に副腎や脊椎への転移が発覚した。

「私はがんができる体質になっちゃって。(がんとは)つきあいたくないけど、出てくるものはしょうがないですよね。私の場合、日々の生活の仕方は、がんを受け入れているという形なんですよ」

 当時、女性セブンの取材にそう答えていた樹木。その後、ここ数年は治療も一段落していたが、「またここんとこへ来て治療が必要になりました。来週にはまた治療に入ります」と同番組では近々再開する必要に迫られていることをあっけらかんと明かした。

 1973年10月に出会って5か月でスピード婚をした樹木と内田。しかし、すぐに内田のDVが始まり、結婚から1年半後には別居状態となる。そして別居したまま約40年夫婦関係を続けてきた理由を、樹木は昨年5月の新聞のインタビューでこう明かしていた。

「私にとっては大事な重しなんですよ。最近はだいぶ私の変なところも知られてきたけど、内田さんがおかしくて、私がちゃんとしてるふうに思われた時期もあるのね。だけど本当は、どこに飛んでっちゃうかわからないような人生を送るはずだったんです、私が。だから、いい重し」

 都内の高級住宅街の一角に、樹木が本木夫婦と暮らす家がある。その家の表札には金色の文字で「UCHIDA YUHYA」と刻まれている。

「本木さんの名前をいちばん上に入れてあげてもいいと思うんですが、表札はずっとあのまま。いろいろいわれても、樹木さんと内田さんはしっかりつながっているんだろうな…と思いますね」(近隣住民)

 数か月顔を合わせないのも当たり前で、内田を“回遊魚”と呼んでいた樹木。だが、最近の様子を近隣住民はこう続ける。

「夕方の時間が多いですが、内田さんがタクシーで帰ってくる姿をよく見かけるようになりました。ふたりでどこか食事に出て行くところも見ますね」

 明るく、ただ達観して生き切ろうとする超人なわけではない。樹木は冒頭の番組内でこんな心情も吐露した。

「ズーンと落ち込むことはあるわけです。仕事では落ち込まないけど、命というものがなくなるんだと思った時なんかは(中略)そういう時は笑うの。笑うの。そして自分の頭を撫でるの」

 ジタバタしてみっともなくても、「あの婆さんはあんなふうに死んだんだね」と孫に見せたいとも話していた。

※女性セブン2016年3月3日号


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