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THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの『High Time』は、邦楽シーンの転換期に打ち立てた金字塔のひとつ

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THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以下TMGE)がシングル「世界の終わり」でメジャーデビューしたのは1996年というから、今年でメジャー進出20周年となる。巨大アリーナにおいてもオールスタンディングで、ステージ演出は極力排除され、MCらしいMCもほとんどなし。メンバー4人はオーダーメイドのモッズスーツに身を包み、パブロック、パンク、ガレージロックを彷彿とさせるサウンドを展開した、伝説的なロックバンドである。

CDバブル期に異彩を放った存在感
TMGEデビュー当時の日本の音楽シーンはどうだったかと言うと、安室奈美恵、華原朋美、globe、trfら小室ファミリーブームの真っ只中であった一方、プリンセス・プリンセス、米米CLUBといった一時代を築いたバンドが解散し、第二次バンドブームが本格的な終焉を迎えた時期だった。この翌年にはGLAY、L’Arc〜en〜Cielらの台頭によってCDセールスがピークを迎えた、所謂CDバブル期でもあった。そんな中、音にも見た目にも過度な装飾のなかったTMGEは、当時の状況を鑑みると、シーンに受け入れらえるのは容易でなかったとも思えるのだが、実際にはその逆で、熱狂を持って迎えられた。うるさ型のロックファン、一部好事家のみならず、一般大衆を巻き込み、デビュー2年後には横浜アリーナ公演を完売。約1万5000人を動員した。しかも、この公演は前述の通り、オールスタンディングライブという前人未踏のものであった。
TMGEのブレイクはCDバブル期における煌びやかな音楽エンタテインメントに対する反動でもあったと見るのが正解であろう。彼らのデビューの翌年に第1回が開催された『FUJI ROCK FESTIVAL』を始め、今や夏の風物詩となっている各地でのロックフェスが始まり出したのもこの頃で、この時期は邦楽史の転換期でもあったようだ。TMGEも1997年の東京の豊洲地区で行なわれた第2回『FUJI ROCK FESTIVAL』に出演。モッシュのため何度か演奏が中断されるほどだった激しいライヴパフォーマンスは今も語り草である。
TMGEが時流に乗ったのは間違いないが、それは決して偶然の出来事などではなかった。1991年の結成以来、5年近くインディーズで活動し続けたことにより、ライヴバンドとして他の追随を許さないほどの演奏力を身に着けていたことは言うまでもないが、メジャーデビュー以後の精力的な動きも強調しておきたい。

届ける努力を怠らなかったバンド
メジャー1stアルバム『cult grass stars』の発売が1996年3月。以後、TMGE は2ndアルバム『High Time』(1996年11月)、3rdアルバム『Chicken Zombies』(1997年11月)、4thアルバム『ギヤ・ブルーズ』(1998年11月)と、3年間は毎年定期的にアルバムを発表してきた。そればかりか、「世界の終わり」(1996年2月)に始まり、「キャンディ・ハウス」(1996年8月)、「リリィ」(1996年10月)、「カルチャー」(1997年5月)、「ゲット・アップ・ルーシー」(1997年8月)、「バードメン」(1997年10月)、「VIBE ON!/あんたのどれいのままでいい」(1998年1月 ※ライブ会場限定発売アナログ盤)、「G.W.D」(1998年8月)、「アウト・ブルーズ」(1998年9月)、「スモーキン・ビリー」(1998年11月)と、シングルも制作。これに加えて、当然、毎年ライヴツアーも展開していたし、アルバムのリリースに合わせてメンバーが地方プロモーションにも出かけていた。
アルバム発売時の地方プロモーションは解散の年にリリースした7thアルバム『SABRINA HEAVEN』の時にも行なっていたので、それ自体は驚くことでもないのだろうが、1997年まではシングル発売時にもメンバーが稼働し、地方のラジオ局に出演したり、タウン誌の取材に応えたりしていたことは特筆しておくべきだろう。メンバーも、そしてレーベルのスタッフも制作した音源を自らリスナーに届ける努力を怠ることはなかったのである。いつ頃だったか忘れたが、TMGEがブレイクを果たした後、ウエノコウジ(Ba)に「今となってはもうTMGEはメンバー自身が地方に足を運ぶ必要はないんじゃないですか?」なんて訊いたことがある。すると、ウエノは「レコードを作ったら、それを聴いてもらおうと自分たちからお願いするのは当然じゃん」と笑っていた。音楽性の優秀さ、卓越した演奏力、そして折からの時流に乗ることでTMGEがブレイクを果たしたのは事実だが、彼らの勤勉かつ実直な姿勢があったことも忘れてはならない。

名盤一枚に絞るのは困難だが…
さて、本稿ではそんなTMGEの名盤を取り上げるわけだが、他アーティスト以上にチョイスが難しく、CD棚の前でしばらく逡巡してしまった。『Chicken Zombies』を手にすれば「「ゲット・アップ・ルーシー」~「バードメン」の流れが良かったな」と思い、6th『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』を見れば「「暴かれた世界」や「ベイビー・スターダスト」のキリキリとした感じがカッコ良いな」、あるいは『SABRINA HEAVEN』を見れば「「ブラック・ラブ・ホール」から「太陽をつかんでしまった」につながるところもいいよな」といった具合である。これは、勝手に結論付ければ、TMGEはアルバムアーティストではあったが、同時にライヴバンドであったことが大きい。冒頭で述べた通り、サウンドは普遍的なロックバンドのそれであり、それがアルバム毎に大きく変化するアーティストでなかったことが関係していると思う。あとは個人的な思い入れが強すぎるバンドがゆえに一枚に絞れないかだろう(多分それ)。
よって、2枚組のライヴ盤である『LAST HEAVEN’S BOOTLEG』辺りを紹介しようかとも思ったが、ここは2nd『High Time』で決めよう。セッションを繰り返すことで楽曲を作り上げるのはTMGEのスタイルだったそうだが、M1「brand new stone」を始め、M3「恋をしようよ」、M8「笑うしかない」、M12「Baby,please go home ~ wave’33」辺りにその片鱗を感じることができるし、M2「リリィ」とM10「キャンディ・ハウス(texas style)」といったシングルチューンには改めてポップなバンドであったことがわかるアルバムである。注目はM5「シャンデリヤ」でのアベフトシ(Gu)のギターであろうか。TMGEの代名詞とも言えるアベの高速カッティングはこの後さらに鋭さを増していくが、この楽曲では全編にわたってその妙技を味わえる。グイグイと楽曲全体を引っ張るウエノのベースも心地良い。チバユウスケ(Vo&Gu)の声が若いのはご愛嬌だが、その唯一無二の存在感はさすがと言わざるを得ないし、クハラカズユキ(Dr)の几帳面なドラミングは音抜けが良く、全体のスリリングさを助長しているのも分かる。タイトル通り、ボウリングの音をフィーチャーしたM7「bowling machine」や、セカンドラインを取り入れたファンキーなM8「笑うしかない」など、ちょっとした変化球も楽しいが、全体を通して瑞々しいバンドアンサンブルに触れることができるのがいいところ。TMGE入門編としてもお勧めしたい。ジャケットのアートワークも秀逸さも見逃せない。
緊張感あふれるバンドアンサンブルを信条としながら活動を続けたTMGEだが、2003年に解散を発表。常にギリギリまで高めていたテンションを長続きさせることはできなかった…というのが外野の見解だが、メンバーから解散理由は一切告げられなかった。強いて挙げれば、『ミュージック・ステーション』に出演した際に司会のタモリが解散理由を尋ねると、苦笑いを返すメンバーの中で唯一ウエノが語った「まあ、いろいろあって…」というのが公式な解散理由であろう。我々もいろいろあったんだろうと思うしかない。その後、各メンバーはそれぞれのユニット、新バンド、あるいは他者のサポートメンバーとして活動を展開したが、2009年7月にアベが急逝。海外ではクイーンやTOTOのように中心人物の死後、復活するバンドもあるし、日本ではX JAPANの例もあるが、TMGEの復活の可能性は限りなくゼロに近いと言わざるを得ない。「TMGEのバンドマジックはあの時期だから生まれたものであって、仮にその後、復活していたとしても、再びあのテンションが生まれたかどうか」という意見もある。確かにその通りだとも思う。しかし、詮なきことを承知で書くが、あの4人でのライヴをもう一度観たかったことも確かである。アベの他界は今もって残念でならない。

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