体験を伝える―『ガジェット通信』の考え方

面白いものを探しにいこう 本物を体験し体感しよう 会いたい人に会いに行こう 見たことのないものを見に行こう そしてそれをやわらかくみんなに伝えよう [→ガジェ通についてもっと詳しく] [→ガジェット通信フロアについて]

島田なんとかって人の記者会見すごかった

G.A.W.

今回はnakamurabashiさんのブログ『G.A.W.』からご寄稿いただきました。

島田なんとかって人の記者会見すごかった

いまテレビつけたまま廃村のサイトとか見てたんだけど、島田なんとかって人の記者会見が流れてた。島田なんとかって人に対する俺の認識は「『なんでも鑑定団』に出てる」「司会者としてすごく有能」「べらぼうに頭の回転が速い」あたり。んで、セルフイメージってものに対してすごく鋭敏で、なんていうんだろ“庶民で、元ヤンキーで”みたいな立ち位置を根底に据えてる、という事実をまず見失わない人、みたいな感じ。

本来だったらこれ、俺みたいなテレビあんまり見ない人間がどうこう言うような筋合いのことじゃないんだけど、あまりに記者会見が鮮やかすぎたもんで、びっくりして書く気になった。

第一印象としては「うわあ。まったく信用できねえ」という感じ。テレビに出てる人なんであたりまえなんだけど、もうこの人、本音語る気がまったくないように見えた。あーいや、本音かもしんないんだけど、それを“どう”加工すればいいのかな、という考えが透けて見えることによって、これは“大衆”に向けて語ってるんだなーと。これほど政治的な振る舞いもそうあったもんじゃねえな、と思った。

そいや、『Twitter』のタイムラインに、徳光なんとかっていう人が遺書を用意してからマラソン走ったとかいうのが流れてきたんだけど、その情報見たときも「人に見られることを商売にする人の業ってすげえなあ」と思った。いやだって、それなりに成功して名を挙げた人が、わざわざあんな体張った挑戦とかする必要性どこにもないわけじゃない。そこに遺書まで用意して挑むっていうのは、人に見られることと引き換えに死んでもいいってことでしょ。仮に遺書を用意したことまで含めてスタンドプレーだったとしても、そしてもし“『24時間テレビ』の視聴率を上げること”自体が目的だったとしても、そしてもし、もしですよ、視聴率を上げることがそのまま寄付金の拡大につながるんだって素朴に信じ込んでるんだったとしても、とにかく当人は「死ぬかも」と思ってるわけですよ。それを演出することに意味があると思ってる。

よく街中で『24時間テレビ』っていうロゴが入った、お年寄りがお風呂入れる車とか走ってるんで、ああいう番組が無意味だとはまったく思わないんですけど、個人の仕事としてそこまで自分を投入できるってのはなんかすごい。“見られる”っていう商売ってそんだけすげえんだなーと。

それと引き換え、ハックルさんはひさしぶりに戻ってきたと思ったらやっぱりハックルハックルしていて、なんかすごいなーと思いました。

で、記者会見の話に戻ります。

なによりすごいのは、事実関係の説明が非常に明瞭なことですね。この限りにおいてすごい誠実に見えます。そしておそらくは、誠実なんだと思います。

俺、一対一の関係でなく、一人の人間が多くの人間に向けて“自分のこと”を語る場合、単なる事実ってほとんど意味ないって考えてるんですよね。解釈なんてさまざまだから。その“さまざま”に箍(たが)をはめてやる必要があって、箍(たが)をはめるものは“物語”なんですよ。反省してるにしろ、傲慢に出るにせよ、それは“一般に反省する際に必要だと思われるストーリー”に事実関係をうまく当てはめて説明してやらないといけない。ワイドショー的な解釈を進んで提供してやるというか。

そういう点で、この記者会見は完璧だったと思うんですよ。

この人、事務所が悪くないとは一言もいってない。これだけ理路整然とした説明のなかで、触れられてないことがあるとしたら、そこにはなんかあると勘繰ったほうがいい。となるとメールの件を持ち出してそれを“悪いこと”とした事務所に対しては含むところがあると考えたほうが自然です。

そんで「自分からいわなければ謹慎処分」と言ってますけど、それをわざわざ“自分が”引退の方向に持ってったと、しかもその場で即答したと言ってる。カウンターとしては非常に有効です。つまり、事務所を露骨に悪者扱いせずに、すべてを自分の責任に帰するかたちになってるわけですが、そのことが“潔さ”という副産物を生み出し、ぞれ自体がみずからのヒロイズムを鼓舞するようなかたちになってる。

すごいですよね。まあ、記者会見のときに泣いちゃったりしてるわけなんですけど、泣いてることもちゃんと“ストーリー”の成立に役立ってる。泣いてること自体を疑うわけではなくて、そこまでストーリー組み上げて、しかも芸能界に未練がない、というのは「ありえない」と大衆が想像するだろうことを前提にして、実際、本人の実感としたって未練がないはずがないじゃないですか。泣いていい、泣くことを自分に許容したんじゃないかなーと俺は思いました。涙の意味は文脈でどうとも書き換えられるし、実際、記者会見のなかでも「喜びの涙です」って読み替えてた。もちろん多くの人が「そんなはずないだろ。ほんとは悔しいんだろ」って読み取ることくらいは計算のうちだと思います。

1 2次のページ
寄稿の記事一覧をみる

記者:

ガジェット通信はデジタルガジェット情報・ライフスタイル提案等を提供するウェブ媒体です。シリアスさを排除し、ジョークを交えながら肩の力を抜いて楽しんでいただけるやわらかニュースサイトを目指しています。 こちらのアカウントから記事の寄稿依頼をさせていただいております。

TwitterID: getnews_kiko

  • 誤字を発見した方はこちらからご連絡ください。
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちらから
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。