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『Drug TReatment』を携えて黒夢は羽ばたき、夢を飛び越えた

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無期限活動停止を発表したのが1999年1月29日。その10年後の2009年1月29日に一夜限りの復活かつ解散ライヴを決行して、その翌年の1月29日に活動を再開。2011年には2月9日に約12年半振りとなるシングル「ミザリー」を発売し、2月26日に国立代々木競技場第一体育館でライヴ。昨年、今年は何もアクションがないのが残念だが、この時期は何かと黒夢を思い出す頃である。そんな彼らの名盤はと言うと…?

ヴォーカリスト、清春の強烈な存在感
ファルセットにビブラートを合わせ、さらにはハードコアパンク調シャウトも取り込んだ、清春(Vo)ならでは歌唱法は音楽シーンにおける発明品と言っていい。あの歌唱法が100パーセント清春のオリジナルかどうかは意見が分かれるところだろうが、もっとも有名なのは清春であることに異論は少なかろう。後のビジュアル系ヴォーカリストに与えた影響も絶大である。メジャーどころにも清春のフォロワーと思われるアーティストは結構いるし、もし黒夢がいなかったら、後の音楽シーン、少なくともビジュアル系シーンは様変わりしていたと言っても過言ではないと思う。
筆者が最初に黒夢を見たのは1992年だったが、やはり強烈な歌のインパクトが印象に残っている。強いて挙げれば、吉川晃司の歌唱法に近いとも思ったが、吉川のそれはキャロルや佐野元春辺りから続く所謂“巻き舌唱法”が色濃く、清春の歌はそれまでほとんど聴いたことがないような代物であった。上手下手以前にエキセントリックで極めて個性的。インディーズで発表した『中絶』『生きていた中絶児』というショッキングなタイトルの音源と相俟って、初期黒夢の世界観を強力かつ決定的に推進した。

鳴り物入りのメジャーデビュー、そして頂点へ
1993年、1stアルバム『亡骸を…』のインディーズチャート1位という実績を引っ提げて、黒夢はその翌年、シングル「for dear」でメジャーデビューを果たす。途中メンバー脱退というアクシデントに見舞われたものの、1995年には3rdアルバム『feminism』がチャート初登場1位を記録。メジャーにおいても頂点に登り詰め、以後は一般大衆を意識した活動を続けていくと思われた。清春はCMにも出演した他、TVのバラエティー番組にも登場。実現しなかったが、某有名監督から清春に映画出演の依頼もあったという。しかし、黒夢はそうした俗に言う芸能界方向へ進むことはなかった。1996年の4thアルバム『FAKE STAR 〜I’M JUST A JAPANESE FAKE ROCKER〜』リリース後から活動をライヴ中心に転換。1997年から1999年まで、何と約250公演という破格の本数のライヴを展開した。90年代の黒夢はその活動そのものがスリリングであり、我々にさまざまな局面を見せてくれたと思う。
1997年から1998年にかけて、日本のCD売上げはピークを迎えた。基を辿れば、1990年からのビーイング・ブーム、1994年からの小室哲哉プロデュース作品の大ブレイクがあり、まだまだ活況が続くと思われていたシーンに対してメーカーも制作事務所もこぞって弾を注いでいった結果だったのだろう。黒夢もまたそんな状況下で上を目指したバンドのひとつであった。X(現:X JAPAN)が開拓し、LUNA SEAがさらに裾野を広げた所謂ビジュアル系シーンにも雨後の筍の如く、さまざまなバンドが現れたが、その中でも同じ年にデビューしたL’Arc〜en〜Ciel、GLAYと並んで、一部では(決してそんな呼び方がなかったが)御三家的な捉えられ方をされており、業界内でネクストブレイクの期待も高かった。

本格ライヴバンドへの転身
何よりもバンドの司令塔であった清春自身、上昇志向の強い人であった。特にメジャー進出以後が顕著だったのだが、取材の度に“NOT SATISFIED”な発言も飛び出したことは、今となっては懐かしい記憶だ。だからと言って、清春は決して己を捨てないアーティストでもあった。簡単に言えば、売れるために何でもするという人ではなかったということだ。そればかりか、初期には「ロックバンドがタイアップなんてとんでもない」なんて思っていた時期もあったというから、実はわりと昔堅気のロッカーであったとも言える。
それゆえにチャート1位という、言わば初期目標を達成してから、黒夢がライヴ中心の活動に転換したのは自然なことであったように思う。当時、清春が「100万人にカラオケで歌われるよりも、その半分でいいからライヴに来てもらって、“すっげぇカッコ良い! あいつの真似をしたい!”と思ってもらえる音楽をやりたい」と語っていたことを思い出す。となると、これまた音源にもライヴ向きの楽曲が収録されることになったのも自然なことだったであろう。いや、インディーズ時代からハードコア系の速いリズムの楽曲がなかったわけではなかったから、『FAKE STAR』以降はそれらが前面に出始めたという感じだっただろうか。ここから6thアルバム『CORKSCREW』までの3枚のアルバムはその傾向が強く、いずれも90年代後期の黒夢を代表する作品と言ってよく、どれをベストに挙げるかはリスナーの好みだと思う。甲乙付けがたいが、本稿では『Drug Treatment』を取り上げたい。個人的にはもっともバランスがいいと感じるアルバムだ。

ふたりで創り上げた黒夢の世界観
オープニングらしいM1「MIND BREAKER」から始まり、軽快なファンクナンバーM2「DRUG PEOPLE」、まさにグイグイとしたドライヴ感で迫るM3「DRIVE」から、M4「C.Y.HEAD」~M5「CAN’T SEE YARD」~M6「DISTRACTION」のポップチューンの連発を経て、M7「Spray」に至るまで、アナログ盤であればA面収録曲の流れはライヴステージを彷彿させる。展開もスムーズだ。
一方、8曲目以降、B面はどうかと言うと、シャッフルのダーク系ナンバーM8「LET’S DANCE」、ミディアムM9「BLOODY VALENTINE」&M10「DEAR BLUE」と、パンクから一転、やや大人っぽい…と言うと語弊があるかもしれないが、インディーズ時代とは異なるものの、間違いなく黒夢楽曲と言える比較的落ち着いたナンバーが続く。今回『Drug Treatment』を聴き返してみてもっとも興味深く感じたのがこの中盤。速いビートや享楽的なフレーズこそないが、後の清春のソロワークにも通じるような、マイナー調でありつつ、しっかりと楽曲の世界観が構築されている。この3曲は清春作曲ではなく、人時(Ba)が手掛けた曲であるというのが面白い。黒夢とは清春、人時のふたりのバンドであることをしみじみと感じさせる。
そこからM11「NITE&DAY」へとつながり、キャッチーなパンクチューンM12「NEEDLESS」、そして「少年」(6thアルバム『CORKSCREW』収録)と並ぶ黒夢のアンセムM13「Like @ Angel」へと到達する。「NEEDLESS」~「Like @ Angel」は本作のテーマでもあり、肝でもある。そして、パンキッシュなM14「BAD SPEED PLAY」でフィナーレ。アンコールに似た置き方だ。

その名とは真逆に夢を追い求めたバンド
本作のテーマは明白である。「Like @ Angel」「NEEDLESS」、あるいは「Spray」の歌詞にはっきりと表れている。
《天使の羽を広げ そびえる夢 飛び越えたい/幼き時を浮かべ 息を止めて 泳いでたい/天使の羽を広げ 遥かな夢 追い越せたら》《初期衝動に 魅せられて 走り出した/僕の感性 いつまでも 閉じたくない》(「Like @ Angel」)。
《夢をごまかして/忘れた振りしてる/良くも悪くもない/単調な毎日へ/NEEDLESS 何時になれば 自由と呼べるだろう/僕に合わない物 Ah 消えて欲しい》(「NEEDLESS」)。
《Sprayで描いた 夢はきっと叶うから/火を見るよりあきらかに/狂いそうなスリルを ハートに焼き付けたい/君の顔と同じ様に/Dreamer’s message for you…》(「Spray」)。
己を捨てずに上を目指す。アーティスト、清春の生き方そのものである。バンド名の黒夢には「夢がない」というネガティブな意味があったらしいが、この頃は夢を肯定している歌が多く、バンド名には「夢がないと言ったところで絶対に夢がなくなることはない」といった逆説的な意味合いがありそうな気がするほどだ。その後の黒夢は、無期限活動停止→復活して正式解散→活動再開、そして最後のロングツアーを展開。以降、活動に関するアナウンスは特にないが、上記の通り、その本質は“DREAM GOES ON”なバンドなだけに、こればかりは本来、清春、人時の両名しか知り得ないことと承知で書くが、必ずまた我々の前に姿を現してくれることと確信している。

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