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何のために生き、何のために働くのか。たかだか80年の大切な人生を“経済”に振り回されて使い果たすのか?――脚本家・倉本聰氏が語る

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数多くの優れた人間ドラマで、日本を代表する脚本家・劇作家・演出家として、独自の世界を作り上げてきた倉本聰氏。東京大学を卒業後、ニッポン放送に入社し、28歳で退職して脚本家の道に進んだが、その先には紆余曲折が待っていた。

NHK大河ドラマの脚本を担当する売れっ子にまでなったものの、脚本家の演出関与問題がこじれたことで嫌気がさし、途中降板。39歳ですべてを投げ捨てて北海道に移住する大きな挫折を味わった。そこで出会ったのが、バーテンダーやタクシー運転手、単身赴任のサラリーマンなど、普通に暮らす町の人々だった。

その接点が糧となって生まれたドラマ『北の国から』(1981年)が日本中で大きな話題となり、脚本家として不動の地位を確立した。人間の生き方を見つめ続けてきた倉本氏に、リストラや将来不安など悩み多きミドル世代のビジネスパーソンにメッセージをもらった。(聞き手・文=黒田真行)
会社に忠実になればなるほど、会社も自分も不幸にしてしまう

産業革命以降、「経済! 経済! 経済!」の大合唱はとどまることがありませんよね。いま日本で働く人たちも、完全にその流れの中に飲み込まれてしまっています。サラリーマンの世界でも出世や年収を追いかけまわし、上司の顔色をうかがって評価を得ることに必死になっている人も多くなっていると思います。

いろんな業界で起こっている偽装問題や粉飾決算などは最たる例で、あれをやっている当事者たちは、みんな「会社のため」だと思ってやっているんだと思います。でも「会社のため」と思えば思うほど、「上司に気に入られよう」と思えば思うほど、逆に「会社のためにならない」という皮肉な結果になっている。誰も幸せにならない、とんでもないサイクルに陥っていますよね。

会社というものは、経営者が世の中に何かの価値を生み出して、従業員の幸せや従業員の家族の幸せを守っていこうという理念や思いがある組織であるべきだと思うんです。本来的には。もしもそんな会社なら、従業員に偽装をやらせたりはしませんよね。

でも、最近は、経営者自身にも、短期的な経済指標以外に理念を持っていないケースも多いようなので、そんな会社を選んでしまったら、もうどうしようもない。それこそ転職でもして、職場を変えたほうがいいですね。

不幸な会社人間にならないためにも、収入や出世などの経済的尺度ではなく、自分自身や自分の家族も含めた人生の大目的を明確にしておいたほうがいい。常に「今、自分は幸せか? 今の自分に満ち足りているか?」を自問自答して、何かを守るのではなく、幸せを勝ち取るために攻め続けていかないといけないと思います。
どれだけ追いかけても充足しないことこそが「貧困」である

郊外の静かな農場で質素に暮らし、個人資産は約18万円相当のフォルクスワーゲン1台だけという大統領がウルグアイにいます。ホセ・ムヒカ大統領。彼のメッセージは今の僕自身の考えに最も近い。「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」という言葉は、まさにその通りだと思います。

お金や経済は、決して豊かさの同義語ではない。お金をいくら手にしても幸せになれるわけではない。でも、今は、「豊かさとはお金のことだ」という間違った幻想を、学校時代から徹底的に刷り込まれてしまっていると思います。

そもそも「自分は、なぜいまここで生きているのか?」を考えてみればいい。人間は1分間に16,7回呼吸をしている。呼吸をして酸素を取り入れているから生きられていますが、ほとんどの人は、自分が呼吸をして生きていることを忘れてしまっています。

空気のほかに、水と食べ物。この3つかがないと、人間は生きていけないんです。それがなければ生きていけないものに対して、あまりにも注意を払わなくなってしまっていることにとても危機感を感じています。

たとえば縄文時代は、約1万3000年も続いた平和な時代ですが、この時代に人間は栗を栽培していた。自然の森林ですから豊作も凶作もあるわけですが、栗がたくさん取れたら他の人に譲って、それと交換で魚などの食べ物を得ていた。きわめて素朴な経済社会ですね。自然界には「前年比アップ」などという概念はあり得ませんから、与えられる恵みを受け止め、そこで社会を作って幸せに暮らしていたわけです。
自分に発言力がついた時、「金庫」の存在を忘れてしまっている

現代の消費社会では、農業ですら産業化の波に飲み込まれて、自然を中心にした生き方や考え方は、まったく見向きもされません。むしろどんどん食料自給率を下げ続けながら、インターネットや金融などのサービス業に傾斜して、際限なく経済を追いかけ続けるような構造に変質しています。

でもね、ITや金融は、結局は食い物を生み出せないんです。それらの産業は、暮らしを便利にするものですが、決して生きていくための主役ではない。手段だったもののはずが主導権を持つようになったら、やっぱりそれは本末転倒でしかない。

会社人間になって、短期的な会社のために偽装などをやってしまう人も、それを指示してしまう管理職や経営者も、最初からそんなことをやるために社会に出たわけではないと思います。新卒で入社した当時は、漠然とではあっても世の中に役立ちたいとか、誰かのためになりたいとか、世の中の何かを変えたいという夢とか理想は持っていたはずです。

ところが、会社に入って時間がたち、だんだんと経済の波に飲み込まれてしまうと、新鮮な想いをきれいさっぱり忘れてしまうんですね。だからこそ若い方には、社会に入った時点で持っている自分の中の理想を、金庫にしまって鍵をかけておけ、と言っています。そして、しまいっぱなしにするんじゃなくて、時々鍵を開けて、その理想を見ておけ、と。

僕もそうでしたが、若いときは食うことに必死で、理想もそんなに立派にあったわけではありません。でも、漫然たる意欲はあった。でも、時々鍵を開けて見に行くと、少しずつ輪郭が明確になって育っていく。それが本当に確信を持てる「人生の大目的」と言えるまでに育ったら、金庫から取り出して堂々と掲げればいい。僕はそう考えています。

ところがたいがいの人は、時が経ち自分に発言力がついた時、金庫をあける鍵を紛失している。ばかりか金庫の存在すら忘れてしまっている。これはまずいです。
常識で見えなくなっているものを剥ぎ取れるか?

先日、娘夫婦が富士山の山頂に登ってきたという話がありました。「本当に3776メートル、自分たちの足で登ったのか」と僕が聞くと、「5合目までは車で行き、そこから徒歩で登った」という答えでした。

5合目の標高は、2400メートルです。つまり彼らは1376メートルだけ自分の足で登ったということです。それを言うと、数か月後に彼らは田子の浦から僕に電話をかけてきて「今から残りを登ります」と言ってきて、本当に残りを歩いたので褒めてやりましたが(笑)。

この話で伝えたいことは、3776メートルの富士山を登ったという人のほとんどは、実際はその半分くらいしか体験していないということです。それが当たり前だから、みんなそうしているからという理由で、5合目からの登山でも富士山を登り切ったと誤認してしまっている。

これを僕は「海抜ゼロの思想」と呼んでいます。何かを考えるときに5合目を常識にしてはいけないと考えています。物事には「そもそも」という根本があるのに、そこを省いて5合目を常識にしてしまうと本質や原理原則が見えなくなってしまいます。

富士山の登山ルートは5合目からだと、吉田ルート、須走ルート、御殿場ルート、富士宮ルートの4つくらいしかありません。海抜ゼロ地点から始めると、海と陸の接点がすべてスタート地点になりうる。つまりそれだけ選択肢が増えるということなんです。

今の自分の地位や年収や経験・知識、それを失うことを恐れ、守ることしか考えないと、どんどん選択肢が減り、どん詰まりに追い込まれてしまう。経済やお金以外の指標で、今の自分は本当に満ち足りているか? 自分や自分の家族を幸せにできているかを自問自答していけば、自分が何のために生きているのかの座標軸を明確に持ち続けていけると思っています。(談)

倉本聰:1935年、東京都出身。脚本家。TVドラマ『北の国から』『前略おふくろ様』『昨日、悲別で』や映画『駅 STATION』『冬の華』など作品多数。2006年よりNPO法人富良野自然塾を主宰。2016年1月16日から3月24日まで倉本氏が作・演出を手掛ける富良野GROUP舞台『屋根』の全国ツアーを25か所で開催。

聞き手・文=黒田真行:ルーセントドアーズ株式会社 代表取締役。1988年リクルート入社、リクナビNEXT編集長、リクルートドクターズキャリア取締役を歴任後、2014年に独立。2014年12月より、35歳以上のミドル世代のための転職支援サービス「Career Release40」を開始し、ホワイトカラーやエンジニアの転職支援を手掛けている。

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