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お宝を発見できるかも? 世田谷ボロ市が1月15日(金)・16日(土)開催!

世田谷ボロ市

東京都の無形民俗文化財にも指定されている、冬の風物詩のひとつ「世田谷ボロ市」は今年で438年目を迎えるとされる歴史のある行事です。長い歴史の中で、そこに住んでいる人々や時代に合わせて少しずつ姿を変えてきた「世田谷ボロ市」は、今や世田谷区民だけではなく、日本中から人が集まり、さらには外国人観光客も訪れる有名なイベントになりました。

「ボロ市」と名はついていても、その露店は多種多様。世田谷近辺のお店や、地元の人たちが出店するのはもちろん、遠くの地方からこの日のためにやって来て、名産品を販売するということもあるそう。毎年楽しみにしているという人も少なくなく、子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで、どんな世代でも楽しめるお祭りです。

日用雑貨や服飾雑貨に骨董品と毎年700店ほどの出店があり、まさに宝の山。掘り出し物を見つけに足を運んでみませんか?

世田谷ボロ市とは?(世田谷区ボロ市通り)

お宝を求めて、いざ!

世田谷ボロ市 毎年楽しみにしている人も大勢いて、開催中は常に大賑わい!世田谷ボロ市 世田谷ボロ市 「ボロ市」の名を想起させてくれる古着屋さんから、生活雑貨や骨董品まで、多彩な出店が魅力

1578(天正6)年、当時、関東地方を支配していた小田原城主・北条氏政が、世田谷城主である吉良氏朝の城下町・世田谷宿に楽市を開いたことからはじまった「世田谷ボロ市」。楽市では市場税を一切免除して自由な行商販売が行われたため、まさにこの市は日本最古のフリーマーケットのひとつと言えるでしょう。

当時は、毎月、「一の日」と「六の日」の計6回、この蚤の市が開かれたことから、六斎市とも呼ばれていました。その後、戦国時代の動乱によって、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ、その後、徳川家康が江戸幕府を開くと、城下町・世田谷宿の活況は急速に衰えを見せはじめます。そうして、楽市は滅びましたが、その伝統は脈々と引き継がれていきました。

「ボロ市」という名が付いたのは、明治になってしばらくの後のこと。農家の作業着のつくろいに重宝したことや、わらじに使う縄にボロを入れ込むと何倍も丈夫になることから、ボロが安く売られるようになったからだそうです。もちろん、その他にも農具や日用雑貨のお店が所狭しと並び、賑わっていました。長らく歳の市として、年末の12月15日、16日に行われていたボロ市でしたが、明治時代に新暦が使われるようになると、1月15日、16日にも行われるようになりました。

現在でも700店ほどの店が並び、玩具、装身具や植木などが販売されます。もちろん、「ボロ市」という名前の名残ともいえる、古着や骨董などもたくさん扱われていますよ!

ボロ市の名物「代官餅」

餅の香りに誘われて列なす人々の風景も、

もはやボロ市の風物詩

世田谷ボロ市

代官餅(からみ)。大根おろしの中には海苔やねぎ、かつおぶしも入っていて、

う〜ん、おいしそう!(1パック650円) 世田谷ボロ市 きなこ・あんこ・からみの3種類があります♪

1975(昭和50)年から販売されている「代官餅」は、今や「世田谷ボロ市」の名物になりました。ボロ市の時にしか買えないという希少価値も相まって、当日は販売開始時間の前から人が並び始めます!

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